2024年 09月 10日
早逝した鎌倉期朝廷要人「深心院関白」近衛基平〜元寇前夜における朝廷の貴重な記録を残してます〜
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鎌倉時代の朝廷における偉い人の別名というのは、現代人からすればなかなかピンとこないものです。今回もそんな感じで今では人口に膾炙していると言い難い朝廷要人の話をしようかと。
『玉葉和歌集』巻第十七 雑歌四を見ていると、こんな詞書と歌が。
秋の比人の身まかりにける跡にて有明月をひとり見て読侍ける 深心院関白前左大臣
なくなくも したひてぞみる なき人の
面影ばかり ありあけの月
〈超意訳〉
秋頃、親密な人が亡くなったその家で有明の月を一人で見て詠んだ歌
涙に暮れつつも亡き人を慕いつつ見る有明の月は、かの人の面影にしか見えないことだ。
この深心院関白とは、おそらくは近衛基平(1246-1268)。「岡屋関白殿」近衛兼経の子です。摂関家の生まれにふさわしく十三歳で内大臣となり右大臣を経て文永二年(1265)に二十歳で左大臣、更に二年後に関白・氏長者という超絶スピード出世を遂げますが翌年に急逝しています。建長七年(1255)から没した文永五年(1268)までを記録した日記『深心院関白記』で知られていますが、日本外交史の上で結構価値があるものだとか。というのは、当該期間に元からの国書が齎されるという一大事件があり、それに関して朝廷がどう反応したか、というのを内部当事者として記録しているからだそうです。
なお、父兼経も日記『岡屋関白記』を残しており、公家史料の乏しい当該時期における行事などの貴重な記録となっているそうです。
【参考文献】
『玉葉和歌集 下之二』吉田四郎右衛門尉刊行
『日本人名大辞典』講談社
『世界大百科事典』平凡社
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by trushbasket
| 2024-09-10 20:18
| NF








