大関陥落後、再度復帰した事例について(昭和以降)
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2021年3月場所、照ノ富士が3度目の優勝を果たし大関復帰を確実なものにしました。一時は怪我のため序二段まで番付を下げながらの再起ですから、感無量かと思います。
ご存知の方も多いかと思いますが、大関陥落した場合は次の場所は関脇に下がり、そこで10勝以上すれば一場所で復帰できます。その制度によらず、再び三役で三場所好成績を重ねて復帰したのは、魁傑以来だとか。
そこで今回は大関陥落後に復帰した事例を調べてみようかと。参考にしたのはこちらのサイト。
関連サイト:
「相撲レファレンス」(http://sumodb.sumogames.de/Default.aspx?l=j)
「大相撲≒おつかれマツェラート」(http://www6.plala.or.jp/ma214/)
まずは、陥落直後に関脇で10勝以上して大関復帰した事例。※はのちに横綱昇進した事例です。○は大関時代に優勝経験あり。●は優勝経験はありますが大関時代ではない事例。
76年7月 三重ノ海※● 10勝5敗
00年1月 貴ノ浪○ 10勝5敗
00年9月 武双山● 10勝5敗
04年7月 栃東○ 10勝5敗
05年1月 栃東(二回目)○ 11勝4敗
19年5月 栃ノ心● 10勝5敗
19年9月 貴景勝○ 12勝3敗
次に、この特権によらず再昇進を果たしたといえる事例。昭和以降に限定。
能代潟○ 30年夏 6勝5敗 秋 8勝3敗
(番付はいずれも関脇)
名寄岩 44年夏 7勝3敗 秋 7勝3敗
45年夏 3勝4敗 秋 6勝4敗
(番付はいずれも関脇)
汐ノ海 49年春 関脇 4勝9敗
夏 西前2 10勝5敗
秋 関脇 10勝5敗
魁傑● 76年1月 関脇 7勝8敗
3月 東前1 5勝10敗
5月 西前6 10勝5敗
7月 小結 5勝10敗
9月 西前4 14勝1敗(優勝)
11月 関脇 11勝4敗
77年1月 関脇 11勝4敗
照ノ富士● 17年11月 関脇 0勝5敗10休
18年1月 東前10 0勝8敗7休
3月 西十両5 6勝9敗
5月 東十両8 0勝9敗6休
7月 東幕下6 全休
9月 東幕下47 全休
11月 西三段目27 全休
19年1月 西三段目88 全休
3月 西序二段48 7戦全勝
5月 東三段目49 6勝1敗
7月 東幕下59 6勝1敗
9月 東幕下27 6勝1敗
11月 西幕下10 7戦全勝[優勝]
20年1月 西十両13 13勝2敗[優勝]
3月 東十両3 10勝5敗
5月 開催中止
7月 東前17 13勝2敗(優勝)
9月 東前1 8勝5敗2休
11月 小結 13勝2敗
21年1月 関脇 11勝4敗
3月 関脇 12勝3敗(優勝)
魁傑も十分大したものですが、照ノ富士がたどった苦難の壮絶さが改めてよく分かります。それだけに、前途に幸あれと思わずにいられません。
大関復帰に関するルールができたのは1969年7月らしいのですが、それまでの復帰基準は不明瞭な感じはします。以前は「一場所で返り咲けるのは特権とは言え甘いかも」と思ったのですが、こうしてみるとむしろこのルール策定で復帰のハードルが厳格化された印象。陥落直後場所だけですし、チャンスは。事実、それから1900年代の間は三重ノ海のみ。三重ノ海は最終的に横綱になっていますから、それだけの実力がないと厳しかったのかも。2000年代以降に6回(5人)と増えたのは興味深いところ。こちらは横綱昇進者こそいないものの全員が優勝を経験しており、しかも貴ノ浪、栃東、貴景勝は複数回優勝・大関時代優勝(すなわち「綱盗り」挑戦を経験)を果たしています。やはり「大関陥落も一場所で復帰」は、実力者の証なのかも。
そして。魁傑および照ノ富士も、複数回優勝経験者です。大関特権によらず再昇進を果たしている訳ですから、こちらも実力者なのは当然のこと。さらに不屈の精神力の持ち主である事も示していると言えるでしょう。
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最後は照ノ富士の前回大関昇進時に書いた記事です。








