2021年 03月 22日
プラスの意味合いで後世から「童貞」とされた一例〜南北朝動乱から〜
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どうも、大変にご無沙汰しております。松原左京です。ネタ切れが恒常化していたのと、リアル多忙が続いたのとで長らく不在にしておりました。今回、生存確認も兼ねましてノコノコ出て参った次第。
本ブログ、南北朝時代絡みの話題が多いですね。『童貞の世界史』に関連した話はしにくい時代なので、私は基本的に取り上げずにきましたが、今回は南北朝絡みといえば絡みなお話を致そうかと。
今日ではしばしば負のレッテルとして用いられがちな「童貞」。しかし、歴史を顧みれば、時には宗教的敬虔や神秘性にもつながるような正の意味合いが持たれた事は、拙著『童貞の世界史』や本ブログ記事でしばしばお話した通り。今回、南北朝時代を代表する軍事的英雄絡みでそんな話題を致します。
北畠顕家は、後醍醐天皇から奥州(現在の東北地方)へ統治者として派遣され、現地の軍勢を率いて足利尊氏の軍をしばしば破った人物です。名門貴族として生まれながら、華々しい軍事的栄光を重ねた事、若くして戦死した悲劇性もあって知る人ぞ知る英雄です。私がこれ以上申し上げるとボロが出そうですし、詳細はN Fがまとめてくれていますから、こちらをご覧下さい。結構古いレジュメですし参考文献などから見るに、現在の研究動向からは乖離してるかもしれません。でもまあ、概略を掴むには十分かと。
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北畠顕家
さて、この顕家について、南朝方に焦点を当てた本(出版は1981年)が以下のように述べています。曰く、
顕家は二年の在任で、すっかり戦陣の起居に馴れた。根は根からの大宮人、任は国司という文官なのだが、いつか純粋花のようなこの童貞の人は、自身を馬上の将軍にきたえていた。(坂井藤雄『征西将軍懐良親王の生涯』葦書房 178頁)
とのこと。文脈上、そして書物の性質上、この南朝方の名将を称える目的な文と見てまあ間違いないでしょうから、この「童貞」という語句もプラスのニュアンスで捉えるべきでしょうね。性的純潔が神秘的・肯定的な意味合いで捉えられるケースがままあるのは以前にご紹介した通りですし、著者もおそらくはそういった意図でこの言葉を挟んだものと思われます。
もっとも、実際に顕家がこの時点で童貞だったかは、疑問符がつきます。少なくとも、生涯童貞ではなかったと推測されます。と申しますのは、聞くところによると、顕家には顕成なる息子がおり、浪岡御所家の祖となっているのだとか。ただし、色々謎に包まれた存在であり、顕家の活動期間や生涯の短さから本当に顕家直系子孫かは疑問視する説もありはするそうですけれども。まあ、あの時代のあの年齢なら子がいても自然な気はしますけど。それでも、確証が持てるほどの材料はないというのが、妥当な結論なんでしょうな。
関連サイト:
「史劇的な物見櫓」(http://www2s.biglobe.ne.jp/tetuya/REKISI/REKISIMENU.HTML)より
「南北朝列伝 き2」(http://www2s.biglobe.ne.jp/tetuya/REKISI/taiheiki/jiten/ki2.html)
まあともあれ、比較的近年に「童貞」という語が肯定的な意味合いで歴史的偉人に対して用いられた事例ではありますので、取り上げる事にしてみました。
参考文献:
坂井藤雄『征西将軍懐良親王の生涯』葦書房
中村孝也著『北畠顕家卿』 小学館
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by trushbasket
| 2021-03-22 16:18
| 松原左京









