歌枕「松島」〜俳句だけでなく勅撰和歌集の時代から名所でした〜
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日本三景の一つ、松島。宮城県中部の松島湾一帯にある奇観を呈する二百六十余りの島々と海岸線、松の木々が織りなす景観が古くから愛されてきました。中でも大高森、富山、扇谷山、多聞山からの眺望は「松島四大観」と称されているそうで。そんな風光明媚な地だけに、塩竈神社や瑞巌寺など史跡も多く残されています。
この松島といえば、かつて俳人松尾芭蕉が
松島や ああ松島や 松島や
と詠んだという伝承は後世の創作、というのは知られています。実際には徳川後期の狂歌師田原坊が「松嶋や さて松嶋や 松嶋や」と詠んだのが話が色々変わったのでは、と推定されているようで。まあそれでも、奥州の名勝松島は芭蕉と結びつけて連想されるイメージがある気がします。
しかしながら、松島は徳川時代の俳諧師以前の時代、勅撰和歌集の時期にも歌枕として名を知られていました。
『後拾遺和歌集』恋四には
松島や 雄島の磯に あさりせし
海人の袖こそ かくは濡れしか
〈超意訳〉
松島にある雄島の磯で漁をしている漁師の袖すらも、恋に悩んで涙にくれる私の袖比べものになる程には濡れていまいよ。
という恋歌が載せられていますし、和歌集ではありませんが『源氏物語』須磨にも
松しまの うらのとま屋も いかならむ
すまの浦人 しほたるるころ
〈超意訳〉
松島の浦で苫屋に住む漁師はどうしているのだろう。須磨の浦に住む漁師が袖を潮で濡らし、須磨に蟄居した私は涙で袖を濡らしているが、松島も同じなのだろうか。
と松島が引き合いに出させています。
そして『続古今和歌集』巻第十四 恋歌四には
題しらず よみ人不知
みちのくに ありといふなる 松嶋の
まつにひさしく とはぬ君哉
〈超意訳〉
陸奥にあると聞く松島の松のように変わらずここにいる私に、貴方は長らく訪れもせずつれない事だ。
なんてのもあります。王朝時代から、既に名所として京都の貴族にも知られ和歌にも詠まれていたのですな。流石に現地に赴いた歌というより、恋歌、涙に暮れる中で「袖が濡れる」例え、といった詠み方がされている印象。
余談ながら先程ご紹介した『続古今和歌集』の歌の前にあるのは
中務卿親王家十首歌合に 源時清
陸奥に ありてふ川の 埋木の
いつあらはれて うき名とりけん
〈超意訳〉
陸奥にあるという川に沈んだ埋木のように秘めた私の想いが、いつ世間に露見して浮き名を流す羽目になったのだろうか。
という歌。これは「陸奥」「川」「埋木」「名とり」から名取川を連想させる歌だと思われます。
さらに。松島の歌の後は
人のこころかはりて侍ける比絵に松のなみこしたるをみてかき付ける 伊勢
まつかけて たのめしことは なけれども
波のこゆるは 猶ぞかなしき
〈超意訳〉
決して変わらぬものだ、と貴方との契りをあてにしていた訳ではないけれど、それでも貴方の心変わりはやっぱり悲しい。
という歌。こちらは「ありえぬ事」の喩えとしての「松を波が越える」から末の松山を連想させるものと思われます。
『続古今和歌集』のこの辺り、陸奥の歌枕をモチーフにした恋歌が続けて採録されていた訳ですね。
【参考文献】
『続古今和歌集 中』吉田四郎右衛門尉刊行
山口智司『名言の正体 大人のやりなおし偉人伝』学研プラス
『精選版 日本国語大辞典』小学館
『大辞泉』小学館
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