2007年 10月 20日
中国食人文化入門 ~中国的合理主義と、中国人であることおよび中国人があることの不幸について~
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中国人は罪悪感無しに人を食う。
そのことを初めて知ったのは、吉川英治の小説『三国志』を読んでいたときのことでした。そこでは、戦に敗れて逃亡中の劉備に対し、漁師の劉安が狼の肉と称して愛妻の肉を饗したという話が描かれており、小説でありながら作者がしゃしゃり出て「一言ここにさし挟む異例」のゆるしを求めて曰く、理解しにくく不快さえ覚える話で、「この一項は原書にはあっても除こうかと考えたが、原書は劉安の行為を、非常な美挙として扱っているのである。そこに中古支那の道義感や民情もうかがわれるし。そういう彼我の相違を読み知ることも、三国志の持つ一つの意義でもあるので、あえて原書のままにしておいた。」(講談社文庫 三巻 81頁)とのこと。
なるほど中国について知れば知るほど、食人は中国人と中国文化の特徴であると、大いに納得できるわけですが、とくに印象的な例を挙げれば、古典小説『水滸伝』の諸々の描写があります。この『水滸伝』という話は、社会秩序からはみ出た英雄豪傑達が、梁山泊という場所に集って大盗賊団を作り、横暴な官憲等の手向かう敵をことごとくぶちのめし大暴れする話なわけですが、収賄に代表される役人の横暴、人肉饅頭に代表される食人の描写が非常に印象的で、中国官民の暗部を否応なしに見せつけてくれる物語とも言えます。
ちなみに『水滸伝』の食人描写の多さは、「支那人をよく了解する爲には、表裏二面より彼等を觀察する必要がある」として中国人の暗部食人風習に着目し、「支那人間に於ける食人肉の風習」という論文を著した桑原隲藏氏も、「『水滸傳』には隨所に食人肉の記事が見えて、一々開列するに堪へぬ。」と述べるほど。
『水滸伝』一つで食人について論考をまとめることもできそうなくらいです。
とはいえ膨大な資料実例を抱える中国食人史の中では、『水滸伝』すらごく一部を占めるに過ぎません。そして小説である『水滸伝』などより遙かに信憑性のある、そして『水滸伝』よりもはるかに強烈な食人描写が、中国史の資料上にはいくらも存在しているのです。
今回は桑原氏の論文を頼りに、その凄まじいまでの中国食人史について、軽く入門し、中国人の裏面について少し理解を深めてみることにしましょう。軽く触れるのみですから興味があり詳しく知りたいという方は、氏の論文に当たっていただきたく思います。
なお以下の文中での引用は古典の文言を含めて、桑原論文からの引用です(古典の文言は返り点を省略してあります)。
桑原氏は中国人の食人の主な動機として(一)飢饉の際の食用、(二)籠城で糧食が尽きた際の食用、(三)嗜好品としての食用、(四)憎しみを晴らすための怨敵の肉の食用、(五)医療目的の食用の五種を挙げています。
(一)(二)のように飢えに迫られて食人することは、洋の東西を問わず見られるようですが、それでも中国の場合は異常です。
まず中国人が記録魔であることを考慮に入れても、数が多すぎるように思えます。また、しばしば完全に追いつめられてしまうより早く、未だ経済が麻痺せず商業が機能しているうちに人肉食が始まり、羊や豚のごとくに人肉が公然と市場・商店で売り買いされることも、異常なのではないかと思います。さらに行為の態様も他国ではあり得ない異様なものが見られます。
人肉の食用・売買の異常な頻度はここで全てを引いてくるわけにも行きませんから、興味ある方に桑原論文を見ていただくとして、行為態様の異常さについて、桑原論文の挙げる多くの事例のうちから、特に食人の流行が甚だしかったと言われる唐の時代の、その中でも特に異様な態様の事例ふたつを、挙げておくことにしましょう。
『資治通鑑』によれば唐僖宗中和二年(882年)には
長安城中。斗米直三十緡。賊賣(買?)人於官軍以爲糧。官軍或執山寨之民(良民避亂入山築柵自保者)鬻之。
とのこと。
すなわち賊軍の籠もる長安城内で米が高騰したところ、討伐に当たっている官軍が、山中に逃れ籠もっていた良民を賊軍の糧食として売り飛ばすために捕らえ、賊がそれを買ったということ。
攻城戦は洋の東西を問わず悲惨な飢餓をもたらしており、例えば日本でも、秀吉による鳥取城攻囲戦など、飢えのあまり攻囲の柵に取りすがって助けを求める城中の男女を、鉄砲で追い返してさらに一層守城軍を追いつめるという、凄惨な手が取られており、その際城中で食人も発生しているわけですが、さすがにこの長安城の例のように、賊の城を攻める官軍が、逃亡していた良民を捕らえて飢えた賊の糧食に供するなどは、ちょっと中国以外では考えられません。桑原氏はこれを評して「賊軍討伐の任に當れる官軍が、却つて良民を執へ、之を金に換へて賊軍の糧食に資するが如きは、支那以外の他國では、到底見當らぬ咄々怪事と思ふ」と言っています。なるほど他国の官軍も、たとえ自分たちの領民が相手でも略奪・強姦・誘拐となんでもござれの、民衆の味方とは到底言えない存在だったでしょうが、それでもさすがにここまで酷くはないと思います。
さらにまた『資治通鑑』によれば僖宗中和三年(883)年には
