2021年 03月 06日
楠木正行の新たな人物像と、『太平記』逸話を整合させてみる
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今、『南北朝武将列伝南朝編』を少しずつですが読み進めています。比較的名の知れた人もあり、一般には無名ながら重要な働きをした人もあり。話題になったところでは、『逃げ上手の若君』の主人公・北条時行も取り上げられています。
さて、こうした武将の中には、従来のイメージとは異なる姿が提唱された人もいます。その一人が、楠木正行。
楠木正行は、楠木正成の子。鎌倉の大軍を翻弄した父と同様、南朝の忠臣・名将として知られます。圧倒的優勢にあった足利軍をしばしば撃破するものの、最後は四条畷の戦いで高師直率いる大軍の前に敗北し討ち死にしました。最後の出陣前の事として、正行が討死を覚悟して如意輪寺に辞世を書き記したという逸話を『太平記』は記しています。それもあってか、正行は悲劇の名将として語り継がれてきました。
しかし、本書が提唱する正行像は些か異なるようで。生駒孝臣先生は、正行の事績や戦歴から「悲壮な武将」というより「自身の戦略・戦術に絶大な自信を持つ、好戦的な人物像」(亀田俊和・生駒孝臣編『南北朝武将列伝南朝編』戒光祥出版 256頁)、「年齢相応の若く血気盛んな性格の人物」(同書 265頁)を読み取っています。『太平記』における時世の逸話は、四条畷での最期から逆算して創作されたものだった可能性についても言及されています。蓋然性・妥当性はあるお話だと思います。
とはいえ、せっかく人口に膾炙した逸話。積極的に否定する証拠が見つからない限りは、可能性を否定せず新たな人物像と両立させる方向で今回は考えてみたい、とも素人としては思ってしまいます。逸話が持つ意味の解釈は、変わるかもですが。という訳で、今回はまた根拠に乏しい妄想が多めの記事になります。ご了承下さい。
生駒先生が提唱された正行の人物像からは、個人的には平野耕太先生の人気漫画作品『ドリフターズ』に登場する戦国武将・島津豊久を連想させられるものがあります。…考えてみたら、「最期に決死の突撃を行い生命と引き換えに敵を恐怖させたとされる」という共通点がありましたね、正行と豊久。
戦場においては圧倒的な強敵に怯まず、それだけに辛辣な手段を選ぶのも躊躇わず、
こいは合戦ぞ 首の掻き合いに道理なぞあらんぞ 使える手ぇば何でん叩っ込まねば 相手に申し訳ばなかど(平野耕太『ドリフターズ』(4)少年画報社 129頁)
と不敵な笑顔で嘯く。そんな感じのキャラクターだったのかも。そんな気がしてきます。正行を特徴付ける特徴は「悲壮」でないならば何か、その答えは「狂奔」だったのかも。そう思わされます。「乱世の武将に必要な能力 人を戦に駆り立てる力」(平野耕太『ドリフターズ』(2)少年画報社 62頁)だそうですし、鮮やかな戦果で名を轟かせた正行には相応しいかも。
ひょっとしたら、細川顕氏や山名時氏は正行に敗れた際に
首置いてけ なあ 大将首だ!! 大将首だろう!? なあ大将首だろうおまえ(平野耕太『ドリフターズ』(1)少年画報社 108頁)
と追い縋られたのかしらん、などと思ってしまいます。うん、これは如何に歴戦の勇者でも暫く夢で魘されると思う。
その一方で、正行が死を覚悟していなかった訳では無論ないでしょう。圧倒的劣勢の下で強敵に挑む彼の戦いは、常に死と背中合わせ。何か一つ不確定要素、不運があれば破滅に繋がります。正行がいかに己の力量に自信があろうとも、それは十分認識していたであろうかと思われます。「挙兵以来、幕府軍との合戦に際して常に「決戦」という意識で臨んで」(亀田俊和・生駒孝臣編『南北朝武将列伝南朝編』戒光祥出版 262頁)きたのなら尚更のこと。しかし、正行は「それもまたよし」と思っていたのかも。事ならず命運尽きた時の想定について問われたならば、
さぱっと死せい 黄泉路の先陣じゃ 誉れじゃ(平野耕太『ドリフターズ』(2)少年画報社 168頁)
と事もなげに爽やかな表情で言い放ってたとしても、違和感ない気はします。
そもそも、戦場であろうがなかろうが、人はいずれ死ぬ。それならば。「帝の御盾となって、大敵を相手に華々しく散る」というのは死に方としては悪くはない。平生から正行がそう思っていたとしても不思議はありません。現代人としては「えー?」となる考えではありますが。無論、最後まで飽くまでも勝つつもりではいたでしょう。勝ち抜いて天下を動かし大功を立てるのが最善ではあったでしょう。そして、それに伴って栄達を果たすのが基本的な夢でではあったかも。しかし、それがならぬとしても、「英雄的な散華」は次善、くらいに思っても不思議はありません。何もなしえぬままに酔生夢死より余程良い、常日頃からそう考えていた可能性は十分ありえます。「血気盛んな若武者」ならば。「這うて悔いて死ぬか 疾って夢見て死ぬか」(平野耕太『ドリフターズ』(2)少年画報社 62頁 27頁)の二択なら、迷わず後者を選びそう。となると、戦いの前には常に辞世を準備して臨んでいても不思議はありません。そして、折々に推敲を加えていたりしてもおかしくない。
そうした視点で上記の人物像と整合性を持たせる方向性から「如意輪寺の辞世」エピソードを見ると、従来信じられていたのとは意味合いが変わってくるように思います。思えば、問題の場面に至る直前、正行は後村上天皇に謁見し、「以前、両度の戦ひに勝つ事を得て、敵軍に気を屈せしめ、叡慮先づ憤りを慰する条、累代の武功、返す返すも神妙なり」(兵藤裕己校注『太平記』(四)岩波文庫 212頁)とこれまでの勲功を讃えられると共に「朕、汝を以て股肱とす。慎みて命を全うすべし」(同書 同頁)(要は「そなたを頼みにしている、命を大事にしてくれ」)と言葉をかけられています。「帝からお褒め頂いた」、それは正行にとっては、恐らく非常な感激をもたらす出来事だったのではないでしょうか。その興奮が冷めやらぬ勢いで、寺の壁に湧き出る言葉を書きつけたのかもですね。この時に正行の表情にあったのは「悲壮感」ではなく、あたかも『麒麟がくる』で蘭奢待を賜った際の織田信長を思わせるような「恍惚」だったのかも。ちょっと、そんな気がしてきました。
現代人視点からすればシュールな光景かもですが、これなら「あくまで勝つつもりだった」正行と辞世を書き付けた逸話の整合性が何とかとれる…かも。
最後にもう一度。今回の内容は、あくまでも素人の僕が根拠に乏しい状況で妄想した事を書き連ねたものにすぎません。くれぐれも、間に受けないように。それでは。
【参考文献】
亀田俊和・生駒孝臣編『南北朝武将列伝南朝編』戒光祥出版
兵藤裕己校注『太平記』(一)〜(六) 岩波文庫
平野耕太『ドリフターズ』(1)〜(6) 少年画報社
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※2021/3/10 日本語がおかしい箇所があったので修正。
by trushbasket
| 2021-03-06 20:02
| NF








