2007年 10月 06日
「木鶏」
|
Excite エキサイト : スポーツニュース
中国古典「荘子」にこんな話があります。紀省子という闘鶏飼いの名人が、王から一羽の鶏の訓練を命じられました。十日ほどたつと、王が「どうだ、もうそろそろ使えるのではないかな」と尋ねましたが、紀省子は「まだでございます。今はただ殺気立ち、しきりに敵を求めております。」と答えました。次に十日後に王が尋ねると、紀省子は「まだでございます。他の鶏の鳴き声を聞いたり気配を感じると、たちまち闘志を漲らせます。」と答えています。また十日して尋ねても、「まだでございます。他の鶏の姿を見ると、睨み付けいきり立っています。」と答えるばかり。更に十日して王が尋ねると、ようやく「もうよいでしょう。他の鶏がいくら鳴いても挑んでも、全く動ずる気配もなく、まるで木鶏のように見えます。これこそ徳が充実した証拠です。 こうなれば、どんな鶏でも敵いません。姿を見ただけで逃げ出してしまうでしょう。」と太鼓判を押したという事です。 動じることなく無闇に強がることなく常に自然体でいられる事が修養の到達点ということですね。
生身の人間がこの境地に辿り着くのは至難の業と思われるのですが、かつてその境地を目指して止まなかった横綱がいました。その名を双葉山定次といいます。
双葉山は戦前から戦時中にかけて大相撲を牽引した大横綱で、昭和十四年一月に安藝ノ海に敗れるまで69連勝を達成した事は相撲ファンでなくとも御存知の方は多いと思います。しかし双葉山が偉大であった所以はただ強かったからではなく、常に強さと共に人間としての完成を目指し続けていたところにあるようです。
双葉山は若い頃から小細工で目先の勝ち星にこだわることなく、常に正攻法で相撲を取り続けていたのでブレイクするまでは大勝ちすることもなく目立たない存在でした。幕内に入った頃は正攻法で相手を押し切れるだけの力はありませんでしたが、足腰の良さを生かして土俵際でうっちゃって勝つ事が多く「うっちゃり双葉」と揶揄されることもありました。当時の第一人者であった横綱玉錦は、「あれでよいのだ、力がつけば問題なくなる」と述べていたそうですが、その通りに強くなっていきました。その相撲振りには派手さはないものの「誰と当っても少しだけ強い」と呼ばれる堅実な取り口で、常に相手に合わせて受けて立っていたにもかかわらず攻撃では相手より先に自分の形をとっている「後の先」と呼ばれる理想的な形であったそうです。
双葉山は幼少時の事故で右目が見えず右手小指にも障害がありましたが、それを乗り越えて大成しています。本人は、「少し視力が残っているよりも全く見えない方が逆に集中できた」と淡々と語っていたといいます。また、上述の連勝が止まった際にも、通常と変わらない態度で花道を下がって人々を感嘆させました。もっとも、本人の心中は流石に穏やかでなかったようで「動揺すまいと念じていたが、そう考えている時点で動揺していたのだろう」と後に述懐しています。その夜、師と仰いでいた漢学者・安岡正篤に「イマダモッケイタリエズ(未だ木鶏たり得ず)」と打電したと伝えられますが、言うまでもなく冒頭で述べた「荘子」の逸話を踏まえたもので既に彼がそうした境地を目指そうとしていた事が分かります。他にも、調子を落とした際に「信念の歯車が狂った」と述べて滝に打たれる修行をし立ち直ったといった逸話も残されており、その求道的な姿勢が強く伺われます。こうした点について彼自身は「一日に十分間だけ精神を集中させることは誰にでも出来るはずだ」と述べていますがなかなかどうして(苦笑)。僕などはただ頭が下がるばかりです。
もっとも、以前に述べたように日本の敗戦直後(彼自身の引退直後でもあります)に新興宗教・璽光尊へ入信し騒ぎを起こして逮捕されるという「黒歴史」もありましたが。敗戦に伴いそれまでの価値観が崩壊したように思われた所を付け込まれたとも言われていますが、求道的で純粋な人間が陥りがちな罠といえますね。彼もまた不完全さを残した一人の人間であったわけです。
その後は、璽光尊からも足を洗って「時津風」親方として部屋を興し横綱鏡里や大関大内山・北葉山・豊山ら多くの名力士を育てました。また、日本相撲協会理事長としても改革に従事して、一門別総当りから部屋別総当りに変更し好取組を増やすなどで土俵を盛り上げ、名理事長と謳われています。理事長時代には、このような逸話が残されています。式典で挨拶状を読み上げるはずでしたが、当日に挨拶状を渡す係の秀ノ山親方が挨拶状を忘れ慌てて取りに戻るという失態を犯し、場内からは失笑が漏れる有様となりました。その間も、時津風は秀ノ山が戻るまで壇上で直立不動、当初失笑のもれていた会場内はその姿を見てやがて静まり返っていきます。秀ノ山が挨拶状を手渡したときには拍手の渦がおこり、出席者の中には感涙を流す者もあったそうです。その時の双葉山の姿はまさに「木鷄」そのもの。彼は引退後も弛むことなく生涯にわたり求道的な姿勢を、それもごく自然体でありながら崩さなかったのです。彼の死後も、時津風部屋は「双葉山相撲道場」の看板を入り口に掲げており、双葉山は今でも「昭和の角聖」と呼ばれるに相応しい力士の理想像として認識されているのです。