時民間無積聚。〔黄巣〕賊掠人爲糧。生投於碓磑。併骨食之。
とのこと。
これについては『旧唐書』はさらに記述が具体的で「日殺數千」「巨碓數百」「生納人於臼碎之」などとあります。
すなわち民間に蓄えが無く食料を得られなかったため、賊の黄巣は食料とするため人をさらい、日に数千人を生きたまま数百の大臼に放り込んで粉砕し、骨の混ざったまま食した、ということ。
この光景は、よく人肉工場などと評されています。誇張もあるでしょうが、それでも相当大規模かつ効率的に食人したとは言え、このような例は他国ではまず見あたらないのではないかと思います。
それにしても以上の現象からして、中国の文化風土には人間が生きていること自体にたいする敬意が決定的に欠如しており、中国人は、個人としてはともかく、集団として見たとき残虐極まりないと言わざるを得ません。
完全に追いつめられぬ内に人肉を食用に供し、金になると分かれば公権力が存在意義を放棄して守るべき人民をあっさりと食肉に変えて売りさばき、人肉生産の手法においては生者を殺す間すら惜しんで生きながらに臼で粉砕するという、生産効率の情け容赦ない徹底追及。
これらの事実から滲み出る、人間すら物に過ぎないという徹底した人間の尊厳の否定と、人間否定に基づく眼前の利益に対する徹底した執着は、残虐すぎて他国ではちょっと真似できそうもないほどであり、なんというか中国的合理主義とでも呼ぶべきではないかと思います。
なお中国で食人が多く発生することについて、桑原氏は飢饉の頻発を理由として挙げています。氏によれば、中国では頻繁に飢饉が起きるが、「一旦飢饉となると、交通の不便な支那では、穀物の價が想像以上に暴騰する」し、飢饉対策の設備は制度としてはよく整っているものの「概していへば、名あつて實なきものが多い」、その上「歴代の支那政府は、水旱毎に救恤を怠らぬが、中間に介在する官吏の私利によつて、上惠が多く下達せぬ」こともあり、結果、中国人民は人を食わねばならぬ状態に追い込まれることが多いのだそうです。
ここで挙げられた飢饉が食人に繋がる三要因のうち、交通の不便はともかくとして、残り二つの要因は中国人、とくに中国の官吏公人の怠慢腐敗の問題であり、食人するほどの飢餓はかなりの部分人災であったということになります。この官吏公人が自己の眼前の安楽および利益追求を最優先し、社会公共の長期的な利益追求や社会的な安心・信頼をないがしろにする点も、先に述べた中国文化における人間の尊厳の否定、中国的合理主義のしからしめる所ではないかと思います。
近視眼的に短期的な利益を追い求め、目下の利益のために合理的に生きるなら、どこかの誰かや未来の誰か、今と未来のより良い人類の尊厳ある生のために、長期的な目的意識を持って苦労を背負うなど、およそ無駄でしかありませんしね。
ちなみに飢餓に基づく食人がかくのごとく中国人の意識に深く根ざし、中国文化の極致として成立している以上は、その根絶は容易なことではなく、近代になっても「光緒四年の饑饉には、この蠻行が實現して居る」そうで、ようやく二十世紀に入った「民國九年(西暦一九二〇)に於ける北支那の饑饉には、諸外國からの救助も相當に行き渡つたから、人肉食用の蠻行は起らなかつた」とのことです。
ところで(一)(二)のごとき飢えに駆られての緊急時の食人すら、他国と相当に異なる姿を取り、中国固有の文化的現象といって良いほどの有様なわけですから、より平穏な状態で発生している(三)(四)(五)のような食人は、ますますもって文化的現象、中国国民性の表れとしての性格が強いと言えます。
(三)の個人の嗜好として人肉を食した例については桑原氏は「こは勿論特別の場合に限る。所が支那では、この特別なるべき場合が、存外頻繁に起るから驚く。」と述べ、美食の極みに人肉すら食すにおよんだ斉の国の桓公以下、多数の人肉愛好者を挙げています。
人肉愛好者の話は他国にも見られないわけではなく、我が国でも第二代天皇の綏靖帝には日々大量の人民を食したという伝説が残っています(ただし綏靖帝は実在すら疑われる神話的世界の住人であり、かつ食人伝説は相当後の時代になってから出現したらしく、食人愛好の実例として用いて良いのか怪しくはあるのですが)。
しかし氏の言う通り、我が国を始め他国ではそうは起こらない食人愛好という特別な現象が、中国では「存外頻繁に起る」のであって、中国人の人肉食への禁忌の弱さは特異といって良いでしょう。やはりここにも人間の尊厳の意識の欠如が透けて見えていると言えるのです。ちなみに食人した斉の桓公が古代中国の覇者の一人で中国史上の理想的君主の一人であること、そしてしばしば指摘されるように、中国人はこの食人について人肉を供した料理人を(料理したのが自分の子であった残虐性について)非難するものの食した桓公については非難していないということにも、食人に関する禁忌の弱さ、人間軽視という中国文化の特徴が表れていると言えるでしょう。
(四)の憎悪のあまり食人するというのは、行為者が他国人であれば、食人が禁忌であるが故にあえて禁忌に触れる行為で尊厳を踏みにじり憎しみを表したと解することもできるのでしょうが、すでに見たように頻繁に食人する中国人であれば、禁忌の薄さ、人間の尊厳の意識の薄さの故にかかる行為に及んだと解するほかありません。かかる行為の出現頻度、そして罵り言葉として安易に相手の肉を食人する旨宣告することも、禁忌の薄さの証拠となるでしょう。
