2021年 07月 04日
釣り人を描く文人画?の話〜浦島か、厳光か〜
|
森鴎外晩年の史伝『伊沢蘭軒』は、徳川後期の医師・漢詩人である伊沢蘭軒およびその子孫の事績を追った傑作です。
この蘭軒、若い頃に長崎奉行が赴任するのに同行した事がありました。この時の紀行文について、鴎外は詳しく紹介しています。だいぶ前になりますが、何回か、本ブログでも紹介した事がありました。今回、久々にこの紀行文を題材にしてみようかと。
文化三年五月二十七日のこと。奉行一行は信濃国上松駅に着きました。上松とは長野県木曽郡上松町にある地名で、中山道の宿場です。木曽の桟道などで知られます。
現地の臨川寺に立ち寄った際に蘭軒は一幅の絵画を閲覧しています。絵の内容について蘭軒は
「一人物巾を頂き裘を衣たり。舟に坐して柳下に釣る。」
「筆迹松花堂様の少く重きもの也。寺僧浦島子の象なりといふ。全く厳子陵の図なり。」
と記録(引用部は森鴎外『伊沢蘭軒』より)。
ここで、(おそらく絵に付けられた讃の)筆跡が似ているという「松花堂」とは、徳川初期の僧・松花堂昭乗(1584-1639)のこと。石清水八幡宮滝本坊の社僧で、書画や和歌、茶の湯などに長じた風流人でした。本阿弥光悦や近衛信尹とともに寛永三筆とされ「滝本流」としてその書風は長く流行したそうです。
「浦島子」とは、いわゆる「浦島太郎」の事。「厳子陵」とは後漢初期の隠者・厳光の事です。光武帝劉秀の学友だったため、諫議大夫の位で誘われましたが仕官を断り釣りをしながら隠者として生涯を送りました。我が国でも画題として好まれ、狩野永徳や海北友松らが描いています。
なお、鴎外は「臨川寺の僧が厳子陵の図を浦島が子となしたのは、木曾の寝覚の床に浦島が子の釣台があると云ふ伝説に拠つて言つたのであらう。」(同書より)と評しています。
寝覚の床とは、上松にある景勝地。花崗岩が浸食によって柱状に割れ目が走った絶壁や甌穴などがあり、奇岩や清流・樹木が織りなす風景が愛されました。伝説によると竜宮城から帰った浦島太郎が住み着き、ここで玉手箱を開けて老人となり立ち去ったとされています。この地の底に竜宮城があるとも言われ、また上述した臨川寺が祀る弁財天は浦島太郎が残したものとされているそうです。この土地、この寺そのものが浦島太郎ゆかりだったのですね。
「釣りをする人物画」の像主ひとつとっても、色々興味深い話題が出てくるものです。
【参考文献】
「青空文庫」
「森鴎外 伊沢蘭軒」
『精選版 日本国語大辞典』小学館
『大辞泉』小学館
『日本大百科全書』小学館
関連記事:
by trushbasket
| 2021-07-04 19:59
| NF








