2007年 11月 21日
諸君 私は戦争が好きだ ~高らかに謳う文学的戦闘者エルンスト・ユンガー紹介~
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諸君 私は戦争が好きだ
諸君 私は戦争が好きだ
諸君 私は戦争が大好きだ
こうして始まる漫画『HELLSING -ヘルシング-』中の余りに有名な長口上、「英米の物量に押しつぶされて殲滅されるの」さえ歓喜とともに受け入れて、「この地上で行われるありとあらゆる戦争行動が大好きだ」と謳い上げ、「クリーク!! クリーク!! クリーク!!(戦争!! 戦争!! 戦争!!)」の歓呼で応える千人の吸血鬼からなる群衆を、「100万と1人」の軍集団と頼んで、魔的なイギリス上陸作戦を、「一心不乱の大戦争」を、「征くぞ諸君」とけしかける、先の大戦のナチス第三帝国の生き残り、SS少佐のイカレ格好良い大演説(平野耕太著『HELLSING』4巻 少年画報社 186~198頁)、一度は目にしたことのある方も多いでしょう。
彼は自分たちを「手段のためなら目的を選ばないという様などうしようもない連中」(同書 124頁)と自称して、戦争目的もなくただ手段としての戦争を、より激しく、苦痛・悲劇性・絶望・死をもありのままに喜んで飲み下し、非合理性の極致に立って「戦争の歓喜を無限に味わうために 次の戦争のために 次の次の戦争のために」(同書 41頁および96頁)、イギリスの王立国教騎士団に仕える不死身の大吸血鬼アーカードという難敵との決戦を求めて同地を目指すのです。
ところで世界は広いもので、かくも激しく戦争をたたえる熾烈な人物が、現実世界にも存在していました。
もちろん現実の戦争賛美者の多くは、戦争のもたらす好ましい社会的効果に着目しているにすぎず、「少佐」のように暗黒面を含めた戦争そのものに歓喜しているわけではないのが通例です。
例えば、19世紀に、ドイツの哲学者ヘーゲルが考えたように、戦争は国家を強化するから良いものである、あるいはフランスの経済学者プルードンが考えたように、物質主義的で卑俗にして商業的で平和な世界に安住する小さく退屈な家畜のような人間に誇りとヒロイズムを与えて価値ある者に変えるから戦争は良いものである、あるいはイギリスの美術史家ラスキンが考えたように、戦争は芸術的創造の源泉となるから良いものである、あるいはロシアの小説家ドストエフスキーが考えたように、戦争は平和と快楽の中で堕落した人間に名誉を重んずる心を蘇らせ、科学や芸術にも刺激を与えるから良いものである。
ですが、そんな風に良きものを得るための手段としての戦争を賛美するとは次元の異なる、戦争そのものを「少佐」のように、熾烈に賛美し享受して、そのことを高らかに謳い上げる人物も、確かに、現実世界に存在していたのです。
戦争が、かつて多少なりと備えていた個性的な大英雄の個人的行動としての王朝的性格を失って、集団的没個性的な全体行動として、国民の旗の下に無限の無名の兵士人民が大いなる喜びをもって一つの戦争機械に組上がり全世界を舞台に一つの部隊として団結して戦い抜く、絶対戦争としての姿を現した、第一次世界大戦。国家が社会が時代が吸血鬼と化して、魅せられた人民大衆の差し出す首筋から鮮血を吸い上げて、強化し肥大し、満身の力を込めた巨大な握り拳と化して、打ち合い、突き合い、自らを、自らを構成する大衆を、熱烈な歓喜の中で自殺的に磨り潰していったイカレた時代、帝国主義時代の狂気の中で狂喜し給血し吸血したAGE OF EMPIRE OF VAMPIRE。
その狂期を経て登場した、熾烈な戦争思想家、ドイツの文学者エルンスト・ユンガーを今回は紹介したいと思います。彼はたびたびの負傷と勲章に飾られた一次大戦の勇士であり、その経験の後で戦争賛美を行っていますから、安穏な生活の中、味わったこともない戦争を礼賛するような小者とは次元の違う、紛れもない本物です。