何の例も挙げないのはあまり好ましくないでしょうから、これらについても幾つか例を挙げておきます。まずこの種の食人の例としては、1895年の広東地方の村落間の水争いで「敵の捕虜は、やがて殺害せられ、その肉は村童仲間へ食料として分配されたと、信用すべき當時の英字新聞は傳へて居る」ことを挙げておきましょう。この一事で、憎悪による食人が中国社会に根深く浸透して、近代になってさえ安易に行われていたことが分かり、この種の食人がいかにありふれていたかが理解できるというものです。罵り言葉については、『国語』の伝える話の中で、古代の覇者の一人で中国の理想的君主の一人である晋の文公が臣下にして舅である人物を罵ってその肉を食らうと言ったり(「吾食舅氏之肉…」)、淫書『覺後禪』(これよりも『肉蒲団』の名で知られる)に登場する婦人が、情人の変心を疑い、書簡中でおまえの肉を豚や犬の肉のように食らってやる云々といった物言い(「我必咬儞的肉。當做猪肉狗肉吃也。」)を使って問いつめたことを挙げて、貴賤男女を問わずこの手の罵りを用いたことを示しておくとしましょう。
余談ながら、桑原氏は「憎惡とはいへぬが威嚇の目的で、支那人が蠻人の肉を食した場合が、支那史乘に尠からず見當る。」とし、英字新聞の伝える「近く日清戰役の頃まで、臺灣在住の支那人間に、島中の蕃人の肉を食用する風習が行はれ、蕃人の肉が豚肉同樣に市場に公賣された」事実などを記しています。
(五)の医療目的の食用は、人肉が薬になるとの説が広まった唐以降盛んに行われたのですが、ここには別に異常性は感じられません。病において、人の身を使って助けることができるのではないか、あるいは他人の身を裂いてでも助かりたい、もしくは自らの身を裂いてでも助けたいという発想は、例えば現代の移植医療を見れば分かるように、普通の現象であって、医療技術としての適否は知りませんが、人の情としては割に普遍的なのではないかと思います。ただこの種の事例においては、食人そのものに中国人の異常性は表れていないものの、中国人が食人に駆り立てられる社会的背景、食人の周辺事情には異常性が表れており、それを見ておくことは中国を理解するのに大いに役立つ物と言えるでしょう。
薬としての食人は、孝行を見せつけるために父母舅姑に自らの肉片を割き与えるという形で頻出しており、桑原氏によれば「父母の爲、若くば舅姑の爲め、自己の股肉を割いて供した所謂孝子孝女は、唐宋以後の正史野乘を始め、各地方の通志、府縣志等に疊見して居つて、一々列擧するに堪へぬ」とのこと。
ちなみにこの風習は「最上の孝行として、社會も歡迎し、官憲も奬勵した。所が雷同性の多い、模仿性に富む支那人のこととて、その流弊憂ふべきに至り」しばしば実際的政治家によって規制されることとなった。ただしその規制に実効性はなく、流行が病むことはなかったのだそうです。
なお「官憲もその行爲が賣名の目的でない限り、之に旌表を加へて居る」とのことで、言い換えれば公の賞賛を控えるべき売名目的の事例が存在したということであり、また近代になってアメリカ人アーサー・スミスが「親しく母親の病氣を醫すべく、自己の股肉を割いた若者に面會したことがある。彼は宛も古武士が戰場で受けた古傷を示すが如き得意な態度で、自分にその傷痕を示した。」と語っているあたり、薬とするため身を裂く孝子孝女が大量生産された背景には、面子を賭けて嗜虐的なほどに過剰な孝行を競い合い殊更に身を割いて徳を見せびらかし売名する風潮の蔓延があったと言わざるを得ません。
そして、このように、外見上の道徳を過剰に競い合い、道徳を、売名して他者に対する優越を図るための道具とすること、すなわち似非道徳主義とでも呼べそうな態度は、中国人と中国社会の悪癖と言って良いのではないかと思います。
ところで道徳が売名の道具に堕落しているのも、人間をただの物と捉え尊厳を否定する中国的合理主義のしからしめるところではないでしょうか。すなわち人間に尊厳を認めないからこそ、人間関係を規定する道徳に真の尊さが認められず、結果、社会全体が揃って道徳を売名の具にするようなことになるのではないかと思うのです。
以上で、中国の人肉食の主要な五形態について一通り見てきたわけですが、それぞれ軽く触れただけにもかかわらず、十分に、中国人と中国社会の暗部が明らかになったのではないかと思います。
すなわち、中国人および中国社会の暗部とは、人間の尊厳の全否定、中国式とでも呼ぶしかないある種の徹底した、ただし近視眼的な合理主義であり、またこの中国式合理主義のもたらす官憲公人の信じられないほどの腐敗と、ためらいなく人を食らうほどの残虐性、および道徳をただの売名の具に堕落させた似非道徳主義である。
それにしても、このような中国的合理主義のもたらす闇の中で生きねばならない個々の中国人は不幸と言うより他無いわけですが、この不幸は個々の中国人を悪意に満ちた他者に対抗するため中国的合理主義を身につけざるを得ないという状況へと追いつめており、それがますます社会全体の中国的合理主義を強め、中国的合理主義という巨悪は無限に強化の過程を繰り返しているのではないかとさえ思えます。中国人であることの不幸が、中国人であることの不幸を永遠に再生産してるといった感じです。