ところが、皆様もご存知でしょうが、その時津風部屋で一大事件が起こりました。現在の時津風親方と弟子達数人が、序の口力士を集団で「稽古」の末に死なせたというのです。人間が一人死んでいるわけで、言うまでもなく少し前の朝青龍どころではない大問題です。当初は「病死」と発表して部屋で勝手に火葬し闇に葬ろうとしていたとか、常識外れの長時間にわたって「シゴキ」を続けたとか金属バットやビール瓶で殴ったとか救急車を呼ばなかったとか、色々な話が流れています。何が真実で何がそうでないか現時点で判断するのは難しいですが、これでは一般社会からは集団リンチによる殺人とみなされても致し方ありません。
証言が最初と今とでは変わっていたり、警察の調べと相撲協会への陳述にずれがあったりするので、隠蔽工作や責任逃れと見る向きも強いようです。まあ、予想外に人一人を死なせてうろたえているのは分からなくもないですが、それでは余りに無責任ですし逆効果ですよ。ともかく、今の時津風部屋に「木鶏」の文字は残念ながらそぐわなくなっています。同じ漢籍の言葉でも、「小人閑居して不善をなす」(「大学」)とか「郷原は徳の賊なり」(「論語」陽貨編、上っ面だけ良い人ぶる小人物は逆に道徳を損なう悪人だ、という意)あたりの方が似合う、なんてことがないようにしてもらいたいものです。
しかし、若い力士の突然死は以前から存在してはいましたし、この手の事件は露見していないだけで他にもあるかもしれませんね。この世界、色々と「闇」がありそうな。でもまあ、相撲だけじゃなくて体育会系全般にもいえそうな問題かもしれません。通用するだけの力をつけるには鍛錬が必要なのはわかりますし、それに耐える事で人間形成もというのも理解はできます。しかし、これには鍛える側にも相応の資格(人間力)が要求されると言えますし、バランスを見失うと非合理で凄惨な「弱い者苛め」に堕してしまうのも事実です。空虚な精神論に陥ることなく、合理性・自然体を失う事があってはいけません。と言うか、今回の場合、そもそも金属バットだのビール瓶が出てくる時点で論外です。
時津風部屋の存続は認められつつも、時津風親方は追放・立件されることになったようですね。人間修養を志向した双葉山の遺産「双葉山相撲道場」も、地に堕ちてしまった形です。相撲自体が社会的信用を失った訳ですが、それを象徴するものといえるでしょう。こちらのブログでも同様の事が書かれていますが、角界の人々は、今回の事件で失われたものの大きさをよく考えて、時津風部屋だけの問題とせず自分達を見つめなおし、人としての道をふまえた上で今後の見通しを立てて欲しいものです。今回の事件、そして事後対応は、相撲好きなだけに残念です、ただ残念です。
【参考文献】
昭和の横綱 小坂秀二著 冬青社
一人さみしき双葉山 工藤美代子著 ちくま文庫
伝説の名横綱双葉山―六十九連勝全記録 小坂秀二 中公文庫
わが回想の双葉山定次 小坂秀二 読売出版社
人間の記録95双葉山定次―相撲求道録 双葉山定次 日本図書センター
大学・中庸 金谷治訳注 岩波文庫
論語 金谷治訳注 岩波文庫
関連記事(2009年5月17日新設)
過去のお騒がせ横綱たち
金太郎あるいは坂田金時伝 ~熊と戦う天才少年戦士はその後いかなる功業を打ち立てたか~
「結婚したくない男」、そして「出世したくない男」
歴史研究会関連レジュメ:
「横綱の歴史」
(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/1997/971205.html)
細部に誤謬があるかもしれないので、話半分に読んでください。
「日本民衆文化史」
(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/021206.html)
相撲・双葉山の話もあります。
「エリート教育とは」
(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/elite.html)
「しごき」についても少し言及。
関連サイト:
日本相撲協会公式サイト
(http://www.sumo.or.jp/index.html)
「相撲評論家之頁」
(http://park11.wakwak.com/~tsubota/door1.html)