まずは略伝
エルンスト・ユンガーは1895年にドイツのハイデルベルクで誕生した。
彼は1912年には家出してフランス外人部隊に入隊したが、父が外務省に手を回して家へと連れ戻される。第一次大戦が勃発すると、彼は軍に志願して西部戦線で少なくとも七回負傷するなど勇敢な戦士として活躍、1918年にはドイツ最高の勲章であるプール・ル・メリットを授与されている。
彼は、戦後、戦場での勇戦の日々を冷静に回顧した『In Stahlgewittern (鋼鉄の嵐の中で)』(20年)で文筆活動を始めて成功を収める一方、人数を厳しく制限されたドイツ国防軍の将校団の一員として残留し、歩兵操典編集に携わったり、カップ一揆でデモ隊鎮圧に当たるなどしながら、1923年まで軍に留まった。
軍を去ったユンガーは、ライプチヒ大学やナポリの動物学研究所で動物学と哲学を学んだが二年で学業を止め、文筆家として独立する。
過激な軍国主義者、国家主義者であった彼は、その後、旧前線兵士の団体や様々な国家主義運動家と接触し、右翼革命家として行動するがいずれの場合も路線対立を起こして、次第に政治的実践の世界からは距離を取っていくことになる。彼にはナチスからも誘いがかかっていたが、彼はこれを拒絶しており、1927年には提供された国会議員の地位を拒絶したし、33年には文学アカデミーへの招聘を拒んで秘密警察ゲシュタポの家宅捜索を受けている。また37年には国家反逆罪で強制収容所送りとなった国家主義者ニーキシュの家族を一時自宅に引き取ったりもしている。なお、野蛮人による平和な土地の荒廃を描いた、この頃の彼の寓意小説『Auf den Marmorklippen(大理石の断崖の上で)』(39年)は、ナチスに対する抵抗文学として評価されている。
ユンガーは1939年には二次大戦に召集されて西部におけるフランス等への侵攻に参加、40年に負傷兵を救って勲章を受けるなどもしたが、もはや勇士としての活躍を示すことはあまり無く、捕虜の取扱いを任としつつ読書にふける日々を過ごす。なおフランス侵攻の後で、ニーキシュとの関係が原因で、再度ゲシュタポの家宅捜索を受けるが、軍高官である友人達の手配で司直の手を免れる。
その後41年には、彼を危険人物視する軍の一部の声を抑えて、パリ軍司令部のシュパイデル将軍が彼を同地に呼び寄せ、以後、41年から42年のコーカサス視察を除いてはパリに滞在、兵士の郵便の検閲に従事しながら、読書、古書店巡り、文士との交際等に日々を過ごす。また彼はこの頃、反ヒトラー派の将校と接触があり、直接は関与しなかったものの、戦争の犠牲は十二分に払われたとして平和とそこから生まれる新たなヨーロッパ像を説いた論文『Der Friede (平和)』(43年)によって、44年のヒトラー暗殺計画に精神的影響を与えている。この計画の失敗の結果、ユンガーの庇護者のシュパイデルが逮捕、その勧誘を受けて計画自体は知らないもののヒトラー除去の動きに同調するに至ったロンメル元帥が服毒自殺、もう一人のユンガーの庇護者シュテュルプナーゲル将軍が絞首刑に追い込まれており、ユンガー自身も連座することにもなりかねない状況であったが、戦況悪化による混乱のおかげで彼は無事であった。なお同年彼は軍人にふさわしくないとして軍を追われている。
二次大戦後、彼はその好戦的言動やナチスとの関わりが非難されたほか、非ナチス宣言書への署名拒否によって49年まで出版禁止処分を受けるなどしたが、50年代に急速に復権、以降様々な文学的栄誉を受けつつ、延々と現役作家として書き続けた。
1998年、102歳で死去。
