歌枕「浜名の橋」〜遠江が誇る、東海道屈指の歌枕〜
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今回も、例によって歌枕シリーズです。今年の大河ドラマ『どうする家康』でも主要舞台の一つとなっている、遠江国。その国にある代表的な歌枕「浜名の橋」が今回取り上げるテーマとなります。
浜名の橋は、かつて浜名湖から遠州灘に注ぐ浜名川にかけられていた橋です。ただし、浜名湖北部にかけられていたとする説もあります。
『日本三代実録』元慶八年(884) 九月一日条によれば修造されたのは貞観四年(862)で、経年劣化による破損のため元慶八年に改めて造られています。遠江の国司は業務審査の際にこの橋に関する査定も受ける事になっていたそうですから、その重要性が伺えます。
それだけに『更科日記』や『十六夜日記』といった紀行文にもしばしば登場し、『枕草子』でも言及されています。また『太平記』でも、「落花の雪に蹈紛ふ」(兵藤裕己校注『太平記 一』岩波文庫 86頁)で始まる日野俊基関東下向の道行文でも「遠江、浜名の橋の夕塩に、引く人もなき捨て小船」(同書 87頁)と名が出ていますから道中の名所として認識されていたと言えるでしょう。
しかしそんな浜名の橋も、最終的に明応七年(1498)の大地震で今切口ができたことによってかけられなくなりました。
さて。そんな都人にも広く知られた浜名の橋、当然のように歌枕としても認識され、『能因歌枕』にも遠江の歌枕として明記されています。
実際の作品としては、
『拾遺和歌集』巻第六 別歌で平兼盛の歌として載せられている
恒徳公(※1)家の障子に かねもり
しほみてる ほどに行かふ たび人や
はまなの橋と なつけそめけん
〈超意訳〉
潮が満ちる時期に行き交う旅人が、この橋を浜名の橋と初めて名付けたのだろう。
大中臣能宣『能宣集』にある
はるのくる みちやはまなの はしならん
けふもかすみの たちわたりつつ
〈超意訳〉
春がやってきた道の先にあるのは浜名の橋であろうか。今日も霞がかかって見通しが良くない。
『夫木和歌抄』(※2)にある藤原為房の
都にて ききわたりしに かはらぬは
はまなのはしの 松のむらたち
〈超意訳〉
都でかねて聞いていたのと変わらない姿であることよ、浜名の橋のあたりに群がって生える見事な松の木々は。
といった作品が挙げられます。
※1 藤原為光(942-992)。師輔の子で最終的に太政大臣となっています。娘の菩提を弔うため建立した法住寺にちなみ法住寺太政大臣とも呼ばれます。
※2 藤原長清によって14世紀初頭に編纂された和歌集で、『万葉集』以来従来の選に漏れた17350首を三六巻にまとめたもの。
直接浜名の橋が詠みこまれたわけじゃないですが、『続拾遺和歌集』巻第九 羈旅歌にある
浜名の橋を過てよみ侍ける
中務卿宗尊親王
立まよふ みなとの霧の 明がたに
松原みえて 月ぞ残れる
〈超意訳〉
道に迷うほどに霧が立ち込める港の明け方に、松原が見えて残月が空にあるのもわかる。
という歌も、詞書にある通り浜名の橋を過ぎた時の歌だそうです。
なお浜名の橋が廃絶させるきっかけとなった今切口ですが、徳川時代には渡し船だったものの現在は浜名大橋で両端が結ばれています。
【参考文献】
『精選版 日本国語大辞典』小学館
『拾遺和歌集 上』吉田四郎右衛門尉刊行
『日本歴史地名大系』平凡社
『日本大百科全書』小学館
『日本人名大辞典』講談社
『大辞泉』小学館
兵藤裕己校注『太平記 一』岩波文庫
『続拾遺和歌集 上』吉田四郎右衛門尉刊行
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