〈過去記事紹介〉容姿への劣等感をバネにしてギラギラと自分を高めようと心がけた近代文豪の話
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最近流行している歌に、『うっせえわ』というのがあるそうですね。歌っているのは、Adoさんという方。大人社会への理不尽や不合理などに対する若者の鬱屈が歌い上げられた曲、と解釈してよさそうな。まあ、こうした若者による大人へのプロテストソングは割と色んな形で色んな世代で見られるイメージです。こうした青少年の鬱屈なり悲憤慷慨なりが、時に文化を紡ぎ、時に時代を動かす。そう思うと面白くはあります。…呑気な事言ってますけど、僕ももう彼らから鬱屈を向けられる側の年代の筈なんですよね…。しっかり受け止められる大人でありたいものですが、はてさて。
閑話休題。今回、話の枕にしたいのは、Adoさんの別の曲。『ギラギラ』という歌です。具体的な歌詞は個別に調べていただければ幸いですが、自らの容姿に劣等感を抱く主人公がそれを跳ね除けて力強く歩み出そうとする内容、という印象。
個人的にこの歌から連想したのは、近代文豪・森鴎外の述懐です。鴎外も自らの容姿に自信が持てず、劣等感に苛まれていた旨を複数の作品で表明していますし、次女・小堀杏奴も同様の証言をしています。
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『ヰタ・セクスアリス』作中で中国恋愛小説を手にしながら
こういう本に書いてある、青年男女の naively な恋愛がひどく羨ましい、妬(ねた)ましい。そして自分が美男に生れて来なかった為めに、この美しいものが手の届かない理想になっているということを感じて、頭の奥には苦痛の絶える隙(ひま)がない。
(森鴎外『ヰタ・セクスアリス』より)
といじけた考えを巡らせる主人公の姿は、まさしく『ギラギラ』の歌詞を思わせるものが。
それでも、鴎外はそれにめげる事なく
人間は親から貰った顔のままではいけない。その顔を自分で作って行って立派なものにしなくてはいけない(小堀杏奴著『晩年の父』岩波文庫 132頁)
と日々心がけていたという話はこちらに記した通り。その結果、杏奴の眼から見ても後輩作家たちから見ても晩年の鴎外の顔は立派なものとなったそうで。この辺りもやはり、『ギラギラ』の内容を連想させます。
更に、人の容姿を悪く言う事についても、
縦(たと)い自分の子供に対してであってもそう言う事を言うものではない(同書 131頁)
という考えを持つに至ったとか。
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鴎外は、近代文学を彩る巨星であった一方、やらかしも色々あった人物であったようです。それでも、少なくともこうした心がけに関しては実に立派であると思います。
【参考文献】
「青空文庫」(http://www.aozora.gr.jp/)より
「森鴎外 ヰタ・セクスアリス」(http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/695_22806.html)
小堀杏奴著『晩年の父』岩波文庫