<言葉>「一期一会」〜「すぐまた会える」とは限らない時代で〜
|
新型コロナ騒動の収束は、なかなか見えてきませんね。どういう形になるかはともかく、長期戦を覚悟するのはやむを得なさそうです。感染リスクを思うと、会いたい人にもなかなか会えなかったりでフラストレーションも溜まる方も多いかと存じます。
今回のお題は、「一期一会」。茶の湯では非常にお馴染みですし、茶の湯経験のない方でも一度は見聞きした事がある言葉ではないでしょうか。超メジャーと称して差し支えない言葉。それだけに、取り上げるのはかえって怖かったのですが、こうした時期だからこそ振り返りたい言葉だとも考えています。なお、手元で参照できる文献が限られてますから、解説本からの孫引きになります。御了承の程を。
この言葉を考える上でまず見るべきは、『山上宗二記』。
路地へ入より出るまで、一期に一度の会のように、亭主を可敬畏(『茶の湯人物事典 略伝・ことば・逸話』世界文化社 302頁)
という記述があるそうで。露地に入ってから退出するまで、「この茶会は一生に一度のものだ」という心がけで主人を尊重しなくてはならない。そんな意味です。
この言葉を受けて、幕末の大名・井伊直弼は著作『茶湯一会集』でこう述べています。
そもそも、茶の湯の交会は、一期一会といいて、たとえば幾度おなじ主客交会するとも、今日の会にふたたびかへらざる事を思えば、実に我一世一度の会也。去るにより、主人は、万事に心を配り、いささかも麁末なきよう深切実意を尽し、客にも、此会に又逢いがたき事をわきまえ、亭主の趣向、何壱つもおろそかならぬを感心し、実意を以て交るべき也。是を一期一会という。(同書 13-14頁)
これによれば、何度同じ面子で茶会をしたとしても、全く同じ茶会にはならない。主人も客も、その一度一度を生涯これ限りのつもりで振る舞い、誠意を尽くせ、という事なんだとか。
「一期」とは人が生まれてから亡くなるまでの間を意味します。「一会」とはただ一度の出会い。文字通り、生涯ただ一度の巡り合い、という事ですね。またの機会があると思わず、そのくらいのつもりで、悔いなく過ごせ、という教訓でありましょうか。
誰も彼も、いつ新型コロナに感染するか分からない身の上です。お互い、今日は元気でも明日はどうか定かでない身の上です。しかし思えば、これは新型コロナの有無に限った話ではありません。
普段から滅多に会えない人は勿論、日常的に親しんでいる相手であっても、次にまた会えるかは分からない。それだけに、(リモートでの会話が、今は基本になるでしょうが)その時々の機会をまたなきものと思い、悔いのないように接していきたいものです。無論、新型コロナ騒動が収束した後でも同じ事だと思います。
【参考文献】
有馬頼底著『やさしくわかる茶席の禅語』世界文化社
『茶の湯人物事典 略伝・ことば・逸話』世界文化社
『精選版 日本国語大辞典』小学館
『大辞泉』小学館
関連記事:
「<言葉>「生死事大」〜終わりがいつか分からないから、一刻も早く迷いを捨てて〜」
「【言葉】看看臘月盡〜いつタイムアップが来ても、悔いなきように〜」
「<言葉>徳川期の茶人、日常の心得を説く~常に茶席の心構えで~」








