益田鈍翁、自伝で茶の湯の効能を解く〜茶の湯は健康に良い?〜
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大河ドラマ『青天を衝け』もいよいよ終盤。主人公・渋沢栄一も実業界に身を投じ「日本資本主義の父」たる本領を発揮していく段階に入りました。さて、そんな中で三井の若手として益田孝も登場。この人、「鈍翁」という号を持ち茶人としても名を刻んだ事はご存知の方も多いかと思います。詳細は、こちらのリンク先をご参照いただければ。
関連発表:
「京都大学歴史研究会」(http://kurekiken.web.fc2.com)より
「続茶の湯 数寄者たち」(http://kurekiken.web.fc2.com/data/1999/991029.html)
さて、この鈍翁。『自叙益田孝翁伝』の一節で、茶の湯の健康における効能を述べ立てているのです。曰く、「有名な茶人はみな長生きである」(長井実編『自叙益田孝翁伝』中公文庫 387頁)と述べ、茶を嗜むのは長生きしやすい社会的環境・階層の人が多い事も認めつつ茶の湯自体にも長寿への貢献がある、とも主張しています。
まず、茶人は一通りの事を自分の手でやるから、
客をすると亭主は総計三里は歩かねばならぬということである
こういうふうに、こまめに身体を動かすということは、何よりの養生
(いずれも同書 同頁)
であるとのこと。次に、「茶の懐石では、時節ならぬ物は食わせぬというのが原則」(同書 同頁)であり、時節の食物なればこそ「養分が充実し、あるべきヴィタミンも充分にあるに相違ない」(同書 388頁)と栄養の側面にも言及。
更に、食事時間に関しても。
日本の普通の宴会では、いろいろの食物を出して来る。そして夕刻から九時十時までも飲食をして居る。こんな不養生はないと思う。ところが茶の食事では、決して余分な物は出さない。そして時間がきちんとしている。
(同書 同頁)
他にも、料理する際にも衛生に気を使う、など色々言っています。茶人たちの中でこれらの話がどれだけ当てはまるかは存じませんが、確かに健康に留意する上では有用な話の数々とは言えそう。
もっとも、こうした具体的効能があるから良い、という喧伝には批判的視点もありえます。同時代の実業家茶人・高橋箒庵は『おらが茶の湯』冒頭で「茶の湯と云う事に馬鹿々々しく勿体をつけて、道徳の教訓と結び付け」(『茶の湯人物事典 略伝・ことば・逸話』世界文化社 150頁)る風潮は宜しからずとして
茶の湯は本来趣味である。趣味として之を楽しめば夫れでおらは満足する(同書 同頁)
と言明したのは有名です。無論、これはだから茶の湯は詰まらぬと言っているのではありません。寧ろ逆で、箒庵は「趣味至上主義」を唱えて趣味は万物の霊長たる人間のみが持つもので崇高なものである、とも表明しています。これも大いに頷ける見識だと思います。役に立つかどうかはともかく、箒庵はもちろん鈍翁ら数寄者たちに楽しむ姿勢があってこそ、近代茶の湯は花を咲かす事が出来たのは争えません。
思うに、鈍翁が茶の湯に熱中する事には、過ぎたる遊興とか浪費だとかいった観点から批判の声もあったのでしょうな。実際、渋沢栄一が茶の湯に批判的で鈍翁が板挟みの心境を味わった逸話も残されています。もっとも、上述した鈍翁の自伝を参照する限りでは、渋沢は茶の湯そのものというよりは茶人の道具への耽溺ぶりを攻撃していた感がありますが。まあ、いずれにせよ、鈍翁さんは板挟み。
そうした声に弁明するため、茶の湯には云々の効能がある、といった発言を殊更に表明したものかも知れませんな。
茶の湯に限らず、大概の趣味は何らかの効能もあれば、批判の対象になりうる側面もあるもの。だとすれば、鈍翁のように趣味の効能を意識して最大限活かしつつ、箒庵のように趣味そのものが崇高なものだという心持ちも忘れぬようにしたいものです。
【参考文献】
長井実編『自叙益田孝翁伝』中公文庫
『茶の湯人物事典 略伝・ことば・逸話』世界文化社
『東都茶会記 第二巻』淡交社
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