なお彼は「ドイツ社会の動きを鋭敏につげる「地震計」と呼ばれ、作物は「魔術とリアリズムをとかしあわせたもの」と評される。」(兵澤静也 『現代思想』1984年1月号 175頁 ユンガー「総動員」への解説)
さてこのように百を超えて生き、ドイツ社会の動きとともに様々な著作を生み出してきたユンガーですが、彼が軍国主義者、戦争崇拝者っぷりを発揮しているのは、1920年代から30年代はじめの初期の作品群になります。その中でも特に『Der Kampf als inneres Erlebnis (内的体験としての戦闘)』(1922年)が良い感じに突き抜けて、リアル少佐な感じにイカレ格好良く仕上がっているようです。
そこで今回は、どうにか訳せたこの本の序文だけでも紹介してみようかと思います。序文だけでも結構美味しくいただけますよ。
とはいえ外国語はどうにも苦手なので、誤訳が多々含まれているとは思いますが、その点についてはどうかご容赦を。
あと、この訳文は原書の出版後十年以内に正式な翻訳が出ている場合は、翻訳公開不可能と言うことになりますので、それが判明次第、削除する予定。同期間内の正式の翻訳の存在をご存じの方は、ご一報よろしくお願いします。
訳者連絡先
phephemol(あっと)hotmail.co.jp
エルンスト・ユンガー『内的体験としての戦闘』 序
精神世界の新星は、かつて東方の博士達に示された、世界を変える予言、嵐の予兆のように、全ての目覚めし人々に向けて輝きを放っている。星々が灼熱の炎に没し、偶像は砕け散り、あらゆる様式は無数の溶鉱炉を経て、融解し新たな価値へと新生するだろう。
時代の波があらゆる方向より攻め寄せる。学問、社会、国家、神、芸術、エロチシズムは、崩壊する、動揺する、すなわち再生する。今なお景色は目まぐるしく入れ替わり、破片の渦巻く大都会は釜のごとく。それでも熱狂は散逸し、炎の奔流も一個の秩序へと冷え静まるだろう。あらゆる狂乱は、いつかは重い壁の前に消え去り、鋼鉄の握り拳の前にくびきへとつながれる。
なぜ我々の時代は今その力で、破壊と創造を成しつつあるのか?なぜ我々の時代は今、限りない希望を孕んでいるのか?多数の人々を熱下に焼き殺す一方で、炎は無数の蒸留器の中へ未来と奇跡を抽出しつつあるのだ。いかなる予言書にも示されてはいないが、そこには未来への展望が、確かな歩みが存在する。
戦争こそが、人と時代を、今ある姿へ変えたのだ。時代を覆う力を組み伏せるため、世界という名のコロシアムへと人間が足を踏み入れる、その最初の世代が我々だ。この世代にとって、暗く激しい戦争から、明るい日常へ逃げ戻るなど断じてありえない。我々にとっては、人が拒絶するであろうことも、拒絶するなどあり得ない。戦争は、万物の父であり、我々にとっても父である。槌で打ち、のみで刻み、今の我らを鍛え上げたのは戦争なのだ。確かに我らは、子が父を乗り越え上回るように、戦争を克服したけれど、それでも戦争は、我らにとっては、新天地を求めて谷へ下るまでを過ごした、懐かしい山々なのだ。そして我らの人生の車輪が回りつづけている限り、戦争はそのための車軸であり続けるだろう。戦争が我々を戦闘に向けて教育し、我々に生ある限り、戦闘こそが我々なのだ。確かに戦争は終わり、戦場は愚者の会合・悪漢のたまり場として悪評とともに放棄されたが、それでも戦争の精神は下僕達に深く染みつき、解放してはくれないのだ。しかも我々の中に戦争があり、我々が世界を構成している以上、間違いなく戦争は、世界中で、創造的な精神の内に潜みつつ、我らを見つめているのである。貴方は、戦争が無数の都市で雄叫びを上げるのを、かつてと変わらず戦いが我々を取り囲み、周囲が喧噪に満ちているのを、聞いてはいないのか?あらゆる人の眼の奥に、戦争の紅い炎がちらつくのを、貴方は見ていないと言うのか?戦争も時には眠りにつくが、それでも大地が動揺を示せば、燃え立つ火山を一面に噴火させることだろう。
