2024年 02月 26日
鎌倉後期の女性歌人「従三位為子」とは〜該当者が二人いるので要注意〜
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更新が暫く滞って面目ありません。色々あって不定期に近くなってますね。何とか定期更新に戻したいとは思ってます。
さて今、『玉葉和歌集』を暇がある時に繙ているのですが、巻第二 春歌下にこんな歌人が。
暮春朝といふことを人々によませ給うけるに
従三位為子
ながめやる 外山のあさけ 此ままに
かすめやはすも 春を残して
〈超意訳〉
遠くを見ると、人里近くの山の夜明けがそのまま、霞んでいくようだ。春を残して。
語句解説をしておくと、
・外山
人里に近い山。端山。
・あさけ
「あさあけ(朝明)」が変化したもの。夜明け時分。多くは歌語として用いられる。
・も
文末に用いて詠嘆の意を示す助詞。
といったところでしょうか。
さて、この「従三位為子」とは何者なのか。『玉葉和歌集』撰者である京極為兼に近しい人物に、一名該当者がいました。その名も藤原為子(生没年不詳)、為兼の姉です。父は京極為教。伏見天皇の中宮である永福門院(西園寺実兼の娘)に仕え、藤大納言典侍とか大宮院権大納言とか称されます。京極派歌壇の重鎮として持明院統宮廷で多くの女性歌人を育成しました。『玉葉和歌集』に六十首、『風雅和歌集』に三十九首が入集しています。おそらくは、この女性の事と思われます。
なお、最終的には従二位になったのもあり、「従二位為子」と呼ばれることもあります。と言いますのは、鎌倉末期にもう一人、「従三位為子」と呼ばれる女流歌人がいたから。
では、もう一人の「従三位為子」とは誰なのか。答えは二条為子(生没年不詳)と呼ぶべき女性です。父は二条派の重鎮二条為世(1250-1338)で、為兼のライバル。後宇多院の信任を得て大覚寺統宮廷の下で『新後撰和歌集』『新千載和歌集』を編纂した歌人です。その娘である為子も優れた二条派歌人で『続千載和歌集』に多く歌が採録されているそうです。こちらの為子はやはり大覚寺統の後二条天皇に仕え、権大納言局と呼ばれました。やがて皇太子時代の後醍醐天皇から寵愛を受けて尊良親王、宗良親王らを産みましたが早世。後醍醐が即位した後に従三位を追贈されています。宗良親王が和歌に長じ南朝歌壇の重鎮となったのも、外祖父や母の影響が大きいのかも知れませんな。
ほぼ同時代に対立する二つの歌壇をそれぞれの陣営で彩った二人の「藤原為子」。区別するため京極家の方は「従二位為子」、二条家の方は「贈従三位為子」と呼ばれるようです。
今回の「従三位為子」は、おそらくは編纂時点で従三位だったための記載と思われ、京極為子を指していると見るのが妥当でしょうね。
【参考文献】
『玉葉和歌集 上之一』吉田四郎右衛門尉刊行
『日本大百科全書』小学館
『精選版 日本国語大辞典』小学館
『譯文大日本史 弐』国民文庫刊行会
『日本人名大辞典』講談社
関連記事:
二条為子についてはこちらにも。
北条貞時は基本は二条派だけど京極派風の歌も詠めたそうです。
by trushbasket
| 2024-02-26 21:24
| NF








