2007年 10月 13日
神国日本のしょんぼりナショナリズムと鬼子・第六天魔王信長
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今回のお題は織田信長です。
信長ですが蘭丸がどうとかはやりません。エロとか変態の話ばっかりなのもあれなので、たまには真っ当な題材も良いでしょう。信長くらいのメジャーキャラだと、エロだの変態だの、ネタっぽい味付けなしの真っ当な話でもそれなりに楽しめますし。
さて、信長公ですが、日本史上の人物の中で最高度の英雄として人気を博する一方で、ちょくちょく娯楽作品に登場しては、魔人だとか吸血鬼だとかを演じ、日本壊滅を策したりしている様子。まあこれも人気の表れと言えなくもないですが、人気者にしては微妙に酷い扱い。
宗教的迷信を嫌った合理的な頭脳の持ち主(宗教自体を否定したわけではないようですが)で、下々の者とも親しく話をした気さくな人物が、こんな宗教的迷信の化身で日本人の敵って感じの扱いを受けてるのも不思議な気がしますが、やはり、なにより自称魔王なのが原因でしょう。短気で怖い性格にもよるのでしょうが。
それに迷信嫌いの上、非業の死をも納得して受け入れてそうな信長なら、多少酷い扱いしても祟って出たりしなさそうですしね。この点、悲運の前世を経て天狗になって天下を乱そうとしてるとの伝説が残る崇徳院や後醍醐帝だと、きちんとお祀りしておかないと大変なことになりそうで、かえってそういう役目は振れません。その上、信長のほうが格好良くて、娯楽文化のキャラクターとして好適ですし。
ちなみに、この信長が魔王を自称したという話ですが、現在『耶蘇会士日本通信 下』に収められている宣教師フロイスの書いた1573年4月20日付の書簡に記されている事実だそうです。なんでも遠江・三河に侵入しようとした武田信玄が「テンダイノザス・シャモン・シンゲン(天台の座主沙門信玄)」と署名した手紙を送ってきた際に、「ドイロクテンノ・マオウ・ノブナガ(第六天の魔王信長)」と署名して返事したとのこと。
(小和田哲男『集中講義 織田信長』新潮文庫 233頁)
なお第六天魔王というのは、仏教の魔王で、天上界の一部で悪魔の住処である第六天(魔道、天魔とも呼ばれる)を支配して多くの悪魔を率い、仏教に仇なす存在のことです。
ところで、この第六天魔王に関してですが、蒙古襲来を経て巻き起こった13世紀後半以降の神国思想の台頭の中で、一つの面白い伝説が形成されており、『沙石集』や『太平記』などの中に伝えられています。その伝説の内容を大ざっぱにまとめると、天照大神なりイザナギなり日本の開祖的な地位にある神が、第六天魔王との契約によって、仏教を敵視することを条件に子々孫々日本列島を支配することを許された結果、日本はその神の子孫である天皇家の支配する神の国となったという感じです。
自国の王権と神聖性の根拠を、外来宗教の悪魔の手先になったことに求めるとは、なんともしょんぼりと慎ましい限りです。現代日本のナショナリズムは現実的に行くならば親米政策をとってアメリカの子分となるしかないというしょんぼりな状況に置かれているわけですが、しょんぼりナショナリズムは歴史的伝統。天皇がマ元帥と並んで小男っぷりを曝そうが、自民党がアメリカの政策に追従しようが、悪魔の手先になったのに比べれば今更そんなのどうってこともない。千年にわたる修練を経て、我が国の天皇制ナショナリズムは、アメリカに頭下げたくらいでは損なわれない、しなやかな神性を身につけているのだ。
まあペリー以来の屈辱をひとまず押さえ込んで冷静に見てみれば、二次大戦後のアメリカは史上の覇権国家の中では最良の部類であり、世界の残り半分を支配する諸勢力と比べれば比較するのも愚かしいほど優れた国家なので、アメリカが親分であることは幸福とは言わないまでも断じて不幸ではないですしね。
それより信長に話を戻すことにしますが、この第六天魔王の国譲りの話を念頭に置いて信長の自称第六点魔王を見ると、様々に議論されているらしい信長と天皇家の関係や信長の自己神格化の問題が、綺麗に理解できるんじゃないかと思います。
