背徳美食倶楽部 ~人肉の味を探求・賞味する~
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というわけで今回は、先日真面目に取り上げた人肉食について、ネタに走ってみたいと思います。
先日の中国食人文化入門(http://trushnote.exblog.jp/7602405/)では、中国では美食としての食人が他国と比べて顕著であるということについても、少し触れたと思いますが、本当に人肉が美食たり得るのか、中国史の資料より、人肉の味を解明することが今回の課題です。
人肉食の経験が豊富であるのみならず、長く豊かな肉食文化の歴史を有して多種多様な肉に対する深い理解に達している中国人ですから、彼らの残した記録は人肉の味を解明する上で世界一優れた資料と言えるのであって、そこからはかなり真相に近いところまで迫れるのではないかと思います。
なお中国史の資料から得られた解釈を、補強あるいは発展させるため、補助的に他の文化圏の資料・証言に頼ったことをあらかじめお断りしておきます。
後で触れますが、中国の歴史資料上では人肉の味が他の動物に喩えられたり、他の動物の肉と称して人肉を食べたりと言った例がいくつもみつかります。それらの話を総合すればある程度人肉の味および他の肉と比べたときの味覚的な上下関係に迫ることができるとは思うのですが、そのためにはまず前提として中国食文化における肉の序列を知っておく方が良いでしょう。
中国の食文化の歴史において普通に食した肉は牛、羊、豚、犬で、これらの肉の価値は牛と羊が高級、豚と犬が低級だったようです。低級の肉については時に犬が豚より上に来たり、豚肉が泥のように安いと言われたこともありで、上下が入れ替わることもあるようですが、最終的には犬は下等な肉と言うことに落ち着いていますし、大体において豚の方が上であったと言って良いようです。高級な肉については、古代においては羊が通常の御馳走で、牛は国王のみが食す非常に高級な存在だったようです。(参考 篠田統著『中国食物史』 柴田書店)
ただ『水滸伝』三十八回では、羊はあるが牛はないと言った料亭の給仕に対し、暴れ者が「おれには牛肉が似合いだとばかにしやがって、羊の肉は売らんというのか」(駒田信二訳 講談社文庫)と食ってかかっています。『水滸伝』は元代に成立した作品なので、この記述から言って、元代には羊が牛より上位に来るようになったと見ることができます。おそらくは支配者であるモンゴル人が家畜として羊を第一とし、牛はこれに次ぐとした影響でしょう。『中国食物史』によれば元代は中国の食文化の転換期だそうなので、とりあえず元より前の時代が牛上位、元における転換以降が羊上位と解しておくこととします。(もっとも本稿で扱う事例に明清のものはないので、羊上位が元のみの序列でも、明清を含めた元以降の序列でもどちらでも何も問題ないのですが。)
以上より中国の肉の序列は、宋までは牛>羊>豚>犬、元以降は羊>牛>豚>犬とします。
では人肉の味ですが、桑原隲藏著「支那人間に於ける食人肉の風習」や中野美代子著『カニバリズム論』、『中国食物史』に引かれている食人事例から味に関係ありそうなところを選り出しつつ、考察してみることにしましょう。
宋以前の事例としては、唐の『盧氏雜説』に、張茂昭が食人したとの噂の真偽を問いただされて「人肉腥而臊。爭堪喫。」と答えた旨記されています。人肉は生臭くてとても食えたもんじゃないということですが、「腥」は豚の霜降り肉や鶏のあぶら、「臊」は豚や犬のあぶらを意味することがあるので、この記述からは人肉の臭いは豚に近いと判断することが一応可能です。
この他唐代については有名な食人鬼朱粲の発言、「若噉嗜酒之人。正似糟藏猪肉」が伝わっています。桑原氏はこの発言の出典を記していませんが、中野氏の文章から見て、どうやら宋代の『鶏肋編』が出典のようです。酒飲みの肉を食うと粕漬けの豚肉みたいだということで、これから見ても人肉は豚に近いと言えるでしょう。
また『鶏肋編』によれば人肉一般が「両脚羊」(二本足の羊)、女の肉が「不羨羊」(羊よりうまい)、男の肉が「饒把火」(たいまつよりはまし)と呼ばれたらしいです。『鶏肋編』の記す呼称を味の問題と捉えるのは中野氏の見解で、桑原氏の論文では、羹の料に供するから「下羮羊」(なんだか両氏の記述は字まで微妙に違います)、肉が硬く燃料を多く要するから「饒把火」、人間を羊同樣に食用するから「兩脚羊」と説いています。とりあえず桑原氏の主張を採用すると味の探求が困難になるので、中野氏の説を採用しますが、そうすると人肉は羊に近い味で、女であれば羊より美味く、男は羊に劣るということになります。
