2007年 10月 10日
「南朝五忠臣」
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明治期に作られた文部省唱歌に「南朝五忠臣」というものがあります。雅楽を基にした「越天楽今様」の曲に世間で知られた南朝の「忠臣」を称える歌詞を充てたものです。具体的には楠木正成・楠木正行・児島高徳・名和長年・新田義貞がそれらの歌詞で称えられています(歌詞についてはリンク先の「南朝五忠臣」を参照)。この歌には、日本が弱肉強食の生存競争を生き延びるため、これら「忠臣」を手本にして天皇や国家に忠誠を尽くす臣民を育てるという意図があるのは容易に推測できます。
さて、この狙いの是非は置いておき、虚心坦懐にこの人選を考えて見ましょう。南朝の「忠臣」をこれらの人々だけで代表させて良いものでしょうか?いくら知名度があるからといって五人のうち二人が楠木氏から選ばれているのはやや公平性を欠く気がしますし、同じ新興豪族出身の名和長年と楠木氏とは性格が被っている気もします。そして何より、桜に詩を書き付けて後醍醐を励ました程度で(実は色々動いているのですが結果が出ていません)実績らしい実績がなく実在さえ疑われている児島高徳が北畠父子・菊池一族などを差し置いて選ばれているのは変だと思います。
そこで、南朝を支えた人々を階層別に代表して選んでいくことにします。
・新興豪族、すなわち「悪党」:楠木正成
まあ、彼が順当でしょう。息子の正行・正儀や、名和長年も頑張りましたが、一人選ぶとなると倒幕で朝廷側に流れを引き寄せ最期まで後醍醐の主力であり続けた正成に及ぶ者はないと思います。
・伝統貴族:北畠顕家
父親の親房も奮戦しましたし、四条隆資や千種忠顕も貴族ながら戦場で落命しています。しかし、親房は南朝の柱石となったものの今ひとつ結果を残せませんでしたし謀略・アジテーションが主でしたから華がありません。隆資・忠顕も飛びぬけた実績を挙げるのは難しいです。という訳で、歌の題材にするには鮮烈な印象を残した顕家が一番かと。
・有力豪族、すなわち「武家」:新田義貞
他にも結城宗広・親光などがいますが、重要度・貢献度から一人選ぶとしたら鎌倉幕府を滅ぼすという大殊勲を上げ尊氏の対抗馬として「武家の棟梁」として扱われた義貞になるでしょうね。
・九州豪族:菊池武光
武家扱いでも良いかと思いましたが、全国の南朝勢力が先細りになる中で例外的に九州を制圧し隆盛を誇った点を考慮して別扱いとしました。
・宗教勢力(仏教、修験道など):文観
経済力・軍事力・情報力を提供したと言う意味で寺社勢力の果たした役割は大きいです。吉野を拠点にできたのも、現地の宗教勢力を味方にできたからですし。でも、人名を挙げようと思うと難しい。貢献度を考えると彼が一番になるんでしょうね。
他に南朝を支えた勢力としては水上勢力、即ち水軍があるのですが、そこから一人の人物を代表して選ぶことは出来ませんでした。
と言うわけで、貢献度や階層別に考えると、真の「南朝五忠臣」は楠木正成・北畠顕家・新田義貞・菊池武光・文観となるのではないでしょうか。そこでこのメンバーで唱歌を再編する事を考えて見ます。正成、義貞は旧来の歌詞をそのまま使えますし、顕家・武光も彼等と同様な歌詞を作ることは出来るでしょう。問題は文観です。彼は寺社勢力を通じた人脈・組織化・陰謀・呪術力などで多大な貢献をした人物であり、他の面々のような華々しい見せ場がありません。おまけに、世間一般で知られている(世間一般にそもそも文観が知られているかは怪しいですが、少なくとも知っている人の間では)文観のイメージと言えば、髑髏を用いて怪しい儀式を行い男女交合すなわちセックスに耽る事で髑髏が真実を語り悟りを得られると主張するいかがわしさ満点の「淫祀邪教」・立川流の大成者というものです。そんなものを小学生の教材に入れるわけにはいかないですよね。立川流はなかったことにして歌詞を作るにしても、文観を知っている人は彼の名が出た時点で立川流が連想されるという状況です。これは気まずすぎますね。かくして、大人の事情で文観は南朝五忠臣から除外されたのでしょう。実は正成など他の面々もかなり出自が胡散臭かったりするんですが、見るからに怪しい文観にはかないません。なるほど「人は見た目が9割」とはよく言ったものです。
