「三密」の次は、「三毒」の話〜辛い時期だからこそ、意識していきましょう〜
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新型コロナ対策に関して密集、密閉、密着の「三密」を回避するという話題から、仏教用語としての「三密」に関わるお話を以前、いたしました。すなわち、仏の身体・言葉・心によってなされる不可思議なはたらきのこと。更に、衆生の身体・言葉・心も、本性レベルでは仏と同様である、なんて話も出てきました。
しかしながら、我々凡俗は、世俗の塵に塗れたままだと、遺憾ながら仏同様の「三密」どころか三つの悪徳・毒を撒き散らしてしまう。今回は、そんなお話。
「三毒」という言葉が、仏教にはあります。「三不善根」とも呼ばれ貪・瞋・痴の三つからなる人間の悪徳を意味します。すなわち、求めるものをむさぼる貪欲、嫌いなものを嫌悪する瞋恚、物事を適切に判断できず迷う愚痴。
その三毒を、身体・言葉・心から撒き散らしてしまう。その罪への懺悔をする文句が、仏典にはあります。
我昔所造諸悪業
皆由無始貪瞋癡
従身口意之所生
一切我今皆懺悔
<超意訳>
私が過去に作り出した諸々の罪業は、
皆、遠い因縁からの貪欲さ、怒り、愚かさによって、
身体、言葉、心を通じて生み出されたもの。
その全てを私は今、懺悔いたします。
「懺悔文」と呼ばれるこの文句、『華厳経』の一つ四十巻本の「普賢菩薩行願讚」から出ているそうで。なお、三行目は参照した文献によっては「従身語意之所生」となってます。意味は、同じですね。
『華厳経』とは、華厳宗の根本経典で、様々な小経典を集めて編纂されたと考えられています。巻数も漢訳によっていくつかあるらしく、上述した四十巻(唐代の般若による)の他、八十巻本(唐代の実叉難陀による)や六十巻本(東晋の仏駄跋陀羅による)が知られています。
世界は毘盧遮那仏の顕現ですべての事象は互いに働きかけ無限に縁起しあう、という思想を中心に、ブッダが悟った内容を表明したものとされています。
そして「懺悔文」にも登場した「無始」という言葉は、いくら遡ってもキリがないほどの遠い因縁を指す言葉。華厳経の内容にぴったりっぽいですね。
外出もなかなかできず、生命の危険もあってストレスの溜まる日々。先が見えず、迷いや怒りもわき起こる。生活を同じくする大事な人々につい辛く当たってしまうという話も、仄聞します。周囲の振る舞いにイライラし許しがたいという思いに囚われるという事例もあると伺います。
さなきだに、我々凡俗は貪瞋痴の「三毒」を避け難い訳ですが、余計当てられやすい環境にあると言えます。
まあ、宗派の問題もありますし、「懺悔文」を唱えろ、とは申しません。しかし。己の身体、心、言葉の中に欲望、怒り、愚かさが蓄積してるな、と意識する。そして、それに人格を乗っ取られないよう踏ん張ろうと自分に言い聞かせる。そうするだけでも、少しは何か変わってくるのではないかと。これもまた、新型コロナとの戦いの一環である。僕は、そう思っています。
【参考文献】
『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』ロゴヴィスタ
上田祖峯『修証義入門 道元禅師の教え』駒沢学園出版部
木村清孝『華厳経入門』KADOKAWA
中村元『現代語訳大乗仏典5『華厳』『楞伽経』』東京書籍
『塚本善隆著作集第七巻 浄土宗史・美術編』大東出版社
『大辞泉』小学館
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