『童貞の世界史』落選者列伝 宇野明霞〜江戸時代京都の誇る、一徹な儒者〜
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2021年 06月 19日
どうも、松原左京です。ご無沙汰しています。本当に久しぶりになりますが、『童貞の世界史』落選者列伝をさせて頂こうかと存じます。今回取り上げるのは、宇野明霞(1698-1745)。江戸時代中期における京都の儒者です。 明霞は近江国(滋賀県)野洲の商家に生まれました。名は鼎、通常は三平。家業よりも学問に興味をひかれ、儒者・柳川滄洲(木下順庵の弟子)や黄檗僧・大潮元皓に学びました。やがて江戸で名を馳せる儒者・荻生徂徠に憧れるようになります。しかし自身は病気のため長旅に耐えられないと判断し弟・士朗を入門させ、彼を通じて徂徠の学を知ったようです。そして京都で初めて徂徠の学を講義したのはこの明霞だったとか。 しかしながら、やがて徂徠の学説に疑念を抱くようになり、異説を唱えるようになっていったそうです。士朗ともども「平安二宇」と称され、江戸時代中期の京都を代表する儒者の一人と見て良さそうです。著作には『論語考』『名公四序評』『春秋左氏伝考』『明霞先生遺稿』などがあります。 さて、この明霞。その為人は狷介で、諸大名からの招きにも応じる事なくもっぱら講説のみを生業とし、厳格な生活態度を保ちつつ「終身妻妾も娶らなかった」(瀧澤精一郎『飛花落葉の風 専応口伝 花・茶・禅』大学教育社 73頁)そうです。 その禁欲的な生き様からして、「遊び」をした雰囲気ではなさそう。なので生涯童貞であった可能性は十分感じるのではありますが、なにぶん資料不足であり、証拠不十分と判断せざるをえませんでした。 参考文献: 瀧澤精一郎『飛花落葉の風 専応口伝 花・茶・禅』大学教育社 今中寛司著『徂徠学の基礎的研究』吉川弘文館 張文朝編訳『江戶時代經學者傳略及其著作』万巻楼図書出版公司 『日本人名大辞典』講談社 『精選版 日本国語大辞典』小学館 『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞出版 「青空文庫」(https://www.aozora.gr.jp/)より 関連記事:
by trushbasket
| 2021-06-19 20:27
| 松原左京
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