うむ、これで古代の道鏡(http://trushnote.exblog.jp/7476234/)や中世の文覚(http://trushnote.exblog.jp/7507639/)に続いて文観の話が一応は出たので、下半身が怪しい「天下を揺り動かすほどの大坊主」(参照http://trushnote.exblog.jp/7507639/)について全員触れる事ができた事になります。めでたしめでたし。
※上述した人物の略歴を記しておきます。
楠木正成:河内の新興豪族。後醍醐天皇が鎌倉幕府に対し挙兵した際に、これに呼応した。大阪平野で幕府軍を翻弄し、更に赤坂城・千早城に篭城して幕府の大軍を相手に互角以上の戦いを示して幕府の軍事的威信を低下させる事に成功。これを契機にして各地の豪族が挙兵し、幕府は滅亡に向かう。後醍醐による建武政権でも厚遇された。足利尊氏が後醍醐に反旗を翻した際にも後醍醐方として奮戦しているが、戦略案が後醍醐や貴族たちに受け入れられず摂津湊川で決戦を強いられ、足利の大軍を相手に孤軍奮闘の末に戦死した。
楠木正行:正成の子。後醍醐死後における畿内南朝軍の主力として活躍。北畠親房の京回復を目指す戦略の下で決戦を強いられ、四条畷で高師直が率いる足利方の大軍と戦い討死。その直前に吉野・如意輪寺の扉に辞世の歌を残したという逸話は有名である。
楠木正儀:正成の子、正行の弟。正行死後に楠木氏を率いて南朝の主力となる。足利方の内紛に乗じて京回復を数回成功させるなど奮戦したが、圧倒的劣勢は如何ともし難く守勢を取って有利な条件で和睦する事を目指す。長慶天皇時代に主戦派が主導権を握り微妙な立場におかれ一時期は足利方に降伏したこともある。
児島高徳:児島半島の新興豪族と推定されるが詳細不明(実在を疑問視する説もある)。後醍醐が幕府に捕らえられ隠岐に流される道中で、後醍醐奪回を目論むが警備が厳しく果たせなかった。その際、後醍醐が通るであろう場所で桜の幹を削って「天莫空勾践 時非無范蠡(天、勾践を空しうするなかれ 時に范蠡無きにしも非ず)」と記し、まだ忠義の臣が存在する事を後醍醐に知らせたという。その後も後醍醐方として各地で活動しているが目立った事績は残していない。
名和長年:伯耆の新興豪族。海運を利用して商業活動をしていたとも言われる。幕府に捕らえられ隠岐に流されていた後醍醐が脱出した際、これを迎えて船上山に篭城して幕府軍を破る。幕府滅亡まで後醍醐はこの地を行宮として長年の保護を受けていた。建武政権では厚遇され、一族も含めて寵を誇ったとされる。足利尊氏と京を巡って戦う最中に討ち死にした。
新田義貞:関東の豪族で、足利氏と同じく源氏の嫡流に当る。有数の有力者であった足利氏とは異なり、新田氏は上野(群馬県)・越後(新潟県)に勢力を置く地方豪族に過ぎなかった。各地で反幕府派が挙兵する中、上野で挙兵し関東の豪族を糾合して鎌倉を攻めて幕府を滅ぼす。建武政権下では足利氏をけん制するための武力として期待され、尊氏が反乱した際には討伐軍司令官として出陣。尊氏方と何度も戦うものの苦戦を余儀なくされ、建武政権崩壊後には北陸に下ってそこで拠点建設を目指す。一時期は北陸に広範な勢力圏を築くが藤島城・黒丸城攻めにおいて流れ矢に当り落命。
北畠顕家:中級貴族の家柄。建武政権下では奥州将軍府に派遣され現地の統括を担う。尊氏が反乱した際には奥州から京にかけつけ足利軍を破るのに大きな貢献をした。後醍醐が吉野に逃れた後も再び奥州の軍勢を率いて各地で足利軍を破った上で京の近くまで迫るが、和泉石津で高師直に破れ落命。
北畠親房:顕家の父。伊勢で南朝方勢力を扶植し、更に関東でも同様に奮闘するが失敗。その後は吉野で戦略立案に従事し、足利方の内紛に乗じて京回復を成し遂げた事もあったが一時的なものに終わる。京奪回に固執し戦力を消耗したとも言える。南朝を精神的に束ねるためのイデオロギーとして「神皇正統記」を記した。
四条隆資:後醍醐の側近。楠木氏とも関係が深くしばしば戦場に出た。八幡での戦いで戦死。
千種忠顕:後醍醐の側近。後醍醐が隠岐に流されるときも同行。しばしば戦場に出ており、足利氏との京争奪戦で討ち死にした。