信長と天皇家の関係については、信長を勤皇家であったとするものから信長が天皇一族の抹消を計画していたとするものまで諸説あります。そして摠見寺を建立してそこで自分に対する信仰を強制した(1582年)ことに象徴される自己神格化についても、天皇家問題と関連づけて理解されたりしており、政治的駆け引きと京都御馬揃え(1581年)における武威の誇示によって天皇のすげ替えを図り、天皇家を完全な自己の傀儡としようとした信長が、それが失敗に終わったことで一時的に錯乱して自暴自棄となり、気まぐれで自己神格化を行ったとする見解なんかがあります。
ですが、信長の自己神格化は1573年の第六天魔王自称にまで遡れるのであって、突発的な錯乱とは考えるべきでないと思われます。それだけでも「信長のスローガン「天下布武」の最後の総仕上げと、この信長神格化は結びついている」とし、信長の自己神格化を、天皇・朝廷権力および寺院勢力という旧時代の権威権力を克服し武家による完全なる全国支配を達成するための必要な政策的行動と捉える見解(小和田哲男『集中講義 織田信長』 240頁)の方が、妥当ではないかと思われます。
信長に協力しつつ完全な屈服は拒んだ正親町天皇は信長より十七歳も年長、その死を待って傀儡天皇を立てるという選択肢も十分あり得る年齢差であり、また中国四国北陸関東九州東北と数多の征服で武威を高める余地はまだ残っており、自暴自棄になるには早すぎですしね。
まして自称第六天魔王という事実に第六天魔王の国譲りの説話の存在を考え合わせると、信長は自己神格化によって自己を天皇権力の授与者・支配者としての地位に擬したと言えるのであって、神格化が朝廷権力を乗り越えるための手段であったことは間違いないと見て良いのではないかと思います。
それにしても自称第六天魔王とは、なかなか巧妙な手ではないかと思います。
弑逆すれば天皇・朝廷権力を物理的には克服できますが、日本の創世より幾千年の時を超えた聖なる血筋に対する大罪が、精神上で政権の正当性に暗い影を落とすことになり、また日本という社会の精神的な基軸も失われることになります。
将軍だとか太政大臣だとかいった、ただの権臣として専横するに留めれば、天皇権力を完全に克服したとは言えず、政権はせいぜい二百年もすれば天皇の権威の前に逆賊呼ばわりされることになるでしょう。とはいえ権臣としての栄達の極点として皇位禅譲を得たとすれば、これもまた政権の正当性に影を落としますし、そもそも形式上譲位させたところで、生ける神話の血筋の正当性を自らの身に移すことは不可能です。結果は、形式上はともかく本質において天皇・朝廷権力を克服することはできず、天皇・朝廷権力とこれに与する勢力の反撃を招くか、あるいは天皇の権威を枯死させたもののその後に新たな権威を生み出すことができず、社会の基軸を失ってしまうかのいずれかでしょう。
ところが第六天魔王を自称すれば、天皇の地位の授与者という形式を利用して、天皇の持つ創世から連なる生ける神話としての神的権威を取り上げて、新たな生ける神話、新たな社会の基軸として自己を創造し、天皇権力を真に克服することが可能になります。もちろん、第六天魔王を名乗って自己の神性を主張しても、それを世人に受け入れさせることができなければ何の意味もないのですが、信長にはまだ征服を行う余地が残っており、仮に彼が本能寺で倒れず一代で完全に天下を平定して真の覇王に上り詰め、その武威によって自称に過ぎなかった魔王の名に内実を備えるに至れば、天皇の神性を吸い上げて、天皇権力を真に乗り越えることも、不可能ではなかったのではないでしょうか。
参考資料
小和田哲男著『集中講義 織田信長』 新潮文庫
今谷明著『信長と天皇』 講談社学術文庫
『回想の織田信長 フロイス「日本史」より』松田毅一/川崎桃太編訳 中公新書
細川涼一『逸脱の日本中世』 ちくま学芸文庫
小松和彦『日本妖怪異聞録』 小学館ライブラリー
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http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2000/001201.html
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http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2001/010706.html