ところで中国近代文学の出発点となった魯迅の『狂人日記』は、人肉食を主題として扱うことで、中国社会の状況を象徴的に描き出し、儒教道徳の仮装をまといながら人民を食い物にする中国の権力体制を批判しているのだそうで、中国人ですら心ある人物は、中国人であることの不幸を深く理解し、中国人と中国社会の暗部を痛烈に批判しているわけです。
ところが世界では、とりわけ日本では、漢詩だの儒教だの共産主義だのアジア主義だのをこねくり回し、中国人の暗部から目を背けて、中国に肩入れする風潮が妙に強いような気がします。これでは中国人を苦しめる中国人であることの不幸が、グローバル化とやらの波に乗って姿を変え、同じ世界に中国人がある不幸として世界及び日本に襲いかかってくるのを、阻止できない可能性があります。
いえ、世界と日本は、既にそこに中国人がある不幸を阻止することに失敗したと言うべきかもしれません。
ですがその被害を食い止めるため、世界全体そして日本人全体が、今から中国人の暗部を見つめ、中国に対する認識を塗り替えることは遅くはあっても無駄ではないはずです。そして世界および日本人が中国の暗部を直視し、中国への認識と対処を改めることは、個々の中国人を中国人であることの不幸から解き放つことともなるでしょう。
世界と日本人、そしてひいては個々の中国人のため、人を食うほどまでに人を食う中国の暗部が広く認識されることを願って止みません。
参考資料
桑原隲藏著「支那人間に於ける食人肉の風習」はまなかひとし入力/染川隆俊校正 青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/cards/000372/card42810.html)
篠田統著『中国食物史』 柴田書店
中野美代子著『カニバリズム論』 福武文庫
開高健『最後の晩餐』 光文社文庫
吉川英治『三国志』 講談社文庫
『水滸伝』駒田信二訳 講談社文庫
桑田忠親著『新編 日本合戦全集』 秋田書店
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補
桑原論文は「古代に溯ると Cannibalism は、存外廣く諸國民の間に行はれて居つた。中古時代のヨーロッパ人の間にも、この蠻風が存在したといふ。否中古に限らず、最近に於ける大戰役の際にも、オーストリーやロシア邊では、食糧缺乏して人肉を食用したと傳へられて居る。しばらく支那の四圍を見渡すと、西のチベット人、北の蒙古人、東の朝鮮人、南の安南、占城諸國民の間にも、嘗て Cannibalism の行はれた證跡歴然たるものがある。ただ我が日本人の間には、支那傳來と思はるる迷信に本づき、療病の目的に、人肉を使用した極めて稀有の場合を除き、記録の上では殆どこの蠻風が見當らぬ。」「太田錦城が、日本では神武開闢以來、人が人を食ふこと見當らざるは、我が國の風俗の淳厚、遠く支那に勝る所以と自慢して居るが(『梧窓漫筆』後編上)、この自慢は支那人と雖ども承認せねばなるまい。」と誇っている。
ところが日本でも、綏靖帝はさておき、南北朝時代の金ヶ崎籠城や戦国の鳥取城籠城のような食人の例はありますし、また氏が『漢書』の記述を「その儘に襲踏したもので、必しも當時の事實を傳へたものでない」と切って捨てる『日本書紀』の飢餓による食人の記述とて、原文があるにせよ原文を選ぶに当たっては描きたい事象に適した文章を用いるであろうから、完全に無視して良い物でもないでしょう。世界で一人日本人だけが食人せぬなどという自讃は、少々不当ではないかと思います。
とはいえ「日支兩國は脣齒相倚る間柄で、勿論親善でなければならぬ。日支の親善を圖るには、先づ日本人がよく支那人を了解せなければならぬ。支那人をよく了解する爲には、表裏二面より彼等を觀察する必要がある。經傳詩文によつて、支那人の長所美點を會得するのも勿論必要であるが、同時にその反對の方面、即ちその暗黒の方面をも一應心得置くべきことと思ふ。」として、氏が暗黒方面の例として中国の食人を選び出したことは全く妥当であるし、中国が集団的な「風俗の淳厚」において我が国および諸国と比べ遠く劣っていることも、食人と食人を取り巻く諸事情の常軌を逸した有様から言って、否定し得ない事実であろう。
結局、少々の自国礼賛程度では、氏の中国観と論文の妥当性および価値が減ずることなどないのであるが、ただ本論文の書かれた1924年ならば許された自国賛美も、80年以上を隔たる今となっては、やや受け入れがたい面があり、若干の補足をした次第です。
れきけん・とらっしゅばすけっと/京都大学歴史研究会関連発表
引きこもりニート列伝その6 劉備・諸葛亮・姜維
http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/neet06.html
重耳・介子推
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/1999/990604.html
中国民衆文化史