結城宗広・親光:北関東の豪族。後醍醐に厚遇され南朝主力として活動したが早い段階で死去。親光は尊氏との京争奪戦で尊氏と刺し違えようとして失敗し落命している。
菊池武光:九州の豪族。各地の南朝が振るわない中、懐良親王を奉じて奮戦。筑後川合戦で少弐氏に大将し、後には大宰府を落として九州全土を支配下に収めた。
文観:醍醐寺の密教僧。後醍醐の護持僧として活動した他、畿内の寺院勢力に広く人脈を持ちこれを後醍醐と結びつけて軍事的・経済的に大きな貢献をした。楠木正成・赤松円心も彼の人脈に連なるとされている。立川流大成者として知られる。
【参考文献】
日本唱歌集 堀内敬三・井上武士編 岩波文庫
日本古典文学大系太平記一~三 岩波書店
帝王後醍醐 村松剛 中公文庫
日本の歴史8蒙古襲来 黒田俊雄 中公文庫
日本の歴史9南北朝の動乱 佐藤進一 中公文庫
南北朝時代史 田中義成 講談社学術文庫
吉野朝史 中村直勝 星野書店
歴史群像シリーズ戦乱南北朝 学研
南朝全史 森茂暁 講談社選書メチエ
太平記の群像 森茂暁 角川選書
邪教・立川流 真鍋俊照 ちくま学芸文庫
関連記事(2009年5月17日新設)
ロリコン外伝―南北朝前史―
「文観」補足~寺社勢力は南北朝動乱でどう変わった?~
「民族英雄考―楠木正成と諸国の英雄たち―」補足:正成とフランスの英雄たち
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「宗良親王」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/1997/971003.html)
「楠木正成」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2000/001201.html)
「足利尊氏」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2001/010511.html)
「後醍醐天皇」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2001/010706.html)
立川流についても多少解説があります。
「千早攻防戦-日本初の本格的城塞戦-」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/020426c.html)
「菊池氏の南北朝」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/021004.html)
「北畠親房」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/030117.html)
親房の生涯を追ったものですが、顕家にも触れています。
「日本前近代軍事史」(当ブログ内に移転しました)(http://trushnote.exblog.jp/14549736/)
「戦例の考察」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2000/001027a.html)
「引きこもりニート列伝その5・偉大なるダメ人間シリーズその6 足利尊氏」(当ブログ内に移転しました)(http://trushnote.exblog.jp/14529111/)
「政治家の発言―足利尊氏問題考―」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/nakajima.html)
「佐々木導誉」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/douyo.html)
関連サイト:
「楠公さんをたたえて」
(http://www.marute.co.jp/~hiroaki/nankou_san/index.htm)
楠木正成関連の詩歌が収録されています。「南朝五忠臣」もあります。
「私製太平記」(http://www.h5.dion.ne.jp/~bey1992/)
南北朝を扱ったサイトです。今回登場した人物についてよくご存じない方は、ここの「武将ファイル」で略歴を参照してください。
