『渋江抽斎』冒頭の漢詩〜森鴎外のお気に入りな一編〜
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近代の文豪・森鴎外の作品の中で、最も評価が高い作品は何かと言えば。晩年の史伝もの『渋江抽斎』をあげる人が多いようです。かくいう僕も、その見解に首肯する者です。
さて、『渋江抽斎』冒頭において、鴎外は一つの漢詩を紹介しています。何でも、作品で取り上げた幕末の学者・渋江抽斎が自らの志を述べたものなのだとか。抽斎は津軽藩のお抱え医師で、考証学者でもあった人物です。
三十七年如一瞬
学医伝業薄才伸
栄枯窮達任天命
安楽換銭不患貧
(森鴎外『渋江抽斎』より)
三十七年 一瞬の如し
医を学び 業を伝えて 薄才伸ぶ
栄枯窮達は天命に任す
安楽 銭に換えて 貧を患えず
〈超意訳〉
これまで生きてきた三十七年の人生はあっという間に過ぎてしまった。
医学を修め、家業を伝え広げながら、乏しい才能を少しでも伸ばしている。
世間的な成功ができるかどうかについては、運命の成り行きに任せて不平を言うまい。
金儲けに血道を上げる代わりに安楽な生活を第一とし、貧しい暮らしを憂えずに生きているのだ。
平仄及び押韻は下記の通り。○が平声、●が仄声、△は平声仄声ともに可、◎は韻脚になります。平仄を始めとする漢詩の規則については、こちらをご参照ください。
△●●○△●●
●○○●●○◎
○○○●○○●
○●●△△△◎
今回、こちらも用いてみました。
関連サイト:
「平仄くんβ」(http://kanshi.work/pinyin/index.php)
韻脚は「伸、貧」の上平声十一真。起句は仄音で韻を踏んでいません。結句の「不」は仄音というイメージだったので「銭」が孤平になるかと思いきや、平音で「不」を発音するケースもあるのですね。漢和辞典によれば、「…やいなや」と疑問符で使う場合のようです。となると、この詩においても疑問符として解釈すべきなのかどうか。だとすると、ニュアンスがちょっと変。素直に否定系、仄音と見た方がよさそうですね。となると、やはり「銭」は孤平となるから、七言絶句としては問題が生じます。これは古体詩と捉えるべきなんでしょうかね。
なお、鴎外はこの詩がお気に入りだったらしく、作中でもこう述べています。
抽斎の述志の詩は、今わたくしが中村不折さんに書いてもらって、居間に懸けている。わたくしはこの頃抽斎を敬慕する余りに、この幅を作らせたのである。(森鴎外『渋江抽斎』より)
『渋江抽斎』を読んでいる限りでは、鴎外の抽斎に対する共感が作品全体に満ちている感じを受けますが、この一件もまたそうした鴎外の想いを表して余りあると言えそう。
割合に平易な言葉が用いられていると思いますが、一応。
・伝業
教えや業を伝え広めること。
・窮達
困窮と栄達。栄枯も類似した意味。
冒頭にこの漢詩が居座っている事は、あるいは『渋江抽斎』を現代読者にとって敷居の高いものにしているかもしれません。とは言え、この詩に限らず、読み取れないと本当に読み進められないものに関しては鴎外は注釈を入れてくれています。無駄のない簡浄な文体で、鴎外がいかにして抽斎に興味を抱いたかに始まって、抽斎やその家族、同時代人の生き様に至るまでが生き生きと描き出した本作。「知の巨人」鴎外の本気が、徳川末期の文人知識人達の生き様を満腔の共感をもって活写した一品。少なからぬ人がハマるのも頷ける、日本近代文学史上の傑作だと改めて申し上げておきたいと思います。
【参考文献】
「青空文庫」(https://www.aozora.gr.jp/)より
「森鴎外 渋江抽斎」(https://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/2058_19628.html)
『日本大百科全書』小学館
石川淳『森鴎外』岩波文庫
『角川新字源改訂版』角川書店
菅原武『漢詩詩語辞典』幻冬社ルネッサンス
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