ところで戦争は我らの父であるのみならず、我らの子でもまたあるのだ。我らは彼を生み、彼は我らを生んだ。我らは鎚で打たれ、のみで刻まれた者、しかるに他方で鎚を振り、のみを走らせた者、鍛冶屋であると同時に火花を散らす鉄鋼、自らの迫害行為の殉教者、駆動装置の性質を備えた伝導装置。
明かりの溢れる町と地下通路を満たすざわめき、水面の輝きに囲まれたカフェ、きらびやかな光の帯と化した街並み、色とりどりのリキュールでいっぱいのバー、会議のテーブル、最新の流行、刻々と流れてくるニュース、日々の問題、毎週起こる大事件、その中で様々な仕事と快楽に引き裂かれ孤立していた旧時代の人類、それよりはるかに我々は、熱狂的な文化の母胎の中で、揺るぎない団結を生きている。技術的にまた生産的に、我々は殉教者アキバ・ベンの微笑みを浮かべながら芸術の終端に立っており、世界の謎の数々は既に解消してしまったか、まさに解消されつつある。結実の時が到来し、間もなく超人が現れる。
これまでの凡庸な生活から、我々は誇らしく目覚めの時を迎える。物質に飽和した時代の嫡子たる進歩は、神秘の鍵たる機械、望遠鏡にして顕微鏡たる認識器官として、完成した姿を現す。輝き続ける磨き抜かれた皮膜、ありとあらゆる衣服によって、我々はあたかも奇術師のように身を飾ったけれど、結局、我々は、森林や草原の人々と同様に、裸で粗野なままであったのだ。
戦争がヨーロッパの連帯を引き裂いたとき、そのことは明らかとなった、そう我々は既に失墜し嘲笑の対象となっていたはずの旗と紋章を掲げて、太古からの定めに従い、互いを対立させたのだ。その狂宴の雄叫びの中で、真の人間は忘却の時を埋め合わせていった。協調と律法によって永らく抑えられていた衝動こそが、唯一の神聖な究極の真理であった。もはや、幾世紀の成り行きの中で頭脳的に厳格に造り上げてきた作法になど、拳にみなぎる荒れ狂う力は、従ったりはしないのだ。
かくして今や我々の背後には、夜に通り抜ける森のような、暗黒と妖気が横たわっている。そこに潜む荒い息づかいを、聞いたことのない者がいるだろうか?我々はダイバーのようにその世界へと潜行し、変容させられて帰ってきたのだから。
大地の上で起こっていることは何か?戦争の担い手達、その被造物たる人間は、彼らの人生に戦争を通過させ、そこから新たな道へ入って、新たな終末へと放り込まれた。─それにとって我らが何であり、我らにとってそれが何であったのか?それこそが、今、人々が答えを求めて止まない問いである。そして、この小冊もまた同じ問いに取り組んでいる。深淵へと向かう激しい舞踏の間に、人が感じた何かは、単に個人的な霊的体験を書き写すだけで、描き出せるようなものではない。具体性と価値判断を取り除くことはできないし、本質的であることもできないからだ。だが具体性は、題材のせいであるし、そこから推論を行う知性、すなわち血筋と教育のせいでもあって、これと異なるやり方など不可能であり、事実に触れずに済ますことはできない。
我々の時代の個性と変幻する輝きは、矛盾から生まれ落ち、矛盾へと消え落ちている。我々はかつてない混沌、光と影の渦の中を生きているのだ。ならば、希望と絶望、肯定と否定、合理と背理を同時に含む心的な光景を受け入れねばならない。
参考資料
ロジェ・カイヨワ著『戦争論 われわれの内にひそむ女神ベローナ』秋枝茂夫訳 法政大学出版局
エルンスト・ユンガー著『ヘリオーポリス 下』田尻三千夫訳 国書刊行会(訳者による「エルンスト・ユンガー略年譜」等を含む)
『現代思想』1984年1月号
『Encyclopaedia Britannica, 2007』
『歴史群像シリーズ43アドルフ・ヒトラー戦略編』 学研
