恋歌と火山〜「おもひ」の火が煙となって…〜
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今回は、歌枕の話というべきか、恋歌の話というべきか。とりあえず、『続古今和歌集』巻第十二 恋歌二からいくつかご紹介しようかと。
おなじ心(※)をよませ給ける 土御門院御歌
信濃なる あさまの山の 浅からぬ
思ひの末ぞ けぶりともなる
〈超意訳〉
信濃にある浅間山ではないが、浅からぬ恋の想いがついにはくすぶって噴煙のようになった事だ。
※一首前の「内裏百首歌に寄山恋」と同じ、という意。
恋の歌の中に 紀貫之
いつとてか わがこひさらん しなのなる
浅間の山の けぶりたゆとも
〈超意訳〉
私の恋心は、いつになったら去るのだろうか。おそらく、信濃は浅間山の噴煙が絶え果てたとしても、こちらは絶えることはないのだろうな。
名所恋を 中務卿親王
くらべばや 恋をするがの 山たかみ
をよばぬ富士の 煙なりとも
〈超意訳〉
私の恋心は山のように高いので、駿河の富士山の煙だとしても及ぶまい。比べてみたいものだ。
「恋をする」と「駿河」をかけています。ご存知の方も多いでしょうが、富士山は駿河と甲斐の国境にあります。
千五百番歌合に 二条院讃岐
富士のねも 立そふ雲は 有物を
恋のけぶりぞ まがふ方なき
〈超意訳〉
富士山にも沿うようにかかる雲はあるのだけれど、それでも恋慕の情が燻ってたつ噴煙は見誤りようもない。
「富士嶺(ふじのね)」すなわち富士山は、当時常に噴煙を上げていた事から「燃ゆ」にかかったり、「火」と同じ「ひ」の音を含む「思ひ」にかかったりで恋歌にも用いられたりしました。
浅間山も有名な活火山ですね。「信濃なる」とつけられているのは長野・群馬県境にあるため信濃国の山、というイメージだったのでしょうな。
恋の歌で、自らの思慕の思いが燻るさまを火山の噴煙にたとえるために、富士山だの浅間山だのといった名高い活火山を引き合いにだすケースが和歌ではみられるという話でした。
では、皆様良いお年を。
【参考文献】
『続古今和歌集 中』吉田四郎右衛門尉刊行
『精選版 日本国語大辞典』小学館
『日本大百科全書』小学館
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