延命十句観音経と「常楽我常」
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仏教経典のうち、最も短いものは何かご存知でしょうか。その答えは『延命十句観音経』で、わずか四十二字からなります。とは言え、仏教の中国伝来後に出来た「偽経」に分類されるものだそうですが。
徳川時代に白隠がこの経典を唱える事を人々に勧めたのですが、その際に述べられた霊験には刑死を免れたとか、幽鬼を成仏させたとかに混じって、「京都三条の町屋で、北野天神の夢告によってこの経典に帰依したところ病が癒えた人がいる」とか、
鍼灸薬の三ツの力にて平癒し難き難治の大病を、纔かに四十二字の秘経の徳にて、既に七日が中に乍ち平癒せし事
(『白隠禅師集』大日本文庫刊行会 347-348頁)
といった病気平癒も押し出されていました。このご時世だけに、切実な説得力がありますね。
そんな『延命十句観音経』の全文は、
観世音 南無仏 与仏有因 与仏有縁
仏法僧縁 常楽我常
朝念観世音 暮念観世音
念念従心起 念念不離心
観世音、すなわち観音菩薩に帰依し、仏やその教えに縁を持ち、朝夕に観音菩薩を念じ、常々忘れない。そうした信仰告白の経典ですね。難解な教えはありませんが、唱えやすい教典として愛されています。
さて、「常楽我常」というのは。仏教における四つの徳を表します。永遠不滅で、安楽で苦を離れ、自由で束縛がなく、無垢である事を意味するそうで。一方、我々凡俗が陥る四つの過ちをも意味します。常ならず移り変わるものを常と思い込み、苦のもとであるあれこれを楽しみと誤認し、我執にとりつかれ、この世界の不浄なものを浄と誤る。
ここでは前者でしょうが、後者である我等凡俗の救済を祈る意味もありそう。
白隠がこの経典を人々に勧めた理由としては、大衆の救済という課題に取り組んだ結果ではないかとする説もあるようです。難解な教義を知る機会もなく、座禅などの修行に励むのも難しい環境にある大多数の人々を救済し、その苦しみを和らげるにはいかにすべきか。それに対する一つの答えとして、読経の効果に思い至ったのでは、というのです。そして、短く唱えやすい延命十句観音経が、うってつけだと判断された。無心に度胸を続ける事で、その間は悩みや苦しみを忘れ、観音菩薩に委ねる事で心を軽くする。だとすると、浄土教系統の宗派における念仏に通じるものがありそう。
長らく、大変な時期が続いています。一時よりは事態改善の兆しがあるように見えますが、まだまだ油断はできません。現代人たる我々は、読経をする必要は必ずしもないでしょうが、無心に何かに打ち込み、及ぶ限りで人事を尽くし、あとは運否天賦…。そんな心境に持っていける生き方、状況に至れると良いのですけどね…。
【参考文献】
『白隠禅師集』大日本文庫刊行会
酒井大岳著『延命十句観音経を味わう』曹洞宗宗務庁
高田明和『明日に希望をつなぐ東洋のことば』すばる舎
『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』ロゴヴィスタ
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