2025年 03月 17日
お茶の別名「水厄」〜これも故事成語、なんでしょうか〜
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このブログでは近年、茶の湯関連の話題も時々しています。で、その「茶」なんですが、字面が少々物騒な異名があるそうです。曰く、「水厄」。これ、中国の故事に由来するとか。
東晋時代のこと。司徒長史であった王濛という人物は茶を好み、来る客来る客全てに無理やり茶を飲ませていたそうです。 辟易した客たちは、これは「水の災い」だ、と言わんばかりに「水厄」と称したそうです。当初は「茶を無理やり飲ませること」を意味したようですが、茶そのものも意味するように。
面白いことにこの表現は東晋のあった江南より中国北部に広がったようです。喫茶の風習がまだ広がりきってなかったのか、王濛の客たちと似たような感懐を抱く人も多かったのかもしれません。
なお、その少し後の時代の事。中国南朝の梁から皇帝の養子だった蕭正徳が一時期、北朝の北魏に亡命したことがありました。当時の北魏で権勢を握っていた元義が彼を茶で接待しようと「水厄はどの程度いけますか」と問うたところ、蕭正徳は「私は水の多い地域で生まれましたが水難には縁がありません」と答え同席した人たちから笑われたそうです。
蕭正徳は江南の生まれなので知っていても不思議はなさそうなのですが…。その辺の理由については、彼が無学だったからだと唱える人もあれば、当時の江南では茶を「水厄」とは呼んでいなかったからだという人もあり。研究者の間でも、説は分かれているようです。まあ「水厄」には普通に水難という意味もあるそうなので、蕭正徳がそう解釈したのもまあわからなくはない、というところかも。
なお、厳密には蕭正徳は「陽侯の難」という言い方をしたそうです。陽侯とは水波の神を意味しています。
茶も長い歴史があるだけに、故事に因んだ別称があったりするのですな。
【参考文献】
『精選版 日本国語大辞典』小学館
関剣平「魏晋南北朝における喫茶の文化」『国立民族学博物館研究報告』27(2):283-314(2002)
『普及版 字通』平凡社
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by trushbasket
| 2025-03-17 21:51
| NF