http://www.bekkoame.ne.jp/~satortri/tachi-index/tachi-ryu/tachi-ryu.html
立川流について概説しています。
リンクを変更(2010年12月8日)
さて、この狙いの是非は置いておき、虚心坦懐にこの人選を考えて見ましょう。南朝の「忠臣」をこれらの人々だけで代表させて良いものでしょうか?いくら知名度があるからといって五人のうち二人が楠木氏から選ばれているのはやや公平性を欠く気がしますし、同じ新興豪族出身の名和長年と楠木氏とは性格が被っている気もします。そして何より、桜に詩を書き付けて後醍醐を励ました程度で(実は色々動いているのですが結果が出ていません)実績らしい実績がなく実在さえ疑われている児島高徳が北畠父子・菊池一族などを差し置いて選ばれているのは変だと思います。
そこで、南朝を支えた人々を階層別に代表して選んでいくことにします。
・新興豪族、すなわち「悪党」:楠木正成
まあ、彼が順当でしょう。息子の正行・正儀や、名和長年も頑張りましたが、一人選ぶとなると倒幕で朝廷側に流れを引き寄せ最期まで後醍醐の主力であり続けた正成に及ぶ者はないと思います。
・伝統貴族:北畠顕家
父親の親房も奮戦しましたし、四条隆資や千種忠顕も貴族ながら戦場で落命しています。しかし、親房は南朝の柱石となったものの今ひとつ結果を残せませんでしたし謀略・アジテーションが主でしたから華がありません。隆資・忠顕も飛びぬけた実績を挙げるのは難しいです。という訳で、歌の題材にするには鮮烈な印象を残した顕家が一番かと。
・有力豪族、すなわち「武家」:新田義貞
他にも結城宗広・親光などがいますが、重要度・貢献度から一人選ぶとしたら鎌倉幕府を滅ぼすという大殊勲を上げ尊氏の対抗馬として「武家の棟梁」として扱われた義貞になるでしょうね。
・九州豪族:菊池武光
武家扱いでも良いかと思いましたが、全国の南朝勢力が先細りになる中で例外的に九州を制圧し隆盛を誇った点を考慮して別扱いとしました。
・宗教勢力(仏教、修験道など):文観
経済力・軍事力・情報力を提供したと言う意味で寺社勢力の果たした役割は大きいです。吉野を拠点にできたのも、現地の宗教勢力を味方にできたからですし。でも、人名を挙げようと思うと難しい。貢献度を考えると彼が一番になるんでしょうね。
他に南朝を支えた勢力としては水上勢力、即ち水軍があるのですが、そこから一人の人物を代表して選ぶことは出来ませんでした。
と言うわけで、貢献度や階層別に考えると、真の「南朝五忠臣」は楠木正成・北畠顕家・新田義貞・菊池武光・文観となるのではないでしょうか。そこでこのメンバーで唱歌を再編する事を考えて見ます。正成、義貞は旧来の歌詞をそのまま使えますし、顕家・武光も彼等と同様な歌詞を作ることは出来るでしょう。問題は文観です。彼は寺社勢力を通じた人脈・組織化・陰謀・呪術力などで多大な貢献をした人物であり、他の面々のような華々しい見せ場がありません。おまけに、世間一般で知られている(世間一般にそもそも文観が知られているかは怪しいですが、少なくとも知っている人の間では)文観のイメージと言えば、髑髏を用いて怪しい儀式を行い男女交合すなわちセックスに耽る事で髑髏が真実を語り悟りを得られると主張するいかがわしさ満点の「淫祀邪教」・立川流の大成者というものです。そんなものを小学生の教材に入れるわけにはいかないですよね。立川流はなかったことにして歌詞を作るにしても、文観を知っている人は彼の名が出た時点で立川流が連想されるという状況です。これは気まずすぎますね。かくして、大人の事情で文観は南朝五忠臣から除外されたのでしょう。実は正成など他の面々もかなり出自が胡散臭かったりするんですが、見るからに怪しい文観にはかないません。なるほど「人は見た目が9割」とはよく言ったものです。
うむ、これで古代の道鏡(http://trushnote.exblog.jp/7476234/)や中世の文覚(http://trushnote.exblog.jp/7507639/)に続いて文観の話が一応は出たので、下半身が怪しい「天下を揺り動かすほどの大坊主」(参照http://trushnote.exblog.jp/7507639/)について全員触れる事ができた事になります。めでたしめでたし。