また宋を圧迫して華北を占領下に置いた金では、『帰潜志』によれば、元帥の牙虎帯が、部将の妻に羊肉と偽って人肉を食わせ美味との返答を得たということです。これからは人肉は、羊と偽れる程度の羊に近い味であったということになります。
いったん宋以前の資料および肉の序列(牛>羊>豚>犬)からまとめてみましょう。
人肉の味が羊か豚か、意見が割れていて判断が難しいですが、『鶏肋編』の人肉の呼称を見る限り男女でかなりの味の高低があるようなので、女の肉ならば羊、男の肉ならば豚に近い味ということにしておきたいと思います。
元代以降だと、元の『輟耕録』が「小児を以て上となし、婦女これに次ぎ、男子またこれに次ぐ」としているそうです。
この他、元代だと、『水滸伝』がその頃成立しているので多少頼りになり、味に関係ありそうなところだと、第二十七回に人肉を牛肉と称して売る酒場が出て来ます(やせている男は水牛として売るようなことも言っていますが、水牛の方は今回関係ないので無視します)。『水滸伝』は小説ですから、事実や風聞を記した他の資料と比べると信憑性に疑問が無くもないですが、中国文化における食人経験の豊富さを考えると、大衆受けを狙った衝撃的な根も葉もない虚構として食人を描いたとは思えず、むしろそれは歴史的経験を反映しての描写と言えるでしょうから、この記述も一応ある程度の味覚的真実を伝えている物として信用してみようと思います。このとき、この酒場では、男の客を見て牛肉として売るのにおあつらえむきと語っているので、男が牛肉のような味、『輟耕録』の記述および元代以降の序列(羊>牛>豚>犬)を考え合わせて、より美味い女や小児で羊並みとしておきましょう。なお、おおむね人肉を羊に近いものとして扱ったこれより前の時代の事例のことを考えれば、羊並みということは、ほぼ羊の味と見て問題ないかと思います。
こうしてみると女の肉が羊のような味であるのは、ほぼ間違いないかと思われます。
ですが男が牛なのか豚なのか。
牛と豚ではだいぶ味が異なりますから、牛か豚のどちらかに絞らねば味が解明されたとは言えません。とはいえこれ以上は中国史上の食人資料からは判断がつきにくく、悩ましいところ。
ただ女が羊の味であることと、男女の脂肪量の差を考えれば、男の肉は羊から脂を落とした味になるはずです。男を含めて二本足の羊ですし。そして、人肉を扱った章があるということで読んでみた開高健著『最後の晩餐』に、アラブの羊料理について記した章があり、その中でターゲンという料理を解説した際に、おびただしい脂の量を誇る羊の肉から脂を搾り出してしまえば、牛肉とまったく差がないといった感じのことを書いていました(光文社文庫 313頁)。ということは、男の肉の味に関しては牛肉ということで良いのではないかと思います。なお、人肉の味を牛肉の味と解することについては、『最後の晩餐』に載っている他国の事例で、信憑性を高めてくれそうなものが無いでもないですが、時代的に未だ歴史的事実と呼べるか微妙で、このような不謹慎な考察に持ち出すにはふさわしくなさそうですから、あえて伏せることにします。
ところでこれと人肉を豚に近いと推測させてくれる証拠との整合性をいかに図るかですが、男女双方を含んだ「両脚羊」という呼び名に臭いの強い羊の語が使われていることからいって、人肉は、男であっても牛と呼ぶには臭いが強すぎるはずなので、臭いが強いことを示すための喩えとして豚が持ち出されたのだと解しておきましょう。張茂昭の話は臭いが生臭いというもので、肉の味自体の話ではなく、臭いにしても豚を意味するつもりはないと解することも可能です。また朱粲の出した喩えは粕漬けにした肉で、肉そのものの味の判断材料としてはやや価値が低い気がします。したがってこう解することも、可能ではないかと思います。
というわけで、女の肉は羊肉、男の肉は臭いが羊肉で味が牛肉と結論したいと思います。
羊から牛という肉として高級な範囲に収まる味ですから、人肉は一応かなりの美食たり得るということになりますね。人殺しの罪を犯してまで食べたいほどの物ではないですが。
ついでに人肉を疑似体験する方法も考えてみましょう。
女の味が知りたければ羊肉を食べましょう。
男の味は、羊焼いてから同じ鉄板使って牛を焼くとかなんとかして、羊肉の臭いが牛肉につくようにすれば、それっぽいものに仕上がるんじゃないでしょうか。
さて折角ですから、人肉の美味をさらに極めることにしましょう。
人間で一番美味いのはどこなのか。これについては中国から離れ、日本に参考にできそうな話があります。すなわち戦国時代の鳥取城攻囲戦では、飢えた城内では。食人が起こり中でも頭が美味いらしく奪い合いとなったとのこと。