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/020607.html
そのことを初めて知ったのは、吉川英治の小説『三国志』を読んでいたときのことでした。そこでは、戦に敗れて逃亡中の劉備に対し、漁師の劉安が狼の肉と称して愛妻の肉を饗したという話が描かれており、小説でありながら作者がしゃしゃり出て「一言ここにさし挟む異例」のゆるしを求めて曰く、理解しにくく不快さえ覚える話で、「この一項は原書にはあっても除こうかと考えたが、原書は劉安の行為を、非常な美挙として扱っているのである。そこに中古支那の道義感や民情もうかがわれるし。そういう彼我の相違を読み知ることも、三国志の持つ一つの意義でもあるので、あえて原書のままにしておいた。」(講談社文庫 三巻 81頁)とのこと。
なるほど中国について知れば知るほど、食人は中国人と中国文化の特徴であると、大いに納得できるわけですが、とくに印象的な例を挙げれば、古典小説『水滸伝』の諸々の描写があります。この『水滸伝』という話は、社会秩序からはみ出た英雄豪傑達が、梁山泊という場所に集って大盗賊団を作り、横暴な官憲等の手向かう敵をことごとくぶちのめし大暴れする話なわけですが、収賄に代表される役人の横暴、人肉饅頭に代表される食人の描写が非常に印象的で、中国官民の暗部を否応なしに見せつけてくれる物語とも言えます。
ちなみに『水滸伝』の食人描写の多さは、「支那人をよく了解する爲には、表裏二面より彼等を觀察する必要がある」として中国人の暗部食人風習に着目し、「支那人間に於ける食人肉の風習」という論文を著した桑原隲藏氏も、「『水滸傳』には隨所に食人肉の記事が見えて、一々開列するに堪へぬ。」と述べるほど。
『水滸伝』一つで食人について論考をまとめることもできそうなくらいです。
とはいえ膨大な資料実例を抱える中国食人史の中では、『水滸伝』すらごく一部を占めるに過ぎません。そして小説である『水滸伝』などより遙かに信憑性のある、そして『水滸伝』よりもはるかに強烈な食人描写が、中国史の資料上にはいくらも存在しているのです。
今回は桑原氏の論文を頼りに、その凄まじいまでの中国食人史について、軽く入門し、中国人の裏面について少し理解を深めてみることにしましょう。軽く触れるのみですから興味があり詳しく知りたいという方は、氏の論文に当たっていただきたく思います。
なお以下の文中での引用は古典の文言を含めて、桑原論文からの引用です(古典の文言は返り点を省略してあります)。
桑原氏は中国人の食人の主な動機として(一)飢饉の際の食用、(二)籠城で糧食が尽きた際の食用、(三)嗜好品としての食用、(四)憎しみを晴らすための怨敵の肉の食用、(五)医療目的の食用の五種を挙げています。
(一)(二)のように飢えに迫られて食人することは、洋の東西を問わず見られるようですが、それでも中国の場合は異常です。
まず中国人が記録魔であることを考慮に入れても、数が多すぎるように思えます。また、しばしば完全に追いつめられてしまうより早く、未だ経済が麻痺せず商業が機能しているうちに人肉食が始まり、羊や豚のごとくに人肉が公然と市場・商店で売り買いされることも、異常なのではないかと思います。さらに行為の態様も他国ではあり得ない異様なものが見られます。
人肉の食用・売買の異常な頻度はここで全てを引いてくるわけにも行きませんから、興味ある方に桑原論文を見ていただくとして、行為態様の異常さについて、桑原論文の挙げる多くの事例のうちから、特に食人の流行が甚だしかったと言われる唐の時代の、その中でも特に異様な態様の事例ふたつを、挙げておくことにしましょう。
『資治通鑑』によれば唐僖宗中和二年(882年)には
長安城中。斗米直三十緡。賊賣(買?)人於官軍以爲糧。官軍或執山寨之民(良民避亂入山築柵自保者)鬻之。
とのこと。
すなわち賊軍の籠もる長安城内で米が高騰したところ、討伐に当たっている官軍が、山中に逃れ籠もっていた良民を賊軍の糧食として売り飛ばすために捕らえ、賊がそれを買ったということ。
攻城戦は洋の東西を問わず悲惨な飢餓をもたらしており、例えば日本でも、秀吉による鳥取城攻囲戦など、飢えのあまり攻囲の柵に取りすがって助けを求める城中の男女を、鉄砲で追い返してさらに一層守城軍を追いつめるという、凄惨な手が取られており、その際城中で食人も発生しているわけですが、さすがにこの長安城の例のように、賊の城を攻める官軍が、逃亡していた良民を捕らえて飢えた賊の糧食に供するなどは、ちょっと中国以外では考えられません。桑原氏はこれを評して「賊軍討伐の任に當れる官軍が、却つて良民を執へ、之を金に換へて賊軍の糧食に資するが如きは、支那以外の他國では、到底見當らぬ咄々怪事と思ふ」と言っています。なるほど他国の官軍も、たとえ自分たちの領民が相手でも略奪・強姦・誘拐となんでもござれの、民衆の味方とは到底言えない存在だったでしょうが、それでもさすがにここまで酷くはないと思います。
さらにまた『資治通鑑』によれば僖宗中和三年(883)年には
時民間無積聚。〔黄巣〕賊掠人爲糧。生投於碓磑。併骨食之。
とのこと。
これについては『旧唐書』はさらに記述が具体的で「日殺數千」「巨碓數百」「生納人於臼碎之」などとあります。