中国古典「荘子」にこんな話があります。紀省子という闘鶏飼いの名人が、王から一羽の鶏の訓練を命じられました。十日ほどたつと、王が「どうだ、もうそろそろ使えるのではないかな」と尋ねましたが、紀省子は「まだでございます。今はただ殺気立ち、しきりに敵を求めております。」と答えました。次に十日後に王が尋ねると、紀省子は「まだでございます。他の鶏の鳴き声を聞いたり気配を感じると、たちまち闘志を漲らせます。」と答えています。また十日して尋ねても、「まだでございます。他の鶏の姿を見ると、睨み付けいきり立っています。」と答えるばかり。更に十日して王が尋ねると、ようやく「もうよいでしょう。他の鶏がいくら鳴いても挑んでも、全く動ずる気配もなく、まるで木鶏のように見えます。これこそ徳が充実した証拠です。 こうなれば、どんな鶏でも敵いません。姿を見ただけで逃げ出してしまうでしょう。」と太鼓判を押したという事です。 動じることなく無闇に強がることなく常に自然体でいられる事が修養の到達点ということですね。
生身の人間がこの境地に辿り着くのは至難の業と思われるのですが、かつてその境地を目指して止まなかった横綱がいました。その名を双葉山定次といいます。
双葉山は戦前から戦時中にかけて大相撲を牽引した大横綱で、昭和十四年一月に安藝ノ海に敗れるまで69連勝を達成した事は相撲ファンでなくとも御存知の方は多いと思います。しかし双葉山が偉大であった所以はただ強かったからではなく、常に強さと共に人間としての完成を目指し続けていたところにあるようです。
双葉山は若い頃から小細工で目先の勝ち星にこだわることなく、常に正攻法で相撲を取り続けていたのでブレイクするまでは大勝ちすることもなく目立たない存在でした。幕内に入った頃は正攻法で相手を押し切れるだけの力はありませんでしたが、足腰の良さを生かして土俵際でうっちゃって勝つ事が多く「うっちゃり双葉」と揶揄されることもありました。当時の第一人者であった横綱玉錦は、「あれでよいのだ、力がつけば問題なくなる」と述べていたそうですが、その通りに強くなっていきました。その相撲振りには派手さはないものの「誰と当っても少しだけ強い」と呼ばれる堅実な取り口で、常に相手に合わせて受けて立っていたにもかかわらず攻撃では相手より先に自分の形をとっている「後の先」と呼ばれる理想的な形であったそうです。
双葉山は幼少時の事故で右目が見えず右手小指にも障害がありましたが、それを乗り越えて大成しています。本人は、「少し視力が残っているよりも全く見えない方が逆に集中できた」と淡々と語っていたといいます。また、上述の連勝が止まった際にも、通常と変わらない態度で花道を下がって人々を感嘆させました。もっとも、本人の心中は流石に穏やかでなかったようで「動揺すまいと念じていたが、そう考えている時点で動揺していたのだろう」と後に述懐しています。その夜、師と仰いでいた漢学者・安岡正篤に「イマダモッケイタリエズ(未だ木鶏たり得ず)」と打電したと伝えられますが、言うまでもなく冒頭で述べた「荘子」の逸話を踏まえたもので既に彼がそうした境地を目指そうとしていた事が分かります。他にも、調子を落とした際に「信念の歯車が狂った」と述べて滝に打たれる修行をし立ち直ったといった逸話も残されており、その求道的な姿勢が強く伺われます。こうした点について彼自身は「一日に十分間だけ精神を集中させることは誰にでも出来るはずだ」と述べていますがなかなかどうして(苦笑)。僕などはただ頭が下がるばかりです。
もっとも、以前に述べたように日本の敗戦直後(彼自身の引退直後でもあります)に新興宗教・璽光尊へ入信し騒ぎを起こして逮捕されるという「黒歴史」もありましたが。敗戦に伴いそれまでの価値観が崩壊したように思われた所を付け込まれたとも言われていますが、求道的で純粋な人間が陥りがちな罠といえますね。彼もまた不完全さを残した一人の人間であったわけです。
その後は、璽光尊からも足を洗って「時津風」親方として部屋を興し横綱鏡里や大関大内山・北葉山・豊山ら多くの名力士を育てました。また、日本相撲協会理事長としても改革に従事して、一門別総当りから部屋別総当りに変更し好取組を増やすなどで土俵を盛り上げ、名理事長と謳われています。理事長時代には、このような逸話が残されています。式典で挨拶状を読み上げるはずでしたが、当日に挨拶状を渡す係の秀ノ山親方が挨拶状を忘れ慌てて取りに戻るという失態を犯し、場内からは失笑が漏れる有様となりました。その間も、時津風は秀ノ山が戻るまで壇上で直立不動、当初失笑のもれていた会場内はその姿を見てやがて静まり返っていきます。秀ノ山が挨拶状を手渡したときには拍手の渦がおこり、出席者の中には感涙を流す者もあったそうです。その時の双葉山の姿はまさに「木鷄」そのもの。彼は引退後も弛むことなく生涯にわたり求道的な姿勢を、それもごく自然体でありながら崩さなかったのです。彼の死後も、時津風部屋は「双葉山相撲道場」の看板を入り口に掲げており、双葉山は今でも「昭和の角聖」と呼ばれるに相応しい力士の理想像として認識されているのです。
