歌枕「長柄の橋」〜昔を偲ぶ歌で詠まれる?〜
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前回は「末の松山」についてお話ししました。今回は、やはり勅撰集でしばしば見かける歌枕「長柄の橋」について。
長柄とは、大阪市北区の淀川と新淀川が分岐する一帯の地名。その地において、弘仁三年(812)に橋が架けられたとされています。
『古今和歌集』以来、多くの和歌で取り上げられいますが、朽ちて残った橋柱に昔を偲んだり、古いものへの感慨を述べたりといった内容が多いそうです。「昔ながら」や「ながらふ」といった言葉と「長柄」をかけているのでしょうか。
例えば『続後撰和歌集』巻十六雑歌上に
ながらをすぐとて 律師経円
くちはつる ながらの橋の 跡にきて
昔をとをく 恋わたる哉
〈超意訳〉
朽ち果てた長柄の橋の旧跡に来て
橋が立派だった昔を遠く、偲ぶことだよ
寄橋述懐 兵部卿有教
ひとりのみ 我やふりなむ 津国の
長柄の橋は 跡もなきよに
〈超意訳〉
ただ一人、私は年老いてしまった。摂津国の長柄の橋は、既に痕跡もない世の中だというのに。
といった具合の歌があるのが、そうした一例といえましょう。
もっと古く有名なものでは、
『古今和歌集』巻第十七雑上
読人不知
世中に ふりぬる物は 津乃国の
ながらの橋と 我となりけり
〈超意訳〉
私も年老いて、世の中で年を経たものといえば摂津国の長柄の橋と、この我が身、という為体になってしまった。
『古今和歌集』巻第十九雑体
伊勢
難波なる ながらの橋も つくる也
今は我身を 何にたとへん
〈超意訳〉
難波にある長柄の橋も朽ち果ててしまった。今となっては、年老いた我が身を何に譬えたらよいのだろう。
『拾遺和歌集』巻第八雑上
天暦御時御屏風のゑにながらのはしのはしばしらのわづかにのこれるかた有けるを 藤原清正
あしまより みゆるながらの 橋ばしら
むかしの跡の しるべなりけり
〈超意訳〉
芦が生い茂る隙間から、長柄の橋の(朽ちた)柱が見える。昔、この橋が栄えた名残を知る便りといえよう。
なんてのも挙げられるかと。
なお、この地域は水害も多い事から、「人柱」で橋を強くしようとした、という伝説も古くからあるそうです。謡曲『長柄』はこの伝説を題材にしており、「橋の難工事で人柱に立てられた老人とその娘の霊が、旅の僧に回向を頼む」という内容だそうです。
【参考文献】
『続後撰和歌集 下』吉田四郎右衛門尉刊行
『古今和歌集 下』吉田四郎右衛門尉刊行
『拾遺和歌集 上』吉田四郎右衛門尉刊行
『日本大百科全書』小学館
『精選版 日本国語大辞典』小学館
『なにわ・大阪遺産学研究センター2006』関西大学なにわ・大阪遺産学研究センターより鶴崎裕雄「大阪の河川と海港の文化と文学(稿):地域学・地域文学論資料収集の一作業」
「国際日本文化研究センター」(https://www.nichibun.ac.jp/ja/)より
「和歌データベース」(https://lapis.nichibun.ac.jp/waka/menu.html)
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