すなわち民間に蓄えが無く食料を得られなかったため、賊の黄巣は食料とするため人をさらい、日に数千人を生きたまま数百の大臼に放り込んで粉砕し、骨の混ざったまま食した、ということ。
この光景は、よく人肉工場などと評されています。誇張もあるでしょうが、それでも相当大規模かつ効率的に食人したとは言え、このような例は他国ではまず見あたらないのではないかと思います。
それにしても以上の現象からして、中国の文化風土には人間が生きていること自体にたいする敬意が決定的に欠如しており、中国人は、個人としてはともかく、集団として見たとき残虐極まりないと言わざるを得ません。
完全に追いつめられぬ内に人肉を食用に供し、金になると分かれば公権力が存在意義を放棄して守るべき人民をあっさりと食肉に変えて売りさばき、人肉生産の手法においては生者を殺す間すら惜しんで生きながらに臼で粉砕するという、生産効率の情け容赦ない徹底追及。
これらの事実から滲み出る、人間すら物に過ぎないという徹底した人間の尊厳の否定と、人間否定に基づく眼前の利益に対する徹底した執着は、残虐すぎて他国ではちょっと真似できそうもないほどであり、なんというか中国的合理主義とでも呼ぶべきではないかと思います。
なお中国で食人が多く発生することについて、桑原氏は飢饉の頻発を理由として挙げています。氏によれば、中国では頻繁に飢饉が起きるが、「一旦飢饉となると、交通の不便な支那では、穀物の價が想像以上に暴騰する」し、飢饉対策の設備は制度としてはよく整っているものの「概していへば、名あつて實なきものが多い」、その上「歴代の支那政府は、水旱毎に救恤を怠らぬが、中間に介在する官吏の私利によつて、上惠が多く下達せぬ」こともあり、結果、中国人民は人を食わねばならぬ状態に追い込まれることが多いのだそうです。
ここで挙げられた飢饉が食人に繋がる三要因のうち、交通の不便はともかくとして、残り二つの要因は中国人、とくに中国の官吏公人の怠慢腐敗の問題であり、食人するほどの飢餓はかなりの部分人災であったということになります。この官吏公人が自己の眼前の安楽および利益追求を最優先し、社会公共の長期的な利益追求や社会的な安心・信頼をないがしろにする点も、先に述べた中国文化における人間の尊厳の否定、中国的合理主義のしからしめる所ではないかと思います。
近視眼的に短期的な利益を追い求め、目下の利益のために合理的に生きるなら、どこかの誰かや未来の誰か、今と未来のより良い人類の尊厳ある生のために、長期的な目的意識を持って苦労を背負うなど、およそ無駄でしかありませんしね。
ちなみに飢餓に基づく食人がかくのごとく中国人の意識に深く根ざし、中国文化の極致として成立している以上は、その根絶は容易なことではなく、近代になっても「光緒四年の饑饉には、この蠻行が實現して居る」そうで、ようやく二十世紀に入った「民國九年(西暦一九二〇)に於ける北支那の饑饉には、諸外國からの救助も相當に行き渡つたから、人肉食用の蠻行は起らなかつた」とのことです。
ところで(一)(二)のごとき飢えに駆られての緊急時の食人すら、他国と相当に異なる姿を取り、中国固有の文化的現象といって良いほどの有様なわけですから、より平穏な状態で発生している(三)(四)(五)のような食人は、ますますもって文化的現象、中国国民性の表れとしての性格が強いと言えます。
(三)の個人の嗜好として人肉を食した例については桑原氏は「こは勿論特別の場合に限る。所が支那では、この特別なるべき場合が、存外頻繁に起るから驚く。」と述べ、美食の極みに人肉すら食すにおよんだ斉の国の桓公以下、多数の人肉愛好者を挙げています。
人肉愛好者の話は他国にも見られないわけではなく、我が国でも第二代天皇の綏靖帝には日々大量の人民を食したという伝説が残っています(ただし綏靖帝は実在すら疑われる神話的世界の住人であり、かつ食人伝説は相当後の時代になってから出現したらしく、食人愛好の実例として用いて良いのか怪しくはあるのですが)。
しかし氏の言う通り、我が国を始め他国ではそうは起こらない食人愛好という特別な現象が、中国では「存外頻繁に起る」のであって、中国人の人肉食への禁忌の弱さは特異といって良いでしょう。やはりここにも人間の尊厳の意識の欠如が透けて見えていると言えるのです。ちなみに食人した斉の桓公が古代中国の覇者の一人で中国史上の理想的君主の一人であること、そしてしばしば指摘されるように、中国人はこの食人について人肉を供した料理人を(料理したのが自分の子であった残虐性について)非難するものの食した桓公については非難していないということにも、食人に関する禁忌の弱さ、人間軽視という中国文化の特徴が表れていると言えるでしょう。
(四)の憎悪のあまり食人するというのは、行為者が他国人であれば、食人が禁忌であるが故にあえて禁忌に触れる行為で尊厳を踏みにじり憎しみを表したと解することもできるのでしょうが、すでに見たように頻繁に食人する中国人であれば、禁忌の薄さ、人間の尊厳の意識の薄さの故にかかる行為に及んだと解するほかありません。かかる行為の出現頻度、そして罵り言葉として安易に相手の肉を食人する旨宣告することも、禁忌の薄さの証拠となるでしょう。
