2022年 01月 30日
今は馴染みない一月の年中行事「子の日」〜元来は鼠害予防のための風習?〜
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今年の一月も、早くも過ぎようとしています。さて、一月と言えば、勅撰和歌集を紐解いている際に春の部に今日では馴染み深いとは言い難い行事を題材にした歌が頻出します。その行事とは、「子の日」(ねのひ)。
「子の日」とは、一月最初、すなわち一年で最初に「子」にあたる日のこと。昔、宮中ではこの日に、野に出て小松を引き若菜を摘んで、宴を催して長寿を祈ったそうです。若菜は天皇に内蔵寮・内膳司から献上されるのが習わしだったようです。これは年頭にあたり松の寿を身につけ若菜の羹で邪気を払う、といった意味があるのではないか、と推測されているようです。
しかし南方熊楠によれば、根源的には養蚕絡みの行事が中国・朝鮮半島から我が国に伝わり変形したものではないか、というのです。
熊楠の『十二支考』によれば、中国や朝鮮半島では子の日に鼠の害を予防するため田畑を焼く風習があったそうで。それが日本に伝わり「蓍に小松を添えて帚と為し、初子の日に蚕室を掃除し初むる行事が宮廷に及ぼして子の日の御宴に玉帚を賜うて一盃やらかしたもうに至った」(南方熊楠『十二支考 鼠に関する民俗と信念』より)らしいです。この箒については『袖中抄』に記載がありますし、『万葉集』にも大伴家持が宮中の宴で箒を賜った事を詠んだ歌が収められています。
なお、この記述の少し後には「この日小松を引いて松明を作り鼠を燻べて年内の鼠害を禁じたのが子の日に小松を引いた起りで、後には鼠燻しは抜きとなり、専ら小松を栽えて眺め飲み遊ぶに至った」(同書)ともあります。松は箒である一方、松明でもあったのでしょうか。朝鮮半島でもかつてはこの日に「宮中で小官吏が炬に火を付けて大声に鼠燻し鼠燻しと呼んで庭内を曳きずり廻した後、王様から穀物の煎ったのを入れた袋を賜わった」(同書)という風習があったそうで、野焼きといい火で鼠を追いやるというコンセプトがあったのでしょうかね。
子の日なのは養蚕などで「専ら鼠害を厭する意」(同書)だろうと熊楠は推定しています。箒にせよ、松明にせよ、鼠害対策という点では共通する様子。
それが、宮中行事になってから野遊びや宴に変質していった、という事のようです。なぜ宮中行事に定着したかまでは調べ得ませんでしたが、松が長寿を連想させ新年の行事として相応しかったからかもしれませんな。
なお、盛大に行われた子の日の遊びとしては、円融天皇時代の寛和元年二月十三日のそれが知られているそうで、「必ずしも正月に限らず二月に行うた事も」(同書)あると熊楠によって指摘されています。
【参考文献】
『精選版 日本国語大辞典』小学館
『大辞泉』小学館
『世界大百科事典』平凡社
「青空文庫」(https://www.aozora.gr.jp)より
「南方熊楠 十二支考 鼠に関する民俗と信念」(https://www.aozora.gr.jp/cards/000093/files/4790_35939.html)
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by trushbasket
| 2022-01-30 18:16
| NF