ところが、皆様もご存知でしょうが、その時津風部屋で一大事件が起こりました。現在の時津風親方と弟子達数人が、序の口力士を集団で「稽古」の末に死なせたというのです。人間が一人死んでいるわけで、言うまでもなく少し前の朝青龍どころではない大問題です。当初は「病死」と発表して部屋で勝手に火葬し闇に葬ろうとしていたとか、常識外れの長時間にわたって「シゴキ」を続けたとか金属バットやビール瓶で殴ったとか救急車を呼ばなかったとか、色々な話が流れています。何が真実で何がそうでないか現時点で判断するのは難しいですが、これでは一般社会からは集団リンチによる殺人とみなされても致し方ありません。
証言が最初と今とでは変わっていたり、警察の調べと相撲協会への陳述にずれがあったりするので、隠蔽工作や責任逃れと見る向きも強いようです。まあ、予想外に人一人を死なせてうろたえているのは分からなくもないですが、それでは余りに無責任ですし逆効果ですよ。ともかく、今の時津風部屋に「木鶏」の文字は残念ながらそぐわなくなっています。同じ漢籍の言葉でも、「小人閑居して不善をなす」(「大学」)とか「郷原は徳の賊なり」(「論語」陽貨編、上っ面だけ良い人ぶる小人物は逆に道徳を損なう悪人だ、という意)あたりの方が似合う、なんてことがないようにしてもらいたいものです。
しかし、若い力士の突然死は以前から存在してはいましたし、この手の事件は露見していないだけで他にもあるかもしれませんね。この世界、色々と「闇」がありそうな。でもまあ、相撲だけじゃなくて体育会系全般にもいえそうな問題かもしれません。通用するだけの力をつけるには鍛錬が必要なのはわかりますし、それに耐える事で人間形成もというのも理解はできます。しかし、これには鍛える側にも相応の資格(人間力)が要求されると言えますし、バランスを見失うと非合理で凄惨な「弱い者苛め」に堕してしまうのも事実です。空虚な精神論に陥ることなく、合理性・自然体を失う事があってはいけません。と言うか、今回の場合、そもそも金属バットだのビール瓶が出てくる時点で論外です。
時津風部屋の存続は認められつつも、時津風親方は追放・立件されることになったようですね。人間修養を志向した双葉山の遺産「双葉山相撲道場」も、地に堕ちてしまった形です。相撲自体が社会的信用を失った訳ですが、それを象徴するものといえるでしょう。こちらのブログでも同様の事が書かれていますが、角界の人々は、今回の事件で失われたものの大きさをよく考えて、時津風部屋だけの問題とせず自分達を見つめなおし、人としての道をふまえた上で今後の見通しを立てて欲しいものです。今回の事件、そして事後対応は、相撲好きなだけに残念です、ただ残念です。
【参考文献】
昭和の横綱 小坂秀二著 冬青社
一人さみしき双葉山 工藤美代子著 ちくま文庫
伝説の名横綱双葉山―六十九連勝全記録 小坂秀二 中公文庫
わが回想の双葉山定次 小坂秀二 読売出版社
人間の記録95双葉山定次―相撲求道録 双葉山定次 日本図書センター
大学・中庸 金谷治訳注 岩波文庫
論語 金谷治訳注 岩波文庫
関連記事(2009年5月17日新設)
過去のお騒がせ横綱たち
金太郎あるいは坂田金時伝 ~熊と戦う天才少年戦士はその後いかなる功業を打ち立てたか~
「結婚したくない男」、そして「出世したくない男」
歴史研究会関連レジュメ:
「横綱の歴史」
(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/1997/971205.html)
細部に誤謬があるかもしれないので、話半分に読んでください。
「日本民衆文化史」
(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/021206.html)
相撲・双葉山の話もあります。
「エリート教育とは」
(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/elite.html)
「しごき」についても少し言及。
関連サイト:
日本相撲協会公式サイト
(http://www.sumo.or.jp/index.html)
「相撲評論家之頁」
(http://park11.wakwak.com/~tsubota/door1.html)
by trushbasket
| 2007-10-06 09:31
| NF








