2024年 10月 01日
『玉葉和歌集』に見る鎌倉期朝廷要人シリーズ〜歓喜園院入道前摂政と近衛関白〜
|
鎌倉期の朝廷はどうしても政治的に脇役気味に見られるのは致し方ないところ。それだけに、この時期の摂政関白といった要人も現代では一般に知られているとは言い難かったりします。今回も『玉葉和歌集』に登場したそんな摂関を二名ほどご紹介しようかと。
まずは巻第十七 雑歌四から。
まずは歓喜園前摂政から。鷹司兼忠(1262-1301)の事と思われます。兼忠は鷹司兼平の次男で兄基忠の養子として従一位を経て永仁四年(1296)関白、同六年に摂政となりましたが40歳で早世しています。歓喜園院入道前摂政と称されました。
まずは巻第十七 雑歌四から。
菩提院にまかりて花見侍ける処に近衛関白歌よみ詩つくりなどして書つけたる屏風の侍ける哀にみえければ
歓喜苑前摂政左大臣
なき人を 花ゆへけふは 忍びても
後の春をば 我もたのまず
〈超意訳〉ここで、「歓喜園前摂政」「近衛関白」といった人名が出てきましたね。ここでは歓喜園前摂政が今は亡き近衛関白を偲んでいる様子。 そして同じ巻には、こんな歌も。
菩提院に参りまして花を見ておりましたところ、近衛関白が歌を詠み漢詩を作ったりして書き付けた屏風がございましたのを亡き人の形見としてしみじみと拝見して
歓喜園前摂政左大臣
今は亡きあの人を、花にことよせて偲んでいますが、かくいう私自身も次の春を迎えられるかはわかったものではない。
歓喜苑前摂政かくれ侍ける秋近衛関白の事にうちつづき又かかることの哀さへなど申とて
従一位兼教
見し夢の おなじ憂世の たぐひにも
さめぬ哀ぞ いとどかなしき
〈超意訳〉ここでは歓喜園前摂政も亡き人として哀傷されています。世は無情。
歓喜園前摂政がおかくれになった秋、つい先頃に近衛関白が逝去されたばかりだというのにまたも、としみじみ悲しく申し上げ
従一位兼教
夜に見る夢と同じく儚く憂わしい類の世の中ではあるけれど、夢と異なり覚めてくれないのがとても辛いことだ。
まずは歓喜園前摂政から。鷹司兼忠(1262-1301)の事と思われます。兼忠は鷹司兼平の次男で兄基忠の養子として従一位を経て永仁四年(1296)関白、同六年に摂政となりましたが40歳で早世しています。歓喜園院入道前摂政と称されました。
次に近衛関白。「近衛」は五摂家として長く続いた家だけに該当者の多そうな呼称ですが…。特にこう呼ばれているのは近衛家基(1261-1296)だそうで。時期的にも間違いなさそうですね。基平の長男で、右大臣を経て正応二年(1289)に関白氏長者となりますが36歳の若さで世を去っています。
基平もでしたが、この時期の摂関には早世する人が多めなんですかね。この辺りも朝廷要人の影が薄めになる一因かもしれません。
ついでに後者の歌を詠んだ従一位兼教とは、近衛兼教(1267-1336)で基平の次男、先程お話しした「近衛関白」家基の弟。延慶三年(1310)に准大臣となり猪熊入道准大臣とも呼ばれるそうです。
【参考文献】
『玉葉和歌集 下之二』吉田四郎右衛門尉刊行
『日本人名大辞典』講談社
川村一彦『近衛家一族の群像』歴史研究会
関連記事:
by trushbasket
| 2024-10-01 23:03
| NF








