「諸悪莫作 諸善奉行」とは言うけれど…〜自他の悪を滅せるとはゆめゆめ思うな 親鸞の言葉から〜
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「諸悪莫作 諸善奉行」という言葉があります。「悪い事はなんであれ行うな、良い事は何であれ行え」といった意味です。これは仏教における根源的な教えの一つであるらしく、「七仏通誡偈」といって釈迦牟尼を含む過去七人のブッダが全て唱えた言葉とされています。通しで見ると
諸悪莫作 諸善奉行 自浄其意 是諸仏教
というもの。言葉にすると簡単そうに聞こえます。しかし、実際に人間にそれができるものなのでしょうか?
これに関連して、とある日本仏教の大物の発言を今回は参照したいと思います。その人物の名は、親鸞。言うまでもなく、浄土真宗の開祖とされる人物です。
親鸞は『正像末和讃』愚禿悲嘆述懐で
悪性さらにやみがたし こころは蛇蝎のごとくなり 修善も雑毒なるゆへに 虚假の行とぞなづけたる
(加藤智学編『簡易真宗聖教 後篇』無我山房 249頁)
という言葉を残しています。
人間の悪い性質は決してなくなる事はなく、心は蛇や蠍のように有毒。善行をしても心の毒が混じるので、仮の行でしかない。そんなニュアンスですね。人間の精神に対して、非常に悲観的な見方と言えます。これ、親鸞の完全オリジナルではなく、中国の傑僧である善導大師による『観経疏』『散善義』の影響を受けているんだとか。
同様の考えを親鸞は『教行信証』顕浄土真実信文でも述べています。
一切群生海自従無始乃至今日至今時穢悪汙染無清浄心虚仮諂偽無真実心
(親鸞『教行信証 二』高田山専修寺)
人間の心には、そもそもの初めから、悪心や虚偽ばかりで清浄とか真実なんてものはない、という事でしょうか。なかなかに過激です。それが前提だと考えると、自力でなんとか出来るとは思わず阿弥陀如来の慈悲に縋る、という教えになるのも納得できますね。
どれだけ善行を積もうと、悪心はなくならず、善行の中にすら煩悩の毒が混じっている。例えば。善である事を誇って奢る心、自らの目には善と映らぬ者を蔑み怒る心。これらは、その一例に過ぎますまい。
例えるなら、汚れた食卓を拭くに汚れた布巾をもってするようなものかもしれません。それでも、掃除をしないよりはマシ、そうかもしれません。しかしそれすらも、布巾の汚れの種類によっては、掃除しない方がマシな可能性すら無きにしもあらず。難しいものです。
ならば、善行はするだけ無駄なのか。流石にそうではないはず。やはり親鸞の言葉である『浄土和讃』で
諸善万行ことごとく 至心発願するゆへに 往生浄土の方便の 善とならぬはなかりけり
(『国訳大蔵経 昭和新纂宗典部 第四巻』東方書院 10頁)
とあります。自らが善たり得ない事を知りつつ、阿弥陀如来への信心を寄せる縁として行う善行は往生の助けになる。そういう事かもです。他人がどうとか、世間がどうとか考えず、己を救うため、己の業から逃れる縁として、善行に励む。他人の是非を気にし出したら、自らと比較して蔑み裁く心が生まれている、そう考えた方が良さそう。
無論、他人の無体な振舞いに文句をつけるな、という訳ではありません。ただし、それとても、相手を悪として裁くのでなく、正しさがどうとか考えるのでなく、あくまで自分のエゴからの要望だ、位に思って行う方が良さそうです。僕が精神的に自分で手一杯な人間だから、そう思ってしまうのかも知れませんけど。
上述のように、善行を行なっていてすら、悪業の毒が混じり込むのなら。自分では「相対的に善」と思っていても、神仏の目からは、あるいは周囲からすれば、自分こそ「許し難い何か」に堕していないか。それは常に気にしておくべきかと。
次に、禅宗についても事のついでに見ておきましょう。以前に茶の湯関連で取り上げた記事で、禅僧が「諸悪莫作 諸善奉行」を引き合いに出しながら「当たり前に見える善行をしっかりするのは、実はとても難しい」と述べていました。また、禅語には「青天也須喫棒」なんてのがあります。これが正しいのだ、これが善だ、そう思ったら、その時点でそれは既に迷妄だ。そんな意味の言葉です。やはり禅宗にも、「善」や「正しさ」に奢りや瞋恚といった要因が混入する危険を警戒する性質があるものでしょうか。
思うに、人の魂において善と悪は表裏一体。同じ性質でも、ある局面では悪として現れ、別の条件では善として表出する。良いところ取りはなかなか出来ないものなのかもしれません。
他人の善悪に惑わされず、他人を裁こうとはゆめゆめ思わず、自分のなそうとしている事は本当に間違っていないか、どこか半信半疑な部分を残しながら進む。それが、現時点では最適解なのかもしれません。まあ、この見解とて、適宜再検討が必要なんでしょうけどね。
【参考文献】
中村元『原始仏教の生活倫理』春秋社
鳥沢廣栄『スッと心が軽くなる 仏教の言葉』彩図社
伊藤博之・今成元昭・山田昭全『仏教文学講座』勉誠社
加藤智学編『簡易真宗聖教 後篇』無我山房
梯実円『教行信証の宗教構造』法蔵館
浅井成海『日本浄土教の形成と展開』法蔵館
親鸞『教行信証 二』高田山専修寺
『国訳大蔵経 昭和新纂宗典部 第四巻』東方書院
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