2025年 01月 07日
『続千載和歌集』、後醍醐天皇以外にも南北朝でお馴染みな人名が〜北畠親房と洞院公賢〜
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今読み進めてる『続千載和歌集』で、この間後醍醐天皇の即位後の御製が登場、南北朝時代が近いのを実感した。そんなお話を以前したかと思います。今回は、後醍醐以外にも南北朝を彩る人物が二人ほど出てきまして、いよいよ「南北朝近し」の念を強くした、そんな記事であります。
そうした思いをしたのは巻第六冬歌でのこと。
冬の歌の中に 権中納言親房
過やらで おなじ尾上や しぐるらん
雲吹かへす 松のあらしに
〈超意訳〉
雲は山を過ぎる事なく、以前と同じ山頂で時雨を降らせているようだ。末に吹く嵐が雲を吹き戻しているからだな。
なんと、北畠親房(1293-1354)がここで登場。後醍醐天皇からの信任厚く、後醍醐死後には事実上の南朝最高指導者となった人物です。『神皇正統記』の著者としても知られます。長男は名将として知られ漫画『逃げ上手の若君』でも鮮烈な印象を残した北畠顕家。親房も『逃げ若』には登場しています。
そして同じ巻には。
春宮大夫公賢
夕時雨 過行山の たかねより
村雲わけて 出る月影
〈超意訳〉
夕方の時雨が過ぎ去った山の高い頂から、群がった雲をかき分けるかのようにして月が出てきたことだ。
「村雲」は「叢雲」「群雲」とも書き、群がり立つ雲を指します。
こちらは、洞院公賢(1291-1360)の歌のようです。有職故実に明るく南朝からも北朝からも評価され左大臣や太政大臣に任じられた大物貴族。南北朝期の重要史料である日記『園太暦』でも知られます。
『花園天皇宸記』でも『続千載和歌集』成立年である元応二年(1320)の記事で洞院公賢を「春宮大夫」として記していますから、彼のことで間違いなさそう。
南北朝における伝統貴族社会で存在感を示した二人が、後醍醐天皇即位と時期をほぼ同じくして姿を見せたのにはなんだか感慨を催すものがありました。
【参考文献】
『続千載和歌集 上之二』吉田四郎右衛門尉刊行
『日本大百科全書』小学館
松井優征『逃げ上手の若君』1-18 集英社
『大辞泉』小学館
村田正志編『和訳花園天皇宸記 第二』八木書店
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by trushbasket
| 2025-01-07 22:10
| NF