※上述した人物の略歴を記しておきます。
楠木正成:河内の新興豪族。後醍醐天皇が鎌倉幕府に対し挙兵した際に、これに呼応した。大阪平野で幕府軍を翻弄し、更に赤坂城・千早城に篭城して幕府の大軍を相手に互角以上の戦いを示して幕府の軍事的威信を低下させる事に成功。これを契機にして各地の豪族が挙兵し、幕府は滅亡に向かう。後醍醐による建武政権でも厚遇された。足利尊氏が後醍醐に反旗を翻した際にも後醍醐方として奮戦しているが、戦略案が後醍醐や貴族たちに受け入れられず摂津湊川で決戦を強いられ、足利の大軍を相手に孤軍奮闘の末に戦死した。
楠木正行:正成の子。後醍醐死後における畿内南朝軍の主力として活躍。北畠親房の京回復を目指す戦略の下で決戦を強いられ、四条畷で高師直が率いる足利方の大軍と戦い討死。その直前に吉野・如意輪寺の扉に辞世の歌を残したという逸話は有名である。
楠木正儀:正成の子、正行の弟。正行死後に楠木氏を率いて南朝の主力となる。足利方の内紛に乗じて京回復を数回成功させるなど奮戦したが、圧倒的劣勢は如何ともし難く守勢を取って有利な条件で和睦する事を目指す。長慶天皇時代に主戦派が主導権を握り微妙な立場におかれ一時期は足利方に降伏したこともある。
児島高徳:児島半島の新興豪族と推定されるが詳細不明(実在を疑問視する説もある)。後醍醐が幕府に捕らえられ隠岐に流される道中で、後醍醐奪回を目論むが警備が厳しく果たせなかった。その際、後醍醐が通るであろう場所で桜の幹を削って「天莫空勾践 時非無范蠡(天、勾践を空しうするなかれ 時に范蠡無きにしも非ず)」と記し、まだ忠義の臣が存在する事を後醍醐に知らせたという。その後も後醍醐方として各地で活動しているが目立った事績は残していない。
名和長年:伯耆の新興豪族。海運を利用して商業活動をしていたとも言われる。幕府に捕らえられ隠岐に流されていた後醍醐が脱出した際、これを迎えて船上山に篭城して幕府軍を破る。幕府滅亡まで後醍醐はこの地を行宮として長年の保護を受けていた。建武政権では厚遇され、一族も含めて寵を誇ったとされる。足利尊氏と京を巡って戦う最中に討ち死にした。
新田義貞:関東の豪族で、足利氏と同じく源氏の嫡流に当る。有数の有力者であった足利氏とは異なり、新田氏は上野(群馬県)・越後(新潟県)に勢力を置く地方豪族に過ぎなかった。各地で反幕府派が挙兵する中、上野で挙兵し関東の豪族を糾合して鎌倉を攻めて幕府を滅ぼす。建武政権下では足利氏をけん制するための武力として期待され、尊氏が反乱した際には討伐軍司令官として出陣。尊氏方と何度も戦うものの苦戦を余儀なくされ、建武政権崩壊後には北陸に下ってそこで拠点建設を目指す。一時期は北陸に広範な勢力圏を築くが藤島城・黒丸城攻めにおいて流れ矢に当り落命。
北畠顕家:中級貴族の家柄。建武政権下では奥州将軍府に派遣され現地の統括を担う。尊氏が反乱した際には奥州から京にかけつけ足利軍を破るのに大きな貢献をした。後醍醐が吉野に逃れた後も再び奥州の軍勢を率いて各地で足利軍を破った上で京の近くまで迫るが、和泉石津で高師直に破れ落命。
北畠親房:顕家の父。伊勢で南朝方勢力を扶植し、更に関東でも同様に奮闘するが失敗。その後は吉野で戦略立案に従事し、足利方の内紛に乗じて京回復を成し遂げた事もあったが一時的なものに終わる。京奪回に固執し戦力を消耗したとも言える。南朝を精神的に束ねるためのイデオロギーとして「神皇正統記」を記した。
四条隆資:後醍醐の側近。楠木氏とも関係が深くしばしば戦場に出た。八幡での戦いで戦死。
千種忠顕:後醍醐の側近。後醍醐が隠岐に流されるときも同行。しばしば戦場に出ており、足利氏との京争奪戦で討ち死にした。
結城宗広・親光:北関東の豪族。後醍醐に厚遇され南朝主力として活動したが早い段階で死去。親光は尊氏との京争奪戦で尊氏と刺し違えようとして失敗し落命している。
菊池武光:九州の豪族。各地の南朝が振るわない中、懐良親王を奉じて奮戦。筑後川合戦で少弐氏に大将し、後には大宰府を落として九州全土を支配下に収めた。
