2021年 01月 24日
稲葉一鉄と韓愈の詩〜稲葉さんのいい話を紹介ついでに〜
|
斎藤道三・織田信長に重臣として仕えた人物の中に、稲葉一鉄という人がいます。『麒麟がくる』でも登場しますが、主人公・明智光秀と色々因縁があった人物なのもあって、見る人によっては悪役・敵役っぽく見えるかもしれません。
とはいえ、『麒麟がくる』製作側も物語の都合で割りを食わせた一鉄に対しフォローは入れています。国衆をよくまとめる力量があり美濃を統治する上で欠かせぬ有能な人物である事に言及されているのはその一例。また劇中で一鉄がしばしば主君を変えているのを非難する人物が出てきますが、当時としては自らの家を残すため所属勢力を変える事は国衆には珍しい事ではありませんでした。劇中でも、よく見れば一鉄を非難する発言も指弾者が一鉄を気に食わぬが故の言い掛かり・難癖の類として製作側が扱っている事が分かる仕掛けになっていたりします。
それはさておき、今回はこの一鉄さんの「いい話」(戦国好きには有名な話ではありますが)をご紹介し、そこから唐の律詩を一つご紹介する流れにしようかと。
大槻磐渓『近古史談』には、こんな話が残っています。一鉄らが美濃一色氏から信長に寝返り、信長が美濃を平定した直後の事でしょうか。信長は一鉄を家臣にしたものの、その心底を信用してはいませんでした。そこで信長は茶席にこと寄せて一鉄を招き、三人の家臣を相客として同席させた上で密室たる茶室で一鉄を暗殺しようと画策します。
一鉄はそれを知ってか知らずか悠々と茶室に入り、床の間にかけられた詩を朗読してみせます。
雲は秦嶺に横はりて家安にか在る、雪は藍関を擁して馬前まず(『近古史談』盛花堂岡村書店 47頁)
同席した三人は一鉄にその詩句の内容を尋ねたところ、一鉄は「一一分解。并説其典甚詳」(同書 同頁)、つまり一つ一つ詳しく解説し、その典拠を大変詳細に説いて見せたそうで。壁を隔てた隣室でこのやりとりを聞いていた信長は出てきて「我初謂汝一武勇男子也。今乃知其有文学如此」(同書 同頁)、すなわち、「わしはそなたをただの武辺者としか思っていなかったが、今、かくの如く文事に通じている事を知った」と感嘆し疑いの心を解いた旨を告白、三人に隠し持っていた短刀を出させ自らの企てを一鉄に詫びました。すると一鉄は自身も懐から隠し持っていた短刀を出し、「今日之事。僕亦期不徒死耳」(同書 48頁)と答え、信長の企みを予想し刺し違えようとしていた事を告白したというのです。
史実かどうかは疑問ではありますが、一鉄が武人としての心構えを持ち、漢籍にも明るい教養に富んだ武将であった、というイメージを持たれていた事がわかります。なお『近古史談』は他にも、一鉄が下男を処刑しようとした際に冤罪を訴えてやまないため助命し、数年後に一鉄が病死するとその下男が殉死した逸話も伝えています。
さて。茶席の床の間にかけられ、一鉄が読み上げ解説して見せたのは韓愈の七言律詩の一節。韓愈は中唐の詩人で、唐宋八大家の一人。当時の基調だった対句を重んじる駢儷文に対し自由な文の構成を提唱しています。また儒者として仏教・道教に反発した人物でもあります。今回取り上げる詩は、仏教を尊崇する憲宗皇帝が仏舎利を宮中に迎え入れようとしたのに韓愈が諫言し、皇帝の逆鱗に触れ流罪となった際に詠じたものです。全文は以下の通り。
左遷至藍關示姪孫湘 韓愈
一封朝奏九重天
夕貶潮州路八千
欲爲聖明除弊事
肯將衰朽惜殘年
雲横秦嶺家何在
雪擁藍關馬不前
知汝遠來應有意
好收吾骨瘴江邊
(『韓昌黎詩集 巻之十』青木嵩山堂)
