「懲役40年」な言説からふと考えた〜とかくに人の世は住みにくい〜
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何年か前のことですが。ネット上で「懲役40年」なるフレーズが一部で話題になったことがあります。どうやら新社会人がこれから迎える日々を、労働やら何やらの制約に着目してこう称したようで。話題になると同時に、賛否両論を呼んだようです。
関連サイト:
「HR NOTE」(https://hrnote.jp)より
「「新社会人=懲役40年」の盛り上がりについて、6名の先輩社会人から話を聞いてみた」(https://hrnote.jp/contents/b-contents-5799/)
一見すると、「牢獄」に相当するのは就職先の企業に思われるこの譬え。実際、リンク先で引用された発言にはそのように解釈したと思しきものもチラホラです。しかし、ひょっとするとこの例えで「牢獄」に相当するのは、否、相当すべきは、「企業など職場」ではないのかも。いや、そもそも、「日本社会」ですらないかもしれません。ふと、そんな事を思ったのでこれに関連して駄弁を述べてみようかと。
ルーマニア生まれの哲学者シオランは『崩壊概論』で
社会とは番人のいない牢獄なのだ、―ただしそこから逃げ出せば、破滅が待ち構えている。(大谷崇『生まれてきたことが苦しいあなたに 最強のペシミスト・シオランの思想』星海社新書 80頁)
と述べています。「懲役40年」を連想させる言葉ではないでしょうか。そしてここで「牢獄」に例えられているのは社会そのもの。職場よりスケールは大きそう。
そういえば、夏目漱石『草枕』冒頭がこんな文章である事はご存知の方も多いかと思います。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
(夏目漱石『草枕』より)
住みにくいのは人間世界そのもの、かと言って人間世界から抜け出したらもっと碌でもない事になる。まさしく「そこから逃げ出せば、破滅が待ち構えている」という訳ですね。
そして。『法華経』譬喩品には「三界無安、猶如火宅」という文言があり、この世を煩悩や苦しみに満ちたものとして「火に包まれた家屋」に喩えています。
…昔から、人間世界というやつは「牢獄」だの「火に包まれた家屋」だの散々な喩えをさせる程に、人々の苦しみの種だった事がわかります。そして、だからといって抜け出すともっと碌でもない事になるのも、古今共通という事も。
「懲役40年」というフレーズも、そうした表現の亜流と言えます。「牢獄」と認識した対象はおそらく、職場というより上記した事例同様に人間社会そのもの。そう考えるとしっくりくる気はします。考えてみれば、親等の庇護から抜け出して社会の荒波に飛び込む人々が不安のあまりそうした表現を漏らしてしまうのは分からなくもありません。まして、不安を煽るようなニュースがどうしても多くなるこのご時世ですし。
まあ、彼らにとって先達に当たるであろう我々としては、「社会人生活、人間社会もそう捨てたもんでもないぞ、何だかんだで楽しいし幸せにやってるぞ」と背中で示す事で、若人たちの不安を少しでも和らげられる生き方をしたいものですが…。我々自身ももがき苦しんでいる事も多々ある訳で、なかなか難しいものですな。ならばせめて、そうした不安からの言説に目くじら立てず寄り添える自分でありたいですが、はてさて。自省自省。
【参考文献】
大谷崇『生まれてきたことが苦しいあなたに 最強のペシミスト・シオランの思想』星海社新書
「青空文庫」(https://www.aozora.gr.jp)より
「夏目漱石 草枕」(https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/776_14941.html)
『大辞泉』小学館
『精選版 日本国語大辞典』小学館
『故事成語を知る辞典』小学館
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