信長ですが蘭丸がどうとかはやりません。エロとか変態の話ばっかりなのもあれなので、たまには真っ当な題材も良いでしょう。信長くらいのメジャーキャラだと、エロだの変態だの、ネタっぽい味付けなしの真っ当な話でもそれなりに楽しめますし。
さて、信長公ですが、日本史上の人物の中で最高度の英雄として人気を博する一方で、ちょくちょく娯楽作品に登場しては、魔人だとか吸血鬼だとかを演じ、日本壊滅を策したりしている様子。まあこれも人気の表れと言えなくもないですが、人気者にしては微妙に酷い扱い。
宗教的迷信を嫌った合理的な頭脳の持ち主(宗教自体を否定したわけではないようですが)で、下々の者とも親しく話をした気さくな人物が、こんな宗教的迷信の化身で日本人の敵って感じの扱いを受けてるのも不思議な気がしますが、やはり、なにより自称魔王なのが原因でしょう。短気で怖い性格にもよるのでしょうが。
それに迷信嫌いの上、非業の死をも納得して受け入れてそうな信長なら、多少酷い扱いしても祟って出たりしなさそうですしね。この点、悲運の前世を経て天狗になって天下を乱そうとしてるとの伝説が残る崇徳院や後醍醐帝だと、きちんとお祀りしておかないと大変なことになりそうで、かえってそういう役目は振れません。その上、信長のほうが格好良くて、娯楽文化のキャラクターとして好適ですし。
ちなみに、この信長が魔王を自称したという話ですが、現在『耶蘇会士日本通信 下』に収められている宣教師フロイスの書いた1573年4月20日付の書簡に記されている事実だそうです。なんでも遠江・三河に侵入しようとした武田信玄が「テンダイノザス・シャモン・シンゲン(天台の座主沙門信玄)」と署名した手紙を送ってきた際に、「ドイロクテンノ・マオウ・ノブナガ(第六天の魔王信長)」と署名して返事したとのこと。
(小和田哲男『集中講義 織田信長』新潮文庫 233頁)
なお第六天魔王というのは、仏教の魔王で、天上界の一部で悪魔の住処である第六天(魔道、天魔とも呼ばれる)を支配して多くの悪魔を率い、仏教に仇なす存在のことです。
ところで、この第六天魔王に関してですが、蒙古襲来を経て巻き起こった13世紀後半以降の神国思想の台頭の中で、一つの面白い伝説が形成されており、『沙石集』や『太平記』などの中に伝えられています。その伝説の内容を大ざっぱにまとめると、天照大神なりイザナギなり日本の開祖的な地位にある神が、第六天魔王との契約によって、仏教を敵視することを条件に子々孫々日本列島を支配することを許された結果、日本はその神の子孫である天皇家の支配する神の国となったという感じです。
自国の王権と神聖性の根拠を、外来宗教の悪魔の手先になったことに求めるとは、なんともしょんぼりと慎ましい限りです。現代日本のナショナリズムは現実的に行くならば親米政策をとってアメリカの子分となるしかないというしょんぼりな状況に置かれているわけですが、しょんぼりナショナリズムは歴史的伝統。天皇がマ元帥と並んで小男っぷりを曝そうが、自民党がアメリカの政策に追従しようが、悪魔の手先になったのに比べれば今更そんなのどうってこともない。千年にわたる修練を経て、我が国の天皇制ナショナリズムは、アメリカに頭下げたくらいでは損なわれない、しなやかな神性を身につけているのだ。
まあペリー以来の屈辱をひとまず押さえ込んで冷静に見てみれば、二次大戦後のアメリカは史上の覇権国家の中では最良の部類であり、世界の残り半分を支配する諸勢力と比べれば比較するのも愚かしいほど優れた国家なので、アメリカが親分であることは幸福とは言わないまでも断じて不幸ではないですしね。
それより信長に話を戻すことにしますが、この第六天魔王の国譲りの話を念頭に置いて信長の自称第六点魔王を見ると、様々に議論されているらしい信長と天皇家の関係や信長の自己神格化の問題が、綺麗に理解できるんじゃないかと思います。
