永井荷風が引用する、清の詩人たちの絶句二つ〜呉錫麒と趙翼、『偏奇館漫録』から〜
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今日の日本人は、唐詩以外の漢詩に親しんでいるとは言い難い人が少なくないかと思います。恥ずかしながら、僕もそうです。しかしながら、徳川期や明治期の文人たちの間では、それ以降の詩人や作品も広く知られ親しまれていたもののようです。今回、その一例として永井荷風が随筆『偏奇館漫録』で引用した清時代の七言絶句を二つご紹介しようかと存じます。
偏奇館とは、荷風が大正九年(1920)から居住した麻布の木造二階建洋館です。ペンキ塗りであることから、荷風がこう命名したのだとか。偏奇館への転居を契機に描き始めたこの随筆で、荷風は自分が「花卉を愛する事人に超え」ており旧宅では毎年のように種を蒔き世話していたが、今は「花を植えず独窓に倚り隣家の庭を見て娯しめり」(永井荷風『偏奇館漫録』より)という状況で、そうした心境を語るついでに清代詩人による二つの詩を引用しているのです。今回は、その二篇をご紹介しようかと。
まずは一首目。
訪秋絶句 呉錫麒
豆架瓜棚暑不長
野人籬落占秋光
牽牛花是隣家種
痩竹一莖扶上墻
豆架 瓜棚 暑 長からず
野人の籬落 秋光を占む
牽牛花は是れ 隣家の種
痩竹 一莖 扶けて墻に上る
〈超意訳〉
豆の台や瓜の棚では、暑さは長くは続かない。
庶民の家の垣根には、秋の気配が占めている。
朝顔は、隣の家が植えたもので、
細い竹棒をその茎が一本、支えにして垣根へと上っている。
平仄及び押韻は下記の通り。○が平声、●が仄声、△はいずれも可、◎は韻脚になります。平仄を始めとする漢詩の規則については、こちらをご参照ください。下にあるサイトも参考にしました。
関連サイト:
「平仄くん」(http://kanshi.work/pinyin/index.php)
●●○○●●◎
●○○●●○◎
○○○●○○●
●●●○○●◎
韻脚は「長、光、墻」で、平下声七陽です。
・呉錫麒(1746-1818)
浙江省銭塘の人。字は聖徴、穀人と号した。乾隆時代に科挙に及第し、国子監祭酒となっています。後に揚州の安定楽儀書院で教育に従事。駢文や詩書に名声があり『有正味齋集』を著している。
・架
物を立てかけたり乗せたりする台
・暑不長
豆や瓜が、「緑のカーテン」の役割を果たしていたものであろうか。
・野人
ここでは、民間の人、在野の人。
・籬落
竹や柴で編んだ垣根。まがき。
・牽牛花
朝顔。ウシヒクバナとも。ヒルガオ科の一年草。大切な牛を牽いて薬草たる朝顔と交換した故事に由来する。
・扶
たすける、傍から支える。
・墻
垣と同じ。家や庭など一区画の囲い。
次に二首目。
絶句 趙翼
十笏庭斎傍水涯
鳳仙藍菊燦如霞
老知光景奔輪速
不種名花種草花
十笏の庭斎は水涯の傍ら
鳳仙 藍菊 燦たること霞の如し
老いて知る 光景 奔輪の速
名花を種えずして草花を種う
〈超意訳〉
十笏園は水のほとりのすぐ傍にある。
そこでは鳳仙花やエゾギクが春霞のように鮮やかに咲いている。
とはいえ年老いて分かった事だが、こうした目の前の景色も疾走する車輪のような速さでうつろい失われてしまうものだ。
それには耐えられないから私は、こうした園芸で持て囃されるような名高い花の種はまかず、無名の草花の種をまいて鑑賞している。
この詩の平仄と押韻は下記。
●●○○○●◎
●○○●●○◎
●○○●△○●
●●○○●●◎
韻脚は「涯、霞、花」で、平下声六麻です。
・趙翼(1727-1812)
清代の詩人・史学者。江蘇省陽湖の人。字は雲松、甌北と号した。科挙に及第し翰林院で『通鑑輯覧』編纂に関与。地方官を経て退官し著述に日を送った。主著には正史の考証をした『二十二史箚記』や言語などの典拠を記した『陔余叢考』、歴代詩人を論評した『甌北詩話』などがある。詩人としても袁枚や蒋士銓と共に「乾隆三大家」と称される。
・十笏
十笏園。山東省濰坊市にある名庭園。
・水涯
水のほとり
・鳳仙
ホウセンカ。ツリガネソウ科の一年草。
・藍菊
エゾギク。キク科の一年草。
・燦
鮮やかに光り輝く様子。
・光景
目の前に広がる眺め。または、日の光。
・奔
はしる。疾走する車を「奔車」と称する事から、「奔輪」は疾走する車輪という意味か。
【参考文献】
「青空文庫」(https://www.aozora.gr.jp/)より
「永井荷風 偏奇館漫録」(https://www.aozora.gr.jp/cards/001341/files/59940_73051.html)
内田泉之助監修、村山吉廣編『中国の名詩鑑賞10 清詩』明治書院
齊召南『西藏諸水編』著易堂
川島楳坪編『湖海詩伝鈔二篇 乾』盛化堂
『大辞泉』小学館
『日本大百科全書』小学館
『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』ロゴヴィスタ
『精選版 日本国語大辞典』小学館
『世界の観光地名がわかる事典』講談社
『動植物名よみかた辞典 普及版』日外アソシエーツ
「文化遺産データベース」(https://jpsearch.go.jp)より
「行書遊西山詩冊」(https://jpsearch.go.jp/item/cobas-143667)
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