文観:醍醐寺の密教僧。後醍醐の護持僧として活動した他、畿内の寺院勢力に広く人脈を持ちこれを後醍醐と結びつけて軍事的・経済的に大きな貢献をした。楠木正成・赤松円心も彼の人脈に連なるとされている。立川流大成者として知られる。
【参考文献】
日本唱歌集 堀内敬三・井上武士編 岩波文庫
日本古典文学大系太平記一~三 岩波書店
帝王後醍醐 村松剛 中公文庫
日本の歴史8蒙古襲来 黒田俊雄 中公文庫
日本の歴史9南北朝の動乱 佐藤進一 中公文庫
南北朝時代史 田中義成 講談社学術文庫
吉野朝史 中村直勝 星野書店
歴史群像シリーズ戦乱南北朝 学研
南朝全史 森茂暁 講談社選書メチエ
太平記の群像 森茂暁 角川選書
邪教・立川流 真鍋俊照 ちくま学芸文庫
関連記事(2009年5月17日新設)
ロリコン外伝―南北朝前史―
「文観」補足~寺社勢力は南北朝動乱でどう変わった?~
「民族英雄考―楠木正成と諸国の英雄たち―」補足:正成とフランスの英雄たち
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「宗良親王」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/1997/971003.html)
「楠木正成」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2000/001201.html)
「足利尊氏」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2001/010511.html)
「後醍醐天皇」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2001/010706.html)
立川流についても多少解説があります。
「千早攻防戦-日本初の本格的城塞戦-」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/020426c.html)
「菊池氏の南北朝」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/021004.html)
「北畠親房」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/030117.html)
親房の生涯を追ったものですが、顕家にも触れています。
「日本前近代軍事史」(当ブログ内に移転しました)(http://trushnote.exblog.jp/14549736/)
「戦例の考察」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2000/001027a.html)
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「政治家の発言―足利尊氏問題考―」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/nakajima.html)
「佐々木導誉」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/douyo.html)
関連サイト:
「楠公さんをたたえて」
(http://www.marute.co.jp/~hiroaki/nankou_san/index.htm)
楠木正成関連の詩歌が収録されています。「南朝五忠臣」もあります。
「私製太平記」(http://www.h5.dion.ne.jp/~bey1992/)
南北朝を扱ったサイトです。今回登場した人物についてよくご存じない方は、ここの「武将ファイル」で略歴を参照してください。
http://www.bekkoame.ne.jp/~satortri/tachi-index/tachi-ryu/tachi-ryu.html
立川流について概説しています。
リンクを変更(2010年12月8日)
by trushbasket
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