2021年 11月 13日
江戸時代の宮様が伝授する、茶入の底の茶の掃除法
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濃茶の点前では、抹茶を茶入と呼ばれる器に入れて行います。この茶入、口が小さくて底が深いのが通例ですから、うっかりするとどうしても古い抹茶が掃除しきれず底に残る。だらしないし、次の点前で茶の風味も落ちますから何とかしないとなのですが、僕のようなうっかり者かつ初心者にとっては悩ましい話。
さて、この茶入の底の古い茶の掃除、悩んでいたのは僕だけじゃないようで。茶の湯の歴史に名を残す大茶人が、この問題に言及していました。
徳川初期の皇族に、常修院宮(慈胤法親王)(1617-1700)という人がいます。後陽成天皇の皇子で、天台座主を三度まで務めた当代の大物。書や和歌のみならず茶の湯にも長じており、金森宗和の影響を受けた茶風で後西天皇や真敬法親王に作法の伝授をしたといいます。次世代の近衛家煕(1667-1736)ともども、それまで遊興的性格が強かったとされる宮中の茶の湯を金森宗和風の茶に転換させるのに大きな役割を果たした人物と言えます。
さて、この常修院宮が、「茶入の底に残った古い茶をどうするか」問題に言及しているそうです。その発言が記録されているのは、『槐記』(※)という書物。そこにはこんな言葉が残されているとか。
茶入の底は、能々に能く払ても、未茶の残りてあるものなり。何心なく入るると、新茶の中に古臭き香ありて、自堕落に見ゆるものなり。此底の茶の取りようあり。挽茶の葉を入れて、内にて粉にして払えば、抹茶よく出るものなり(『茶の湯人物事典 略伝・ことば・逸話』世界文化社 120-121頁)
臼で引いて粉にする前の茶葉を入れ、茶入の中で砕いて粉にして払うと古い茶も一緒に出てくる。そういう事のようですね。茶の湯をやる人にとっては、頭の片隅に置いておくと損のないライフハックとは言えるかも。…まあ実はきっちりやってる人たちの間では常識だった、とかなのかもしれませんが。
※槐記
近衛家煕の侍医・山科道安が家熙の言行を記録したもの。詩歌、茶の湯、立花、書などに通じた家熙の多芸多才ぶりがうかがえる。
『槐記』には、他にも常修院宮が家熙に語った茶の湯話が色々あるそうです。こうして、次世代に伝えられる事で朝廷の茶の湯も変わっていったのですね。
【参考文献】
『茶の湯人物事典 略伝・ことば・逸話』世界文化社
『日本人名大辞典』講談社
『日本大百科全書』小学館
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by trushbasket
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| NF








