歌枕「和歌浦」〜古代以来の名所、文字通り「和歌」の縁語にも〜
|
和歌の浦に 潮満ち来れば 潟を無み
葦部をさして 鶴鳴き渡る
〈超意訳〉
和歌浦に潮が満ちてきて、浜辺の干潟がなくなったので。葦の生えている所へ鶴が鳴きながら渡っていく。
『万葉集』にある、この山部赤人の歌はご存知の方も多いかと思います。
和歌浦は和歌山市南部にある、雑賀山麓は紀ノ川旧河道、和歌川河口の砂浜のこと。「形成されたばかりの若い浜辺」といった意味でこの呼び名がつけられたようです。名草山と紀三井寺を遠望できるなど、風光明媚な事で古くから知られ古代から貴人たちがしばしば来遊した事で知られます。例えば上述した赤人の歌は天武天皇の行幸に同伴した時のものですし、平安中期以降は高野や熊野詣の際にこの地を訪れる貴族も増えたそうで。
和歌浦を特徴付けるのは、南に長く伸びて内湾を形成する砂嘴(陸地から細長く突き出した砂礫堆積地形)。この砂嘴は赤人の歌にちなんで「片男波」と称されています。
そうした経緯からか、歌会でしばしば題材にされ歌枕の一つとなりました。
なお、和歌浦を詠み込んだ歌が、実際に和歌浦を訪ねたものとは限りません。それどころか、和歌浦とは全く別の主題が隠されている事すら。
ここで、例によって『続後撰和歌集』の事例を見てみようかと。今回は、巻第十七 雑歌中からになります。
題しらず 正三位知家
わかの浦の よものもくづを かき置て
あまのしわざの 程やしられん
〈超意訳〉
和歌浦の藻屑のように採るに足らぬものを書き置いてきましたが、そんなものを集めた海人ならぬ我が身の程度も知られてしまうのでは、と恐れるのです。
歌を送て侍しおくにかきつけ侍し 藤原為綱朝臣
わかの浦 へだてし跡の もしほ草
かく数ならで 又や朽なん
〈超意訳〉
和歌浦を隔てたところの藻塩草のように、書き集めた私の和歌は、こうも詰まらぬものでは、おそらく朽ち果ててしまうでしょうね。
為家参議の時八代集作者四位以下伝しるしてと申侍しを送つかはすとてかきつけて侍し 中原師季
もしほ草 かきあつめても かひぞなき
行ゑもしらぬ 和かのうら風
〈超意訳〉
藻塩草を掻き集めるように、かねて書いていたものを集めても甲斐のない事です。和歌浦の浦風に飛ばされたかのように、行方も知れません。
蓮生法師がもとよりよみをきたる歌尋ること侍ける時つかはすとて 平泰時朝臣
かき置し わかの浦ぢの もしほ草
いかなる方に 浪のよすらん
〈超意訳〉
和歌浦の藻塩草を掻き集めるように、書きためた和歌ですが、どちらの方角に波が寄せるか分からぬように、どんな扱いになるのやら検討つきません。
「藻塩草(もしほぐさ)」とは、塩を採る際に用いる海藻で、掻き集めて海水を注ぐ事から「書く」「書き集める」との縁語にも用いられます。ここから転じて、書き溜めたもの、すなわち随筆、詠草などを意味する事もあります。「和歌浦」「もしほぐさ」が「砂浜での塩作り」という歌枕での光景を思い起こさせつつ、本題である「書き集めた和歌」をも意味する。そんな仕掛けになっている訳ですね。
【参考文献】
『日本大百科全書』小学館
『精選版 日本国語大辞典』小学館
『大辞泉』小学館
『百科事典マイペディア』平凡社
『続後撰和歌集 下』吉田四郎右衛門尉刊行
関連記事:
「菱川師宣版『小倉百人一首』を表記してみる~くずし字、変体仮名相手に奮闘を試みました~」