何の例も挙げないのはあまり好ましくないでしょうから、これらについても幾つか例を挙げておきます。まずこの種の食人の例としては、1895年の広東地方の村落間の水争いで「敵の捕虜は、やがて殺害せられ、その肉は村童仲間へ食料として分配されたと、信用すべき當時の英字新聞は傳へて居る」ことを挙げておきましょう。この一事で、憎悪による食人が中国社会に根深く浸透して、近代になってさえ安易に行われていたことが分かり、この種の食人がいかにありふれていたかが理解できるというものです。罵り言葉については、『国語』の伝える話の中で、古代の覇者の一人で中国の理想的君主の一人である晋の文公が臣下にして舅である人物を罵ってその肉を食らうと言ったり(「吾食舅氏之肉…」)、淫書『覺後禪』(これよりも『肉蒲団』の名で知られる)に登場する婦人が、情人の変心を疑い、書簡中でおまえの肉を豚や犬の肉のように食らってやる云々といった物言い(「我必咬儞的肉。當做猪肉狗肉吃也。」)を使って問いつめたことを挙げて、貴賤男女を問わずこの手の罵りを用いたことを示しておくとしましょう。
余談ながら、桑原氏は「憎惡とはいへぬが威嚇の目的で、支那人が蠻人の肉を食した場合が、支那史乘に尠からず見當る。」とし、英字新聞の伝える「近く日清戰役の頃まで、臺灣在住の支那人間に、島中の蕃人の肉を食用する風習が行はれ、蕃人の肉が豚肉同樣に市場に公賣された」事実などを記しています。
(五)の医療目的の食用は、人肉が薬になるとの説が広まった唐以降盛んに行われたのですが、ここには別に異常性は感じられません。病において、人の身を使って助けることができるのではないか、あるいは他人の身を裂いてでも助かりたい、もしくは自らの身を裂いてでも助けたいという発想は、例えば現代の移植医療を見れば分かるように、普通の現象であって、医療技術としての適否は知りませんが、人の情としては割に普遍的なのではないかと思います。ただこの種の事例においては、食人そのものに中国人の異常性は表れていないものの、中国人が食人に駆り立てられる社会的背景、食人の周辺事情には異常性が表れており、それを見ておくことは中国を理解するのに大いに役立つ物と言えるでしょう。
薬としての食人は、孝行を見せつけるために父母舅姑に自らの肉片を割き与えるという形で頻出しており、桑原氏によれば「父母の爲、若くば舅姑の爲め、自己の股肉を割いて供した所謂孝子孝女は、唐宋以後の正史野乘を始め、各地方の通志、府縣志等に疊見して居つて、一々列擧するに堪へぬ」とのこと。
ちなみにこの風習は「最上の孝行として、社會も歡迎し、官憲も奬勵した。所が雷同性の多い、模仿性に富む支那人のこととて、その流弊憂ふべきに至り」しばしば実際的政治家によって規制されることとなった。ただしその規制に実効性はなく、流行が病むことはなかったのだそうです。
なお「官憲もその行爲が賣名の目的でない限り、之に旌表を加へて居る」とのことで、言い換えれば公の賞賛を控えるべき売名目的の事例が存在したということであり、また近代になってアメリカ人アーサー・スミスが「親しく母親の病氣を醫すべく、自己の股肉を割いた若者に面會したことがある。彼は宛も古武士が戰場で受けた古傷を示すが如き得意な態度で、自分にその傷痕を示した。」と語っているあたり、薬とするため身を裂く孝子孝女が大量生産された背景には、面子を賭けて嗜虐的なほどに過剰な孝行を競い合い殊更に身を割いて徳を見せびらかし売名する風潮の蔓延があったと言わざるを得ません。
そして、このように、外見上の道徳を過剰に競い合い、道徳を、売名して他者に対する優越を図るための道具とすること、すなわち似非道徳主義とでも呼べそうな態度は、中国人と中国社会の悪癖と言って良いのではないかと思います。
ところで道徳が売名の道具に堕落しているのも、人間をただの物と捉え尊厳を否定する中国的合理主義のしからしめるところではないでしょうか。すなわち人間に尊厳を認めないからこそ、人間関係を規定する道徳に真の尊さが認められず、結果、社会全体が揃って道徳を売名の具にするようなことになるのではないかと思うのです。
以上で、中国の人肉食の主要な五形態について一通り見てきたわけですが、それぞれ軽く触れただけにもかかわらず、十分に、中国人と中国社会の暗部が明らかになったのではないかと思います。
すなわち、中国人および中国社会の暗部とは、人間の尊厳の全否定、中国式とでも呼ぶしかないある種の徹底した、ただし近視眼的な合理主義であり、またこの中国式合理主義のもたらす官憲公人の信じられないほどの腐敗と、ためらいなく人を食らうほどの残虐性、および道徳をただの売名の具に堕落させた似非道徳主義である。
それにしても、このような中国的合理主義のもたらす闇の中で生きねばならない個々の中国人は不幸と言うより他無いわけですが、この不幸は個々の中国人を悪意に満ちた他者に対抗するため中国的合理主義を身につけざるを得ないという状況へと追いつめており、それがますます社会全体の中国的合理主義を強め、中国的合理主義という巨悪は無限に強化の過程を繰り返しているのではないかとさえ思えます。中国人であることの不幸が、中国人であることの不幸を永遠に再生産してるといった感じです。