つまり、人肉中最高の美味は脳ということになります。
ということは、人肉中最高の美味を疑似体験しようと思ったら、羊か牛の脳ミソを食べれば良さそうなのですが…。
脳ミソってどこで食べれるんでしょう。何料理屋で食べれるのか見当がつきませんし、スーパーや肉屋には売ってない気がします。…こんな難易度の高い疑似体験は疑似体験としての役に立ちません。
なにか他に手はないでしょうか…。
というわけでもっと簡単な人肉の美味の極め方を手に入れてきました。
資料として用いるのは漫画『美味しんぼ』(雁屋哲/花咲アキラ著)。歴史ネタのブログである以上、漫画のことはさっぱりという方も読まれているでしょうから一応説明しておきますと、『美味しんぼ』とは美食家の海原雄山と山岡士郎の親子が、食い物をネタに激しくいがみ合い衝突を繰り返す料理漫画で、海原雄山の傲慢極まる罵詈・暴言の数々と、憎悪を装いつつも隠しきれない息子士郎への愛情が最大の魅力となっている作品であります。
さて注目すべきはこの『美味しんぼ』の11巻収録の「魚の醍醐味」。
そこでは、海原雄山が仔牛の脳ミソ、山岡士郎が仔羊の脳ミソを料理して出しているのですが、彼らはそれをフグの白子の代用品として用意してきました。つまり逆に考えれば、フグの白子は牛や羊の脳ミソの代用品となるということです。フグなら一匹まるまるスーパーに置いてあったりしますし、食べれる店も簡単に見つかりますから、どこで食べれるのか分からない脳ミソよりは、だいぶ難易度が下がるのではないでしょうか。
また、山岡さんは脳ミソを料理する前に、フグの白子には及ばないにせよその代用品たり得る物として鱈の白子を用意していました。ということはタラの白子も、牛や羊の脳ミソの代用品たり得るということです。
そして牛や羊の脳ミソの代用品たり得るということは、フグとタラの白子は人間の脳ミソの代用品たり得るんですよ。
ちなみに、先日、街中を歩き回って、料理屋の店頭にある値段をうろうろ眺めてフグとタラの白子が幾らで食べれるのかもちゃんと調べてきました。
とりあえずその時はフグの白子が1200円、タラの白子が900円でした。
なんだか人肉の美味の極みがとってもお手ごろ価格になりました。
ですが、最も美味い箇所を選び出しても、1200円とか900円で味わえる程度の美味だというなら、やっぱり人肉は、美味ではあっても、人殺しの罪を犯してまで食べるような物ではないということになりますね。
参考資料
篠田統著『中国食物史』 柴田書店
桑原隲藏著「支那人間に於ける食人肉の風習」はまなかひとし入力/染川隆俊校正 青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/cards/000372/card42810.html)
中野美代子著『カニバリズム論』 福武文庫
開高健『最後の晩餐』 光文社文庫
『水滸伝』駒田信二訳 講談社文庫
桑田忠親著『新編 日本合戦全集』 秋田書店
雁屋哲/花咲アキラ著『美味しんぼ 11』 小学館
関連記事(2009年5月17日新設)
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日本の人肉食について例示する
覇者の胃袋 ~粗食、偏食、暴飲暴食の帝王たち~
れきけん・とらっしゅばすけっと/京都大学歴史研究会関連発表
中国民衆文化史
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/020607.html
おまけ・美味しんぼ特集
海原雄山研究(Ein Besseres Morgen / A Better Tomorrow)
http://tokyo.cool.ne.jp/abt/c-kaibara1.html
海原雄山解剖学/山岡士郎観察記(GENのHP)
http://home8.highway.ne.jp/galzo/manga/oisinbo01.htm
美味しんぼ万歳!!
http://www14.plala.or.jp/oisinnbo/index.htm
第1回 属性別選手権 ツンデレ級王者決定戦 結果発表 ~436人が選んだツンデレ娘141人!~(はつゆきオフィシャル「ゆきっこ.com」)
http://yukikko.com/zoku01.aspx
ツンデレ娘の大群を押しのけて、雄山おっさんなのに堂々の第三位。
ツンツン厳しく接しながら、実は内心士郎にデレデレな雄山の姿は、かわいい娘さんよりも人々に愛されているようです。