2024年 02月 10日
北条貞時が佐々木氏信の邸跡で風流な桜見物in『玉葉和歌集』
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『玉葉和歌集』巻第二 春歌下を見ていると、こんな和歌にぶつかりました。
源氏信があとに二もとの桜あり名高き花なるによりて人々さそひて見侍けるに程なくくれて月出にける後をのをの歌よみ侍ける時 平貞時
ふたもとの 花のひかりを そへんとや
かすまで出る 春の夜の月
〈超意訳〉
源氏信の邸跡に二本の桜があり、それが名高い花であったので人々を誘って見ていたところやがて日が暮れて月が出たので各々歌を詠みました時の一首
二本生えた桜の花に光を添えようとしてなのか、霞むことなくくっきりと出た春の夜の月よ。
伏見天皇の命により『玉葉和歌集』が色々あった末に京極為兼の手でまとめられたのが正和元年(1312)、この時期の人たちが知っている平姓の「貞時」さんといえば…。後世の我々がすぐ思いつくのは得宗北条貞時(1271-1301)。
鎌倉北条氏の人々にも、勅撰和歌集に四十首入集した政村のように和歌に親しんだ人々も多い事は知る人ぞ知る。貞時も和歌に熱心で、二条派を学びつつも京極派の歌風も体現できる実力があったそうです。下記サイトを参照する限り『新千載和歌集』を初出として二十五首入ってるそうで。
関連サイト:
「やまとうた」(https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/index.html)より
「北条貞時」(https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/sadatoki.html)
だとすると、「源氏信」というのは誰なのやら。おそらくは、この人も鎌倉武士なんでしょうな。…調べて見た限り、時期的に該当しそうなのは佐々木氏信(1220-1295)かと。佐々木信綱の子で、京都京極高辻に屋敷を構えた事から「京極」と称しました。すなわち「京極氏の祖」です。検非違使や対馬守、近江守を歴任、北条氏からも重く用いられて幕府内でも引付衆、評定衆を務めています。宝治合戦や霜月騒動でも武勲を挙げたそうで、鎌倉政権の重鎮と呼んで差し支えなさそう。その屋敷跡に名物となる桜があっても、そしてそれを貞時らが見物に行っても違和感なさそうですな。
鎌倉政権後期における風流な一幕を、勅撰和歌集から見いだした一首でありました。
【参考文献】
『玉葉和歌集 上之一』吉田四郎右衛門尉刊行
『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞出版
『日本人名大辞典』講談社
野口実編著『図説 鎌倉北条氏』戎光祥出版
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鎌倉期に名高かった武家歌人の話も。
貞時は「最勝園寺殿」だそうで。
by trushbasket
| 2024-02-10 16:07
| NF