Ernst Juenger著『Der Kampf als inneres Erlebnis』 E.S.Mittler & Sohn
平野耕太著『HELLSING』 少年画報社関連記事(2009年5月17日新設)
関連記事(2009年5月17日新設)
乳とメイドとキルケゴールとナショナリズム
「音楽は人を殺れる!!」―独裁者を魅了した魔性の「楽劇」―
偉大なるダメ人間シリーズ番外その4 タカリ魔のヤンデレ内政王 フリードリヒ・ヴィルヘルム1世
れきけん・とらっしゅばすけっと/京都大学歴史研究会関連発表
偉大なるダメ人間シリーズその3 モルトケ(当ブログ内に移転しました)
http://trushnote.exblog.jp/14529098/
引きこもりニート列伝その11 ヒトラー
http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/neet11.html
オットー・ヒンツェ『国家組織と軍隊組織』(当ブログ内に移転しました)
http://trushnote.exblog.jp/14589837/
日本民衆文化史
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/021206.html
『軍事史概説 戦略と戦術の東西文明五千年史』(当ブログ内に移転しました)
http://trushnote.exblog.jp/14455184/
ユンガーについては
よろしければ、社会評論社『ダメ人間の世界史』
(「ユンガー 人生とは反抗だ、戦争だ ~年甲斐もなくこの世の全てに牙を剥く永遠の反抗期小僧(オッサン)~」収録)
もご参照ください。
(著作紹介20106月26日加筆)
おまけ
エルンスト・ユンガー
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/9565/
ユンガーの著作を探すのに便利です。
ドイツ語版へルシング検証その1(白い空 -Kazami Akira's web page-)
http://www.geocities.jp/kazami_akira/diary/diary0412.html#1226-02
少佐演説ドイツ語版紹介です。
リンクを変更(2010年12月8日、16日)
諸君 私は戦争が好きだ
諸君 私は戦争が大好きだ
こうして始まる漫画『HELLSING -ヘルシング-』中の余りに有名な長口上、「英米の物量に押しつぶされて殲滅されるの」さえ歓喜とともに受け入れて、「この地上で行われるありとあらゆる戦争行動が大好きだ」と謳い上げ、「クリーク!! クリーク!! クリーク!!(戦争!! 戦争!! 戦争!!)」の歓呼で応える千人の吸血鬼からなる群衆を、「100万と1人」の軍集団と頼んで、魔的なイギリス上陸作戦を、「一心不乱の大戦争」を、「征くぞ諸君」とけしかける、先の大戦のナチス第三帝国の生き残り、SS少佐のイカレ格好良い大演説(平野耕太著『HELLSING』4巻 少年画報社 186~198頁)、一度は目にしたことのある方も多いでしょう。
彼は自分たちを「手段のためなら目的を選ばないという様などうしようもない連中」(同書 124頁)と自称して、戦争目的もなくただ手段としての戦争を、より激しく、苦痛・悲劇性・絶望・死をもありのままに喜んで飲み下し、非合理性の極致に立って「戦争の歓喜を無限に味わうために 次の戦争のために 次の次の戦争のために」(同書 41頁および96頁)、イギリスの王立国教騎士団に仕える不死身の大吸血鬼アーカードという難敵との決戦を求めて同地を目指すのです。
ところで世界は広いもので、かくも激しく戦争をたたえる熾烈な人物が、現実世界にも存在していました。
