Oman『中世における戦争術 378~1515』(翻訳)について補足
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西欧中世軍事史の古典の翻訳です。著作権の切れた本を訳しているつもりだったのですが、偶然期間計算の間違いを発見し、著作権が切れる前に公開してしまったことが判明しました
もっとも1970年以前に発行されたベルヌ条約加盟国の作品(非加盟国と加盟国で同時出版された場合を含む。たとえば長らく非加盟であったアメリカと加盟国イギリスなど)は、いわゆる「翻訳権十年留保」のおかげで、発行から十年(戦時加算によって期間が延長しますが、現在未訳の作品ならばあまり関係ないのでその辺りは省略)正式な翻訳が為されていなければ、自由に翻訳公開可能ですから、これに基づけば問題ないのですが。
というわけでこの翻訳公開の正当化根拠は十年留保に求めることにしました。
そして、十年留保を使う以上は、復刻の際の修整箇所([]の箇所)を削除しておく必要が無くなってしまったので、そのうちに削除した箇所も公開しようと思っています。
なお、まず無いとは思うのですが、発行後十年以内の正式な翻訳の存在を万が一には見落としているかもしれません。もし正式な翻訳の存在をご存知の方がおられましたら、連絡していただけるよう、よろしくお願いします。その場合は、著作権が切れるまで公開を停止しようと思います。この作品の場合はあと少しで切れますが。
ところで最初は十年留保を使うことにためらいもあったのですが、うっかり使う羽目になってしまった以上、今後は開き直って十年留保に基づく翻訳を他にも公開していけたら良いと考えています。また十年留保以外の事由(たとえば1941年以前にアメリカのみで発行された作品は日米間著作権保護ニ関スル条約で自由翻訳が認められている)に基づいて翻訳公開できる作品も存在するので、そういった作品も探していこうと思っています。
さて翻訳の背景はこれくらいにして、この本、あまりに古く、時代遅れとも言われるので、可能な範囲で、多少補足説明しておこうと思います。
とりあえず、問題点として封建騎士を馬鹿にしすぎというのがあります。
近年では、封建騎士の戦争は、戦略的には、補給を重視した慎重で賢明な軍事作戦であったとされています。戦術的にも、個人技に頼った不合理な戦いというかつての見方は否定されており、重騎兵が戦闘の中核とならざるを得ない時代的社会的背景に強いられた不合理の範囲内ではあるものの、優れた集団性と戦術能力を発揮していたとされています。
おそらく他にも色々細かな問題はあるのでしょうが、今のところ気付いた大きな問題点として、これくらいです。これに気を付けておけば、大雑把な通史として読む分には大丈夫ではないかと思います。
参考資料
John Gillingham著「RICHARD I AND THE SCIENCE OF WAR IN THE MIDDLE AGES」(John Gillingham/J.C. Halt編『WAR AND GOVERNMENT IN THE MIDDLE AGES』所収)
バート・S・ホール著『火器の誕生とヨーロッパの戦争』市場泰男訳 平凡社
木村尚三郎編『世界の戦争5 中世と騎士の戦争』 講談社
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れきけん・とらっしゅばすけっと/京都大学歴史研究会関連発表
ジョン・ギリンガム『リチャード1世と中世の軍事学』要点メモ
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/021101y.html
オットー・ヒンツェ『国家組織と軍隊組織』(翻訳)(当ブログ内に移転しました)
http://trushnote.exblog.jp/14589837/
西洋軍事史(当ブログ内に移転しました)
http://trushnote.exblog.jp/14455214/
ヴァイキング時代
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/1997/970502.html
西洋キリスト教史3
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/1997/971212.html
取り上げた発表のアドレスを書き忘れていたので、冒頭に書き足しておきました(8月2日)。
リンクを変更(2010年12月8日、16日)