2024年 07月 20日
『玉葉和歌集』に顔を覗かせる、「歴史の表舞台に出損なったかも、な貴人」たち
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『玉葉和歌集』を読んでいると、多くの貴族や武家が詠み人として登場します。その中には、今日では知られているとは言い難いものの、何か一つ違えば歴史教科書に出るレベルの存在だったかもなあ、という人もいます。今回は、鎌倉期の朝廷におけるそうした「歴史の表舞台に出損なったかも」な人たちを何人かご紹介してみようかと。
まずは一人目。『玉葉和歌集』巻第十三 恋歌五にこんな歌があります。
恋歌の中に 普光園入道前関白太政大臣
めぐりあはん 有明の月を かたみぞと
いひしばかりを 思出にして
〈超意訳〉
あなたと再び出会うことだろう、夜明け空の月が二人のよすがだ、と言ったことだけを思い出として。
まずは、語句解説から。
・めぐりあふ
ここでは、離れ離れになっていた人が巡り巡って再び出会う事。
・有明の月
陰暦十六日以降の、世が明けても空に残っている月。
・かたみ
過ぎ去った事を思い出す種となるもの。よすが、記念。
語句解説を終えたところで、本題であるこの歌の作者について見ていきましょう。普光園なる呼称の摂関経験者といえば、「普光園院」こと二条良実(1216-1270)と思われます。五摂家の一つである二条家の祖です。九条道家の次男で、母は西園寺公経の女にあたります。内大臣、右大臣、左大臣を経て仁治三年(1242)には関白となりますが、父からの圧力で弟一条実経に地位を譲らされています。父が鎌倉将軍九条頼経との繋がりで北条氏と対立し失脚した際は北条氏についており、勅勘を免れました。ただし、この事によって父から義絶され所領の分配も受けなかったといいます。弘長元年(1361)に関白に再任、没したのは文永七年です。父との関係がよくなく苦労を強いられましたが、時流を読むのに長けた人とは言えそう。二条家は武家と協調して政権運営をする家風で知られますが、その一端を已に見せていたとも見られます。
摂関家の一角として近代前夜まで存在感を示した家の祖であり、「歴史の表舞台に出損なった」は少し言い過ぎかもですが、巡り合わせによっては朝廷側の実力者として父のような存在感を示せたかも知れない人ではあります。
そして次の話題。二条良実の歌の次に掲載されているのはこの歌です。
惟明親王家十五首歌の中に恋心を 前中納言定家
おほかたは 忘れはつとも 忘るなよ
有明の月の ありしひとこと
〈超意訳〉
ほとんどのことは忘れ果てたとしても、これだけは忘れてくれるな。共に夜を過ごして有明の月を見たあの時のことだけは。
・ひとこと
ここでは「一つの事柄」。
ここで注目するのは、作者である藤原定家ではなく惟明親王(1179-1121)。高倉天皇の第三皇子で、平家が安徳天皇を具して西国に逃れた際には五歳で皇位継承候補となりますが、結局は異母弟の後鳥羽天皇が位につきました。その後、文治五年(1189)に祖父後白河院の計らいで親王宣下を受け、建久六年(1195)には後鳥羽の母七条院の猶子として元服するなど相応に重んじられる存在でした。しかし順徳天皇に帝位継承がなされた事で即位の望みが絶たれ、承元五年(1221)に出家、同年に没しています。『新古今和歌集』をはじめとする勅撰集に三十四首の歌が載せられており、歌人として評価されていたと言って良いでしょう。
同時に親王宣下を受け同様に出家していた守貞親王が承久の乱後に「後高倉院」として治天の君になったのを思うと、「もし承久の乱後まで生きながらえていたら」という歴史のイフを思わせる存在とも言えそう。
最後に、次に見るのは巻第十四 雑歌一にあるこの歌。
春の比山里に久しくおはしまして後嵯峨院へ奉られける 月花門院
散ちらず とふ人もなき 山里は
花もかひなき 匂ひなりけり
〈超意訳〉
この山里では花が散ったり散らなかったりしていますが、訪れる人がいないので如何に鮮やかに咲き誇ろうと甲斐もないというものです。
・匂ひ
ここでは「視覚を通して見られる鮮やかに美しい色合い」と思われます。
月花門院とは、後嵯峨天皇の第一皇女である綜子内親王(1247-1269)。一歳で内親王となり、弘長三年(1263)には准三宮の待遇を受け「月花門院」の院号を与えられましたが、二十三歳の若さで死去しています。『続古今和歌集』などに二十一首の歌が載せられる歌人でもあり、家集として『月花門院百首』があります。
後深草・亀山とは同母にあたり、「治天の君の正妻の子」というべき存在で皇族の中でも重んじられたと言って問題なさそうな人でした。平安末期に大きな政治的影響力を持った八条院(暲子内親王。鳥羽天皇の子、二条天皇の准母)のような人もいたのを思うと、長生きしていたら政治的にも小さからぬ存在感を発揮していたかも、なんて妄想の余地はあるかと思います。やがて後深草と亀山の両系統が皇位継承争いを広げていくのを思うと、彼女の発言力が無視できぬものになっていた可能性はありそう。
というわけで。今回、『玉葉和歌集』に登場した歌人たちから、鎌倉期の朝廷における「今日では無名だけど何かが違っていれば歴史上に無視できぬ足跡を残したかも知れない人たち」を取り上げてみました。…まあ、良実は「二条家」という形で「歴史上に無視できぬ足跡」を已に残している気はしなくもないですが。
【参考文献】
『玉葉和歌集 下之一』吉田四郎右衛門尉刊行
『精選版 日本国語大辞典』小学館
『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞出版
『改訂新版 世界大百科事典』平凡社
『日本人名大辞典』講談社
『日本大百科全書』小学館
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by trushbasket
| 2024-07-20 11:00
| NF