信長と天皇家の関係については、信長を勤皇家であったとするものから信長が天皇一族の抹消を計画していたとするものまで諸説あります。そして摠見寺を建立してそこで自分に対する信仰を強制した(1582年)ことに象徴される自己神格化についても、天皇家問題と関連づけて理解されたりしており、政治的駆け引きと京都御馬揃え(1581年)における武威の誇示によって天皇のすげ替えを図り、天皇家を完全な自己の傀儡としようとした信長が、それが失敗に終わったことで一時的に錯乱して自暴自棄となり、気まぐれで自己神格化を行ったとする見解なんかがあります。
ですが、信長の自己神格化は1573年の第六天魔王自称にまで遡れるのであって、突発的な錯乱とは考えるべきでないと思われます。それだけでも「信長のスローガン「天下布武」の最後の総仕上げと、この信長神格化は結びついている」とし、信長の自己神格化を、天皇・朝廷権力および寺院勢力という旧時代の権威権力を克服し武家による完全なる全国支配を達成するための必要な政策的行動と捉える見解(小和田哲男『集中講義 織田信長』 240頁)の方が、妥当ではないかと思われます。
信長に協力しつつ完全な屈服は拒んだ正親町天皇は信長より十七歳も年長、その死を待って傀儡天皇を立てるという選択肢も十分あり得る年齢差であり、また中国四国北陸関東九州東北と数多の征服で武威を高める余地はまだ残っており、自暴自棄になるには早すぎですしね。
まして自称第六天魔王という事実に第六天魔王の国譲りの説話の存在を考え合わせると、信長は自己神格化によって自己を天皇権力の授与者・支配者としての地位に擬したと言えるのであって、神格化が朝廷権力を乗り越えるための手段であったことは間違いないと見て良いのではないかと思います。
それにしても自称第六天魔王とは、なかなか巧妙な手ではないかと思います。
弑逆すれば天皇・朝廷権力を物理的には克服できますが、日本の創世より幾千年の時を超えた聖なる血筋に対する大罪が、精神上で政権の正当性に暗い影を落とすことになり、また日本という社会の精神的な基軸も失われることになります。
将軍だとか太政大臣だとかいった、ただの権臣として専横するに留めれば、天皇権力を完全に克服したとは言えず、政権はせいぜい二百年もすれば天皇の権威の前に逆賊呼ばわりされることになるでしょう。とはいえ権臣としての栄達の極点として皇位禅譲を得たとすれば、これもまた政権の正当性に影を落としますし、そもそも形式上譲位させたところで、生ける神話の血筋の正当性を自らの身に移すことは不可能です。結果は、形式上はともかく本質において天皇・朝廷権力を克服することはできず、天皇・朝廷権力とこれに与する勢力の反撃を招くか、あるいは天皇の権威を枯死させたもののその後に新たな権威を生み出すことができず、社会の基軸を失ってしまうかのいずれかでしょう。
ところが第六天魔王を自称すれば、天皇の地位の授与者という形式を利用して、天皇の持つ創世から連なる生ける神話としての神的権威を取り上げて、新たな生ける神話、新たな社会の基軸として自己を創造し、天皇権力を真に克服することが可能になります。もちろん、第六天魔王を名乗って自己の神性を主張しても、それを世人に受け入れさせることができなければ何の意味もないのですが、信長にはまだ征服を行う余地が残っており、仮に彼が本能寺で倒れず一代で完全に天下を平定して真の覇王に上り詰め、その武威によって自称に過ぎなかった魔王の名に内実を備えるに至れば、天皇の神性を吸い上げて、天皇権力を真に乗り越えることも、不可能ではなかったのではないでしょうか。
参考資料
小和田哲男著『集中講義 織田信長』 新潮文庫
今谷明著『信長と天皇』 講談社学術文庫
『回想の織田信長 フロイス「日本史」より』松田毅一/川崎桃太編訳 中公新書
細川涼一『逸脱の日本中世』 ちくま学芸文庫
小松和彦『日本妖怪異聞録』 小学館ライブラリー
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楠木正成
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2000/001201.html
後醍醐天皇
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2001/010706.html
by trushbasket
| 2007-10-13 17:31
| My(山田昌弘)








