2021年 01月 30日
「直義、尊氏の田楽耽溺に意見」な逸話のソースは〜『続本朝通鑑』でした〜
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足利政権初期、将軍尊氏が政務の大半を弟・直義に委任していたのは日本中世史愛好者の間では有名な話です。それに関連して、以下のような逸話が残されている事もご存知の方は多いかと思います。こんな話です。
尊氏は田楽に耽溺し、直義が政務に関して相談のため訪問しても無駄足になってしまう事が往々にあるほどでした。見かねた直義が意見すると、「政務はそなたに任せているのだ。わしはもう歳を食っているのだし、余生は面白おかしく過ごしても良かろう」と何とも無気力な返答が。そこで直義は妥協案として、「それでは日を決めて田楽をご覧になるようにしてはいかがか。小さな事は私がやりますので、大事な事項については将軍の御裁可をいただきたいです」と提案。尊氏もそれを受け入れたとの事です。
なんだか、「ゲームは一日一時間」と意見されてる小学生を思わせる話ですが、そういえば、この逸話の出どころはどこなのか。それは意外と知られていないように思われます。その辺りについて、亀田俊和先生もTwitterで話題にされていましたので調べてみました。
さて。改めて調べてみたところ、『続本朝通鑑』にあった話らしいです。では、具体的に、『続本朝通鑑』のどこなのか。
結論から申し上げますと、『続本朝通鑑』巻第百三十六、貞和五年五月の記事でした。足利政権成立直後かと思いきや、結構時が経ってからの時期ですね。直義が師直の執事解任を求めたとか、妙吉を近づけていたといった話に混じっての記載です。曰く、
頃間田楽満洛中。貴賤共好之。田楽有本座新座両部。相互争技。殆至闘争。尊氏亦屡徴両部而并見之。直義欲議政。而詣幕府。為田楽被妨而空帰者数矣。直義諫曰。為天下武将。好雑戯妨政務。前代高時之鑑不遠。不可不慎焉。尊氏曰。我既以天下附足下。則事無大小。与師直議而決之。何労我哉。我既近半百。以遊戯慰余命而已。直義曰。然則定日翫田楽。以慰心目。而時時聞大政而可也。細小之事。小弟竭力勤之。尊氏頷之。毎月三日。以見田楽為式。
(林恕編『本朝通鑑 第十二』国書刊行会 3893頁)
〈超意訳〉
このところ、田楽が京都中で大流行し、身分の上下を問わずみなこれを愛好した。田楽にも本座と新座という二つの流れがあり、そらぞれが技芸を競い合い、危うく乱闘に至る事もあった。
尊氏もまたしばしば両方の流派をそれぞれ招き、いずれをも見物していた。直義が政務に関して尊氏と相談しようとして幕府に赴いたが、尊氏が田楽見物に興じていたため相談できず虚しく引き返す。そういった出来事が何度かあるほどであった。そこで直義は尊氏を諌め、こう言った。
「天下に君臨する将軍の身でありながら、遊興に耽って政務を蔑ろにするのは如何なものでしょうか。先代の北條高時が同様にして身を滅ぼした悪しき前例はつい最近の事ではありませぬか。どうか謹んでいただく訳には参りませぬか」
尊氏は答えた。
「わしはもう、天下の事はそなたに任せているではないか。大事であれ小事であれ、師直と相談して然るべく計らってくれたらよかろう。なぜわしを煩わすのじゃ。わしはもう五十にも近い。遊興で面白おかしくすごし余生の慰めとするだけじゃ」
そこで直義はこう述べた。
「それでは、日を定めて田楽を御覧になり心の慰めとなさってはいかがか。そうして時にふれて重大事があれば御裁可下さい。小さな事は、私が尽力して兄上を煩わせぬように致しますので」
尊氏はそれを聞いて頷いた。かくして、毎月三日、田楽を楽しむのが通例となった。
で、このすぐ後の六月に起きた四条河原での田楽桟敷崩壊という大惨事の話に繋がる、と。
『続本朝通鑑』は徳川前期に人見竹洞らによって編纂された史書です。確認された初出がこの書、という事は、この逸話、後世の創作である可能性が高いかもです。まあ、この手の面白おかしい逸話にはありがちな事ではありますが、少し残念。
とはいえ、具体的にどの書のどこに書かれているか、を提示できたのは多少なりとも南北朝愛好者の皆様のお役に立てたかな、と。今回はそれを喜びとして筆を置きたいと思います。
【参考文献】
伊藤礒十郎『田楽史の研究』吉川弘文館
林恕編『本朝通鑑 第十二』国書刊行会
『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞出版
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尊氏にこうした逸話が生まれたのは、こちらで述べた側面があるのが一因かも。
この辺りも、尊氏に「どこか現世を突っ放した目で見ている」イメージが生じる一因でしょうか。実はこの八文字と共に「天下政道不可有私」と為政者としての責任感を窺わせる八文字も書くのが通例だったそうですが。
こちらも、有名だけど真偽が怪しい逸話。
by trushbasket
| 2021-01-30 20:19
| NF