もちろん現実の戦争賛美者の多くは、戦争のもたらす好ましい社会的効果に着目しているにすぎず、「少佐」のように暗黒面を含めた戦争そのものに歓喜しているわけではないのが通例です。
例えば、19世紀に、ドイツの哲学者ヘーゲルが考えたように、戦争は国家を強化するから良いものである、あるいはフランスの経済学者プルードンが考えたように、物質主義的で卑俗にして商業的で平和な世界に安住する小さく退屈な家畜のような人間に誇りとヒロイズムを与えて価値ある者に変えるから戦争は良いものである、あるいはイギリスの美術史家ラスキンが考えたように、戦争は芸術的創造の源泉となるから良いものである、あるいはロシアの小説家ドストエフスキーが考えたように、戦争は平和と快楽の中で堕落した人間に名誉を重んずる心を蘇らせ、科学や芸術にも刺激を与えるから良いものである。
ですが、そんな風に良きものを得るための手段としての戦争を賛美するとは次元の異なる、戦争そのものを「少佐」のように、熾烈に賛美し享受して、そのことを高らかに謳い上げる人物も、確かに、現実世界に存在していたのです。
戦争が、かつて多少なりと備えていた個性的な大英雄の個人的行動としての王朝的性格を失って、集団的没個性的な全体行動として、国民の旗の下に無限の無名の兵士人民が大いなる喜びをもって一つの戦争機械に組上がり全世界を舞台に一つの部隊として団結して戦い抜く、絶対戦争としての姿を現した、第一次世界大戦。国家が社会が時代が吸血鬼と化して、魅せられた人民大衆の差し出す首筋から鮮血を吸い上げて、強化し肥大し、満身の力を込めた巨大な握り拳と化して、打ち合い、突き合い、自らを、自らを構成する大衆を、熱烈な歓喜の中で自殺的に磨り潰していったイカレた時代、帝国主義時代の狂気の中で狂喜し給血し吸血したAGE OF EMPIRE OF VAMPIRE。
その狂期を経て登場した、熾烈な戦争思想家、ドイツの文学者エルンスト・ユンガーを今回は紹介したいと思います。彼はたびたびの負傷と勲章に飾られた一次大戦の勇士であり、その経験の後で戦争賛美を行っていますから、安穏な生活の中、味わったこともない戦争を礼賛するような小者とは次元の違う、紛れもない本物です。
まずは略伝
エルンスト・ユンガーは1895年にドイツのハイデルベルクで誕生した。
彼は1912年には家出してフランス外人部隊に入隊したが、父が外務省に手を回して家へと連れ戻される。第一次大戦が勃発すると、彼は軍に志願して西部戦線で少なくとも七回負傷するなど勇敢な戦士として活躍、1918年にはドイツ最高の勲章であるプール・ル・メリットを授与されている。
彼は、戦後、戦場での勇戦の日々を冷静に回顧した『In Stahlgewittern (鋼鉄の嵐の中で)』(20年)で文筆活動を始めて成功を収める一方、人数を厳しく制限されたドイツ国防軍の将校団の一員として残留し、歩兵操典編集に携わったり、カップ一揆でデモ隊鎮圧に当たるなどしながら、1923年まで軍に留まった。
軍を去ったユンガーは、ライプチヒ大学やナポリの動物学研究所で動物学と哲学を学んだが二年で学業を止め、文筆家として独立する。
過激な軍国主義者、国家主義者であった彼は、その後、旧前線兵士の団体や様々な国家主義運動家と接触し、右翼革命家として行動するがいずれの場合も路線対立を起こして、次第に政治的実践の世界からは距離を取っていくことになる。彼にはナチスからも誘いがかかっていたが、彼はこれを拒絶しており、1927年には提供された国会議員の地位を拒絶したし、33年には文学アカデミーへの招聘を拒んで秘密警察ゲシュタポの家宅捜索を受けている。また37年には国家反逆罪で強制収容所送りとなった国家主義者ニーキシュの家族を一時自宅に引き取ったりもしている。なお、野蛮人による平和な土地の荒廃を描いた、この頃の彼の寓意小説『Auf den Marmorklippen(大理石の断崖の上で)』(39年)は、ナチスに対する抵抗文学として評価されている。
