2021年 08月 21日
篠崎小竹『題義貞祈海神圖』〜久々に南北朝漢詩を〜
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しばらく茶の湯の話題をしてきました。今回は趣向を変えて、久々に漢詩の話を。僕の趣味もあって南北朝ネタ。
南北朝時代を彩る名将たちの一人、新田義貞。戦歴はなかなか立派なものだと思うのですが、同時代に足利尊氏やら北畠顕家やら楠木正成やらがいるせいで、往々にして彼らの陰に隠れる傾向もあって何とも気の毒。
しかしながら、鎌倉政権に対して挙兵し、勝利を積み重ねて味方を増やしついには鎌倉を陥落させた一連の戦いは、義貞の名を天下に轟かせるに足るものだったのは論をまちません。というわけで、今回はこの鎌倉攻め最終盤を題材にした詩を取り上げます。お題は、篠崎小竹『題義貞祈海神圖』。
まずは作者・篠崎小竹(1781-1851)について。大坂生まれの儒者で、名は弼。篠崎三島から見込まれて養子となり、養父から古文辞学の手解きを受けます。更に尾藤二洲や古賀精里から朱子学を学んでいます。仕官せず家塾を継ぎ頼山陽や田能村竹田らと親交を結びました。詩文や書に加え、笛にも長じた風流人だったと言われています。
では、見ていきましょう。
篠崎小竹『題義貞祈海神圖』
寶劍一投潮水乾
鯨鯢就戮中興年
龍神他日猶堪恨
不覆獼猴西上船
(『新釈漢文大系 日本漢詩 上』明治書院 286-287頁)
宝剣一たび投じて潮水乾く
鯨鯢 戮に就く中興の年
龍神 他日 猶恨むに堪へたり
覆さず 獼猴 西上の船
〈超意訳〉
新田義貞が鎌倉攻めの折、難所稲村ヶ崎で神に祈るため宝剣を海に投じた時のこと。祈りが届いたか潮が引いて兵馬が通れるようになった。
かくして、悪逆な北条氏は誅を受けて建武中興がこの年に成立したのだ。
しかしながら、この時に祈りを聞き届けてくれた龍神には、後日の事でそれでも残念に思う事がある。
建武政権に叛いた足利尊氏が西上する際、その船を覆してはくれなかった事についてだ。
平仄及び押韻は下記の通り。○が平声、●が仄声、△はいずれも可、◎は韻脚になります。平仄を始めとする漢詩の規則については、こちらをご参照ください。下にあるサイトも参考にしました。
関連サイト:
「平仄くん」(http://kanshi.work/pinyin/index.php)
●●●○○●◎
○○●●△△◎
△○○●○○●
●●○○○●◎
韻脚は「乾、年、船」で下平声一先。「乾」は上平声十四寒のイメージでしたが、こちらもいけるのですね。
以下、語句解説です。
・宝剣一投潮水乾
『太平記』巻十は以下の話を伝えています。こちらで詳しく触れています。鎌倉政権相手に挙兵した新田義貞は勝利を重ね、稲村ヶ崎から鎌倉市街に攻め入ろうとしました。しかしここは海岸が切り立った崖となっており沖には水軍が監視する難所。義貞は太刀を海に投じて神に戦勝を祈ります。すると崖まで満ちていた波が引いて干潟が現れ、沖の軍船も遠くまで流されて新田軍は彼らの矢の射程外に。かくして義貞らは鎌倉に突入し、北条氏を滅ぼす事ができたのです。
・鯨鯢
鯨はオスクジラ、鯢はメスクジラ。小魚を食い尽くす獰猛な魚とされた。転じて弱者を踏み躙る大悪人の喩えに用いられる。『太平記』に登場する天王寺未来記を作者は念頭に置いている可能性がある。詳しくは後述。
・戮
殺す事。死刑に処す事を意味する事も。
・龍神
水神・海神として信仰の対象となってきた。
・獼猴
おおざる。『太平記』巻六に楠木正成が天王寺未来記を閲覧する場面があるが、そこには「獼猴」のような者が天下を奪う、と予言されている。建武政権を打倒した足利尊氏の事を指すとされる。なお、この未来記では鎌倉北条氏は「東魚」に比定される。この詩で上述したように「鯨鯢」と喩えられるのはそれも念頭にあるか。
・西上船
尊氏は、九州から兵を率いて京に上るにあたって水軍を率いた。
やはり、南朝の名将たちの栄光をうたう詩は、どうしてもその後の悲運とセットになりがちですね。
【参考文献】
『新釈漢文大系 日本漢詩 上』明治書院
兵藤裕己校注『太平記』(一)(二)(三)岩波文庫
『精選版 日本国語大辞典』小学館
『日本大百科全書』小学館
『世界大百科事典』平凡社
『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』ロゴヴィスタ
『大辞泉』小学館
『大辞林』三省堂
『角川新字源改訂版』角川書店
新田大作『漢詩の作り方』明治書院
菅原武『漢詩詩語辞典』幻冬社ルネッサンス
「日本漢字能力検定 漢字ペディア」(https://www.kanjipedia.jp)
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