歌枕?「霊鷲山」〜「御仏は常にここにあり」?〜
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和歌にちなんだ地名、の中でも今回は少し変わり種。「霊鷲山」についてお話ししようかと思います。何が変わり種かというと、ここ、実は日本の地名じゃありません。では何故和歌に詠まれているのか。
勅撰和歌集には、「釈教」の部が設けられているものもいくつかあります。仏教の教えを詠み込んだ和歌がそこにまとめられているのです。そうした歌の中には「鷲の山」という地名が出てくるものも時にある。この「鷲の山」こそが、霊鷲山のこと。
霊鷲山があるのは、インド。古代にマガダ国の首都「王舎城」(ラージャグリハ、現ラージギル)があった場所の東北とされています。この山、仏教の中ではブッダがしばしばここに留まって法華経や大無量寿経、観無量寿経など多くの経典にまとめられた教えを説いた所として知られているのです。
そのためかブッダとこの山の繋がりは深いとみなされているようで、『法華経』寿量品には「常在霊鷲山」という文言があります。仏の不滅を説いたもので、「ブッダは方便のために入滅を示したが実は常に説法し楽生を済度している」というニュアンスだそうで。
名の由来は、山中に鷲が多いからとも、形が驚の頭に似ているからともいわれ、はっきりしません。我が国では「鷲の山」以外にも耆閣崛山、鷲山、霊山、鷲嶺など様々な呼称で呼ばれ、上述した伝承もあってか「霊山浄土」「霊山現土」などといった言い方で理想世界を象徴するものとみなされています。
そんな霊鷲山、和歌でも「鷲の山」として詠み込まれる事があるのは冒頭でお話しした通り。例として『続古今和歌集』巻第八 釈教歌から引用すると、
寿量品の心を 俊恵法師
今ぞしる 心の空に すむ月は
わしのみ山の おなじ高ねと
〈超意訳〉今こそ知った、心の中で空高く澄み渡った月は、御仏のおわす鷲の山と同じ高みであると。
法橋顕昭
鷲の山 いかにすみける 月なれば
入ての後も よを照すらん
〈超意訳〉鷲の山でこの上なく澄み渡った月だから、沈んだ後も光は世を照らしているのだなあ。御仏が入寂の後も世の光となっておられるのと同様に。
皇太后宮大夫俊成
かりそめの 夜半の煙と のぼりしや
わしの高ねに かかるしら雲
〈超意訳〉ただ一時の夜中に立ち上る煙であろうか、鷲の山の高嶺にかかる白雲よ。
神力品是二音声遍至十方の心を 法印聖憲
待えたる 鷲の高ねの 郭公
ただ二こゑぞ 四方に聞えし
〈超意訳〉待ちかねていたよ、鷲の山の高嶺で時鳥がようやく鳴いた。そのただ二声が遍く響き渡った事だ。
釈教の心を 平時広
わしの山 むかしの春は 遠けれど
御法の花は 猶匂ひけり
〈超意訳〉鷲の山で、御仏が教えを説かれたという春は既に遠い昔の事だが、その時の教えは今もなお、花の様に芳しく香っている。
和歌で「鷲の山」「鷲の御山」「鷲の高嶺」といった言葉が出てきたら、仏教を念頭に置いているというサインと言えそうです。
【参考文献】
『精選版 日本国語大辞典』小学館
『日本大百科全書』小学館
『大辞泉』小学館
『続古今和歌集 中』吉田四郎右衛門尉刊行
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