漢詩の「聯句」とは〜漢の武帝以来の伝統?〜
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室町時代以降、和歌の上の句と下の句を複数の人々が交互に詠んでいく「連歌」が流行したのはご存知の方も多いかと思います。
漢詩にも、複数人が作った句を持ち寄って一つの詩を仕上げる「聯句」というのがあるとか。と言いますか、おそらくは「連歌」が「聯句」の影響を受けてそうですが。
一人が一句を作るパターン、二句づつのパターン、四句づつのパターンなどがあるようです。
伝承によれば、連句の発祥は前漢武帝の時代に遡るそうで。「柏梁台」なる建造物が落成した記念に、皇帝は群臣たちに七言の句を一句づつ作らせて一つの詩にした「柏梁台聯句」が最古の「聯句」とされています。ただし、明末清初の顧炎武によれば、今日伝わる「柏梁台聯句」は後世の偽作だとも。ともあれ、この故事に因んで、一人一句づつ七言句を持ち寄り七言古詩を作る形式を「柏梁体」と呼ぶそうです。普通、漢字は韻を踏む句とそうでない句がありますが、柏梁体の場合はどの句でも韻を踏むのがルールだそうです。
六朝時代には、五言を二句づつ、もしくは四句づつ付ける形式が詩人たちの余興として流行するようになりました。有名なところでは、晋の賈充夫妻は五言二句で問答の形式をとった作品、陶淵明らが三人で同一主題に則り四句づつ連作したもの、韓愈と孟郊が五言二句を交互につけた『城南聯句』などがあるとか。
韓愈の時期に形式が定まり、二句一韻を対句(同じ韻を重ねた二句)仕立で交互につけていくものと、一人が対句の前半を作り次の人が後半というパターンを繰り返すものとがあるそうです。
我が国でも平安中期以降に行われるようになり、連歌にも影響を与えたとされています。また、連歌の長句または短句と五言漢詩句を交互に詠んでいく「和漢聯句」なんてものも五山文学を中心に行われたそうです。
【参考文献】
『日本大百科全書』小学館
『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』ロゴヴィスタ
『世界大百科事典』平凡社
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