真夏の暑さを慰める「洗い茶巾」〜元を辿れば利休七哲の故事?〜
|
暑さが厳しい日が続きますね。数年前、暑さを気分だけでも和らげる点前として葉を水指の蓋にするものがある事をご紹介したかと思います。
そして同様に、真夏の盛りにおいて涼しさを演出する点前に、「洗い茶巾」というのがあります。
この洗い茶巾、手元の『茶道辞典』によれば裏千家十三世圓能斎の創案だとか。夏の客に清涼な気分を、という趣旨かは茶碗に八分目程水を入れ、二つ折にした茶巾を縁にかけて持ち出し、点前の最中に茶巾を絞り畳んで見せる趣向です。
そして、「洗い茶巾」の原型は利休とその弟子たちの時代まで遡る事ができると言う話も。原型となる作意をしたとされるのが、瀬田掃部という大名茶人。「利休七哲」に数えられる人物です。瀬田掃部は、名を正忠(のち伊繁)といって豊臣秀吉に仕えました。秀吉に付き従い、九州遠征や小田原攻め、後陽成天皇聚楽第行幸などに姿を見せています。近江に所領を与えられていましたが、文禄四年(1595)に豊臣秀次事件に連座して処刑されたそうです。
この掃部に関して、以下の逸話が『南方録』滅後に記録されています。
掃部は、古高麗の平らな茶碗を保有していました。余りに平らなもので、「湯水のとりあつかい、茶筌すすぎなど、ことの外難儀」(西山松之助校注『南方録』岩波文庫 228頁)なレベルでしたが、「あまり見事なる一体故、秘蔵」(同書 同頁)していたとか。
ある時、掃部は師・利休にこの茶碗へ銘をつけて欲しいと依頼。利休はこれに応じ、この茶碗を「水海」(『茶事集覧』によれば「湖」)と名付けました。掃部の領地が近江にあること、畳十五目ほどの大きさが琵琶湖を思わせるものだった事が理由のようです。そして利休は、この茶碗に合うようにと茶杓を削って茶碗に添えて贈っています。この茶杓が茶碗にかけられた姿を「琵琶湖に架かる瀬田の唐橋」に見立てたものでしょうか。
さて、掃部が初めてこの茶碗と茶杓を用いて点前をした際の事。掃部は茶巾をたたまずに洗い絞ったままの姿で茶碗に仕込んで出し、客の前で捌きたたんで見せたのです。
この作意は実に爽やかなもので、利休も
平目なる茶碗には、夏むき涼しきをこのみて、さらしに仕こむ、一段苦しからず(同書 同頁)
と高く評価されたそうで。
夏は涼しさを演出するのにどうすべきか。それぞれの道具が引き立つためどうすべきか。古来から、茶人たちが悩み工夫を凝らしてきた課題。瀬田掃部も、現在の洗い茶巾を考案した圓能斎も、その点においては同じだったと思われます。季節の点前はいずれも、その時期に合わせて客人をもてなすため工夫が重ねられてきた証と言えそうですね。
【参考文献】
末宗廣『茶道辞典』晃文社
鈴木宗保『裏千家茶の湯』主婦の友社
西山松之助校注『南方録』岩波文庫
筒井紘一『現代語でさらりと読む茶の古典 南方録(覚書・滅後)』淡交社
『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞出版
筒井紘一『茶人の逸話』淡交社
『茶の湯人物事典 略伝・ことば・逸話』世界文化社
関連記事:
「葉っぱを水指の蓋にして~夏を涼しい気分にするための工夫 in 茶の湯~」
「風炉用・炉用柄杓の区分をうまく覚える方法~古歌を利用し、なかなか風流です~」
関連サイト:
「季節を愛でる」(http://www.kisetsu-o-mederu.com/index.htm)より
「風炉・薄茶・運び点前(酷暑)洗い茶巾」(http://www.kisetsu-o-mederu.com/otemae.furo.arijakin.html)








