阪谷朗廬『万里小路藤房卿』〜世を儚み隠遁した後醍醐の忠臣を偲んだ漢詩〜
|
先々週だったかと思います。永井荷風が南北朝時代の貴族・万里小路藤房に共感を寄せていたというお話をいたしました。詳細はその時の記事を見ていただければと思いますが、藤房は後醍醐天皇から信任され朝廷による鎌倉政権打倒に尽力したものの、事がなった後に新政権の為体に絶望して隠遁した人物です。
せっかくなので、今回はその藤房を題材にした漢詩を取り上げたいと思います。ただし、作者は荷風ではなく、阪谷朗廬(1822-1881)という人です。
阪谷朗廬は、幕末維新期の儒者です。備中国に生まれ、大坂の洗心洞で大塩平八郎から、江戸の久敬舎で古賀侗庵から学びました。故郷の興譲館で長く教鞭を取り、興譲館の名声をを水戸の弘道館や萩の明倫館に並ぶものとしています。明治になってからは官吏として出仕すると共に明六社にも参加しています。
そんな朗廬が藤房に共感を寄せて詠じた詩はどのようなものか。以下で見ていきましょう。
万里小路藤房卿 阪谷朗廬
誰使中興爲亂麻
雲林豈肯忘天家
君王若問臣踪跡
爲奏松陰泣露華
誰か 中興をして 乱麻と為らしむ
雲林 あに肯て 天家を忘れんや
君王 もし 臣の踪跡を問わば
ために奏せよ 松陰 露華に泣くと
(渡部昇一『名著で読む日本史』扶桑社)
〈超意訳〉
後醍醐天皇が成し遂げた朝廷の復興を、誰がめちゃくちゃにしてしまったのだろう。
出家して深い山林に隠れた今も、どうして朝廷を忘れようか。
帝がもし、わたくしの行方について御下問あそばされたなら、
帝にはこう奏上してくれ。「松の木陰で、露に泣いております」、と。鎌倉を倒すべく戦ったあの苦難を忘れる事なく、善政につとめていただきたい、と。
平仄及び押韻は下記の通り。○が平声、●が仄声、△はいずれも可、◎は韻脚になります。平仄を始めとする漢詩の規則については、こちらをご参照ください。こちらのサイトも参考にしました。
関連サイト:
「平仄くん」(http://kanshi.work/pinyin/index.php)
○●○○○●◎
○○●●△○◎
○○●●○○●
●●○○●●◎
韻脚は「麻、家、華」の下平声六麻。
以下は、語句解説です。
・中興
いったん衰えた物事を再び盛んにすること。ここでは、後醍醐天皇が鎌倉政権を打倒し朝廷による全国支配を成し遂げた「建武の新政」を指す。
・乱麻
乱れて絡れた麻糸。物事が乱れ混乱したたとえにも用いる。
・為
起句の「為」は、「なす」と読み「する」の文語形。結句の「為」は「ため」と読み、「向かうところ、…のために」といった意味。それぞれ平仄が異なる(前者が平音、後者が仄音)なので別文字扱いで用いたものであろう。
・雲林
雲のかかっている高い山の林。
・豈
どうして〜することがあろうか、いや、ない。反語。
・肯
ここでは「あえて」と読む。打ち消しを強める意味。
・天家
天子の家。朝廷も含むか。
・君王
君主。ここでは後醍醐天皇。
・若
もしも
・臣
わたくし。君主に対し遜って用いる。
・踪跡
行方。
・奏
天子に申し上げる。奏上。
・松陰
松の木陰。
・露華
露をふくんだ花。露の美しさを花にたとえてこう言うこともある。
結句は、『太平記』で藤房が鎌倉政権との戦いの中で共に苦難に陥った際、後醍醐に奉った
いかにせん憑む影とて立ち寄ればなほ袖ぬらす松の下露
(兵藤裕己校注『太平記 一』岩波文庫 160頁)
〈超意訳〉
どうしたものでしょうか、頼りにしようと立ち寄った松の木陰で、梅雨が落ちてきて涙で濡れた袖を一層濡らしてくることです。
という歌を踏まえています。
【参考文献】
渡部昇一『名著で読む日本史』扶桑社
兵藤裕己校注『太平記 一』岩波文庫
『精選版 日本国語大辞典』小学館
『日本人名大辞典』講談社
『世界大百科事典』平凡社
『大辞泉』小学館
『大辞林』三省堂
『角川新字源改訂版』角川書店
新田大作『漢詩の作り方』明治書院
菅原武『漢詩詩語辞典』幻冬社ルネッサンス
「日本漢字能力検定 漢字ペディア」(https://www.kanjipedia.jp)
関連記事:
※2021/6/13 ありえない誤字があったので修正。お恥ずかしい。








