2021年 02月 27日
「重瞳」について〜偉人のしるし?〜
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2月26日は、南北朝愛好者としては高師直・足利直義の命日。さて、高師直といえば『逃げ上手の若君』にも今週をもって正式に登場しました。足利尊氏も後醍醐天皇天皇から一字を賜って正式に「尊氏」となりましたし、南北朝史劇としてもいよいよ本格的になっていくものと期待されます。今後も要注目。
とはいえ。今回はそういった方向に関係した話をしたかった所ですが、遺憾ながら手元にネタの持ち合わせがなく。という訳で、残念ながら全く別方面のお話をさせていただこうかと。
「重瞳」という相をご存知でしょうか。一つの目に瞳が二つある事を指すそうです。現代人たる我々からすれば、身体的特徴の一つである、という以上の意味はないかとは思います。ただ、昔の人にとっては、特別な意味を持っていたのか、史書にもちらほら記録が残っていたりするようで。今回はそれについて少しお話ししてみようかと。
なお、同じ二つの瞳でも、上下にあるのを「舜眼」、左右にあるのを「雙眼」と称して区別するようです。人相学的には「舜眼」が仁徳に恵まれた聖人の相である一方、「雙眼」は剣難があるという話もあるそうですが、真偽や当否は存じません。ともあれ、人相を見る上で特殊な意味を見出される相な事は間違いなさそうですね。
重瞳に関して有名なのは、『史記』項羽本紀末尾にある記述ではないかと。すなわち、古代の聖人天子たる舜も、秦末の覇王・項羽も重瞳であったという話です。
他にも、孔子の愛弟子・顔回、春秋覇者の一人にも数えられる越王勾践、前漢から一時的に天下を奪った新の王莽、後涼建国者・呂光、隋における天台宗の開祖・智顗、五代十国における南唐後主・李煜にも重瞳という伝承があるらしいです。我が国でも豊臣秀吉や由井正雪がそうだったという言い伝えもあるそうで。我等が足利尊氏については、その手の話は見つけられませんでしたが。
やはり、聖人とか天子・天下人とかに相応しい特性とみなされていたものでしょうか。中には亡国の君主や叛逆者もおりますけれども。創作作品から例を挙げると、近松門左衛門『唐船噺今国性爺』などにも「大貴人の相」の一つとして描写されています。特に舜の事例から転じて、王禹偁『待漏院記』に「重瞳屡回」とあるように、またこちらで頼山陽が後醍醐を指して「重瞳」の語を用いているように、天子の眼の尊称として用いる事もあったとか。
もっとも、そんな伝承があるのは聖人・天子・天下人に限らないようですが。例えば梁の武帝に仕え文人としては律詩の基礎を作り史家もしても『宋書』を編纂した沈約、隋の魚倶羅、明の書家・聶大年といった人々もそんな話があったとか。あとは、我が国の平安前期に活動した三論宗僧侶・実敏にも『日本文徳天皇実録』にそんな記録がありました。ただ、彼らも当時の人々から尊重されたであろう人物ではありますし、敬意を持ってこうした記録が残されたとは見ることができそうですね。
現代人たる我々からすれば、重瞳だからとう、という単純な話でないのは無論の事です。あくまでも身体的特徴の一つであり、それ以上でも以下でもない。とはいえ、時代や地域によっては、聖人・天下人・賢人といった特別な意味を付された印象がある記録ですね。「見通す力が、そうでない人より高い」とみなされたものでしょうかね。
【参考文献】
『日本国語大辞典』小学館
『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』ロゴヴィスタ
池田桃川著『江南の名勝史蹟』日本堂書店
司馬遷『史記I 本紀』小竹文夫・小竹武夫訳 ちくま学芸文庫
『湖鏡集』慶應義塾大学提供
張鼎思『琅邪代醉編』古典研究会
御手洗辰雄『三木武吉傳』四季社
『日本文徳天皇実録 八』出雲寺和泉掾
『日本人名大辞典』講談社
『近松門左衛門全集第九巻』春陽堂
『古文真寳新釋 後集』博文館
池田四郎次郎著『故事熟語大辞典』宝文館
「青空文庫」(https://www.aozora.gr.jp)より
「風巻景次郎 中世の文学伝統」(https://www.aozora.gr.jp/cards/001479/files/50931_41896.html)
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| 2021-02-27 20:53
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