一封 朝に奏す 九重の天
夕に貶せらる 潮州 路八千
聖明の為に弊事を除かんと欲す
肯て衰朽を将て残年を惜しまんや
雲は秦嶺に横たわりて家何くにか在る
雪は藍関を擁して馬 前まず
知る 汝の遠く来る 応に意有るべし
好し 吾が骨を収めよ 瘴江の辺
〈超意訳〉
朝に一通の奏上書を宮廷に差し上げたところ、
その日の夕には左遷されて遠路潮州まで流される事となった。
私は、陛下のため、悪弊を除こうとしたまで。
この老いぼれた身で、どうして保身に汲々とする気などあろうか。
道中、雲を見れば高い秦嶺に横たわるかのようにたなびき、人家は見えそうにない。
雪は藍関を包むかのように積もり、そんな悪路ゆえ馬も進もうとしない。
君が私の元へやってきてくれたのは、おそらく天意というものだろう。
よろしい、私が果てたなら配流地の瘴気満ちた川の辺りに遺骨を葬ってくれたまえ。
平仄及び押韻は下記の通り。○が平声、●が仄声、△はいずれも可、◎は韻脚になります。平仄を始めとする漢詩の規則については、こちらをご参照ください。こちらのサイトも参考にしました。
関連サイト:
「平仄くん」(http://kanshi.work/pinyin/index.php)
●○○●●○◎
●●○○●●◎
●●●○○●●
●○○●●○◎
○○○●○○●
●●○○●●◎
○●●○○●●
●○○●●○◎
韻脚は、「天、千、年、前、辺」で下平声一先。
以下、語句解説です。
・一封
一通の封書。ここでは、韓愈が憲宗皇帝に奏上した「論仏骨表」を意味する。
・奏
天子に申し上げる
・九重
宮中。古代中国の王城は門を九重に作った事に由来する。
・貶
けなす、身分や地位を落とす。ここでは後者を意味する。
・潮州
広東省東部にある都市。周辺は農業地帯で、農産物集積地として発展した。現在でも韓愈を祀る祠がある。
・聖明
天子が徳に優れ聡明であるさま。転じて、天子その人。
・弊事
間違っている事。悪い事、
・肯
「あえて」と読み、打ち消しを強める。こちらも参照。
・将
もって。「以て」と同じ。
・衰朽
老衰して役に立たないこと。ここでは我が身を謙譲している。
・残年
老い先少ない余命。
・秦嶺
中国中央部を東西に連なる山脈。甘粛省・陝西省にわたる。最高峰は太白山(3767m)。この山脈のうち、長安南東の終南山を特に指す事もある。終南山は南山とも呼ばれ、古来より詩の題材とされた。
・藍関
長安南東郊外の藍田関。名は、この付近の山で美しい玉(藍)を産出することに由来する。ここを通り秦嶺を越えていこうとしたとおもわれる。
・前
進む。
・応
再読文字。「まさに…べし」、当然…であろう。
・有意
意味がある、意図がある
・瘴江
瘴気(熱病を起こさせる毒気)を含む川
高校漢文の教科書で見た覚えがありますし、日本人にも割と好まれ知られた漢詩の一つ、と言えるのかもです。
【参考文献】
『近古史談』盛花堂岡村書店
木下聡著『斎藤氏四代 人天を守護し、仏想を伝えず』ミネルヴァ書房
『韓昌黎詩集 巻之十』青木嵩山堂
『精選版 日本国語大辞典』小学館
『日本大百科全書』小学館
『世界大百科事典』平凡社
『大辞泉』小学館
『大辞林』三省堂
『角川新字源改訂版』角川書店
新田大作『漢詩の作り方』明治書院
菅原武『漢詩詩語辞典』幻冬社ルネッサンス
「日本漢字能力検定 漢字ペディア」(https://www.kanjipedia.jp)
関連記事:
by trushbasket
| 2021-01-24 12:50
| NF








