歌枕「末の松山」〜変わらぬ想いの象徴として頻用〜
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契りきな かたみに袖を しぼりつつ すゑの松山 波こさじとは
〈超意訳〉
約束しましたよね、違いに涙で濡れた袖を絞りながら、末の松山を波が越えないように、私たちの相思う心も変わるはずはない、と。
『後拾遺和歌集』恋四に収載された清原元輔の歌です。『小倉百人一首』四十二番でもあるので、ご存知の方は多いかと存じます。ここで登場する「末の松山」が陸奥国の地名である事も割と知られているかと。
これもご存知の方はおられるかと思いますが、この「末の松山」、恋の歌でしばしば登場するフレーズとなってします。なので今回はそれについて少しお話をば。
まず、末の松山がどこにあるのか、から。岩手県二戸市と二戸郡一戸町の境界にある浪打峠とも、宮城県多賀城市宝国寺背後の丘陵とも言われています。
『古今和歌集』巻二十に収載された東歌
きみをおきて あだし心を わがもたば すゑのまつ山 浪もこえなん
〈超意訳〉
あなたを差し置いて 浮気心を万一私が持ったなら、末の松山を波が越えていくだろう。それくらいあり得ぬ事だよ、私の心変わりは。
で「あり得ない事のたとえ」として「末の松山を波が越える」という表現が用いられたのを契機に、その後の歌でもこれを典故として「変わらぬ恋心」を誓う意味合いで用いられるようになりました。元輔の歌もその一つという訳ですね。
無論、その後の和歌集でも「末の松山」を用いた恋歌は散見されます。例として、たまたま手元にある『後後撰和歌集』の第十五 恋歌五からいくつか引用します。すみませんが面倒なので、現代語訳は省略。
女につかはしける 源信明朝臣
うしと思ふ 心のこゆる 松山は たのめしかひも なく成にけり
返し 中務
秋といへど 色もかはらぬ 松山は たつとも浪の こえん物かは
恋歌中に 皇太后宮大夫俊成
浪こさば うらみんとこそ 契しが いかがなりゆく 末の松山
ちかへと申ける人に 祐子内親王家紀伊
あだ浪を 岩こそこさめ 年ふとも わが松山は 色もかはらじ
といった具合です。「松山」とだけ略してる場合もありますね。「末の松山」「松山」に「浪(波)」「越す」といったフレーズが絡むと、心変わりしない誓いというニュアンスが込められていると見て良いかと。あるいは、かつてのそうした誓いを違えた事への恨み言とかのケースも。
謡曲にも『末の松山』という題のものがあります。その内容はというと。都の貧しい夫婦が旅をした末、奥州末の松山で「互いの契りはここを波が越えるまで変わらない」と誓いました。すると翌日、なんと波が山を越えてしまいます。これも定めか、と離別する二人。そして後になって、夫は彷徨っている妻とこの地で再開する。そんな話だそうです。「恋人・夫婦の変わらぬ契り」と結びついた地名、というイメージがここでも用いられている事がわかりますね。
という訳で。和歌を初めとして日本古典で「末の松山」というフレーズが出てきた場合、「変わらぬ恋心の誓い」を念頭に置いて詠むものらしい、といえそうですね。
【参考文献】
『小倉百人一首』日吉堂
『日本大百科全書』小学館
『精選版 日本国語大辞典』小学館
『続後撰和歌集 下』吉田四郎右衛門尉刊行
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※2022/8/4 誤字修正