ところで中国近代文学の出発点となった魯迅の『狂人日記』は、人肉食を主題として扱うことで、中国社会の状況を象徴的に描き出し、儒教道徳の仮装をまといながら人民を食い物にする中国の権力体制を批判しているのだそうで、中国人ですら心ある人物は、中国人であることの不幸を深く理解し、中国人と中国社会の暗部を痛烈に批判しているわけです。
ところが世界では、とりわけ日本では、漢詩だの儒教だの共産主義だのアジア主義だのをこねくり回し、中国人の暗部から目を背けて、中国に肩入れする風潮が妙に強いような気がします。これでは中国人を苦しめる中国人であることの不幸が、グローバル化とやらの波に乗って姿を変え、同じ世界に中国人がある不幸として世界及び日本に襲いかかってくるのを、阻止できない可能性があります。
いえ、世界と日本は、既にそこに中国人がある不幸を阻止することに失敗したと言うべきかもしれません。
ですがその被害を食い止めるため、世界全体そして日本人全体が、今から中国人の暗部を見つめ、中国に対する認識を塗り替えることは遅くはあっても無駄ではないはずです。そして世界および日本人が中国の暗部を直視し、中国への認識と対処を改めることは、個々の中国人を中国人であることの不幸から解き放つことともなるでしょう。
世界と日本人、そしてひいては個々の中国人のため、人を食うほどまでに人を食う中国の暗部が広く認識されることを願って止みません。
参考資料
桑原隲藏著「支那人間に於ける食人肉の風習」はまなかひとし入力/染川隆俊校正 青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/cards/000372/card42810.html)
篠田統著『中国食物史』 柴田書店
中野美代子著『カニバリズム論』 福武文庫
開高健『最後の晩餐』 光文社文庫
吉川英治『三国志』 講談社文庫
『水滸伝』駒田信二訳 講談社文庫
桑田忠親著『新編 日本合戦全集』 秋田書店
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補
桑原論文は「古代に溯ると Cannibalism は、存外廣く諸國民の間に行はれて居つた。中古時代のヨーロッパ人の間にも、この蠻風が存在したといふ。否中古に限らず、最近に於ける大戰役の際にも、オーストリーやロシア邊では、食糧缺乏して人肉を食用したと傳へられて居る。しばらく支那の四圍を見渡すと、西のチベット人、北の蒙古人、東の朝鮮人、南の安南、占城諸國民の間にも、嘗て Cannibalism の行はれた證跡歴然たるものがある。ただ我が日本人の間には、支那傳來と思はるる迷信に本づき、療病の目的に、人肉を使用した極めて稀有の場合を除き、記録の上では殆どこの蠻風が見當らぬ。」「太田錦城が、日本では神武開闢以來、人が人を食ふこと見當らざるは、我が國の風俗の淳厚、遠く支那に勝る所以と自慢して居るが(『梧窓漫筆』後編上)、この自慢は支那人と雖ども承認せねばなるまい。」と誇っている。
ところが日本でも、綏靖帝はさておき、南北朝時代の金ヶ崎籠城や戦国の鳥取城籠城のような食人の例はありますし、また氏が『漢書』の記述を「その儘に襲踏したもので、必しも當時の事實を傳へたものでない」と切って捨てる『日本書紀』の飢餓による食人の記述とて、原文があるにせよ原文を選ぶに当たっては描きたい事象に適した文章を用いるであろうから、完全に無視して良い物でもないでしょう。世界で一人日本人だけが食人せぬなどという自讃は、少々不当ではないかと思います。
とはいえ「日支兩國は脣齒相倚る間柄で、勿論親善でなければならぬ。日支の親善を圖るには、先づ日本人がよく支那人を了解せなければならぬ。支那人をよく了解する爲には、表裏二面より彼等を觀察する必要がある。經傳詩文によつて、支那人の長所美點を會得するのも勿論必要であるが、同時にその反對の方面、即ちその暗黒の方面をも一應心得置くべきことと思ふ。」として、氏が暗黒方面の例として中国の食人を選び出したことは全く妥当であるし、中国が集団的な「風俗の淳厚」において我が国および諸国と比べ遠く劣っていることも、食人と食人を取り巻く諸事情の常軌を逸した有様から言って、否定し得ない事実であろう。
結局、少々の自国礼賛程度では、氏の中国観と論文の妥当性および価値が減ずることなどないのであるが、ただ本論文の書かれた1924年ならば許された自国賛美も、80年以上を隔たる今となっては、やや受け入れがたい面があり、若干の補足をした次第です。
れきけん・とらっしゅばすけっと/京都大学歴史研究会関連発表
引きこもりニート列伝その6 劉備・諸葛亮・姜維
http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/neet06.html
重耳・介子推
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/1999/990604.html
中国民衆文化史
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/020607.html
by trushbasket
| 2007-10-20 23:05
| My(山田昌弘)