ユンガーは1939年には二次大戦に召集されて西部におけるフランス等への侵攻に参加、40年に負傷兵を救って勲章を受けるなどもしたが、もはや勇士としての活躍を示すことはあまり無く、捕虜の取扱いを任としつつ読書にふける日々を過ごす。なおフランス侵攻の後で、ニーキシュとの関係が原因で、再度ゲシュタポの家宅捜索を受けるが、軍高官である友人達の手配で司直の手を免れる。
その後41年には、彼を危険人物視する軍の一部の声を抑えて、パリ軍司令部のシュパイデル将軍が彼を同地に呼び寄せ、以後、41年から42年のコーカサス視察を除いてはパリに滞在、兵士の郵便の検閲に従事しながら、読書、古書店巡り、文士との交際等に日々を過ごす。また彼はこの頃、反ヒトラー派の将校と接触があり、直接は関与しなかったものの、戦争の犠牲は十二分に払われたとして平和とそこから生まれる新たなヨーロッパ像を説いた論文『Der Friede (平和)』(43年)によって、44年のヒトラー暗殺計画に精神的影響を与えている。この計画の失敗の結果、ユンガーの庇護者のシュパイデルが逮捕、その勧誘を受けて計画自体は知らないもののヒトラー除去の動きに同調するに至ったロンメル元帥が服毒自殺、もう一人のユンガーの庇護者シュテュルプナーゲル将軍が絞首刑に追い込まれており、ユンガー自身も連座することにもなりかねない状況であったが、戦況悪化による混乱のおかげで彼は無事であった。なお同年彼は軍人にふさわしくないとして軍を追われている。
二次大戦後、彼はその好戦的言動やナチスとの関わりが非難されたほか、非ナチス宣言書への署名拒否によって49年まで出版禁止処分を受けるなどしたが、50年代に急速に復権、以降様々な文学的栄誉を受けつつ、延々と現役作家として書き続けた。
1998年、102歳で死去。
なお彼は「ドイツ社会の動きを鋭敏につげる「地震計」と呼ばれ、作物は「魔術とリアリズムをとかしあわせたもの」と評される。」(兵澤静也 『現代思想』1984年1月号 175頁 ユンガー「総動員」への解説)
さてこのように百を超えて生き、ドイツ社会の動きとともに様々な著作を生み出してきたユンガーですが、彼が軍国主義者、戦争崇拝者っぷりを発揮しているのは、1920年代から30年代はじめの初期の作品群になります。その中でも特に『Der Kampf als inneres Erlebnis (内的体験としての戦闘)』(1922年)が良い感じに突き抜けて、リアル少佐な感じにイカレ格好良く仕上がっているようです。
そこで今回は、どうにか訳せたこの本の序文だけでも紹介してみようかと思います。序文だけでも結構美味しくいただけますよ。
とはいえ外国語はどうにも苦手なので、誤訳が多々含まれているとは思いますが、その点についてはどうかご容赦を。
あと、この訳文は原書の出版後十年以内に正式な翻訳が出ている場合は、翻訳公開不可能と言うことになりますので、それが判明次第、削除する予定。同期間内の正式の翻訳の存在をご存じの方は、ご一報よろしくお願いします。
訳者連絡先
phephemol(あっと)hotmail.co.jp
エルンスト・ユンガー『内的体験としての戦闘』 序
精神世界の新星は、かつて東方の博士達に示された、世界を変える予言、嵐の予兆のように、全ての目覚めし人々に向けて輝きを放っている。星々が灼熱の炎に没し、偶像は砕け散り、あらゆる様式は無数の溶鉱炉を経て、融解し新たな価値へと新生するだろう。
時代の波があらゆる方向より攻め寄せる。学問、社会、国家、神、芸術、エロチシズムは、崩壊する、動揺する、すなわち再生する。今なお景色は目まぐるしく入れ替わり、破片の渦巻く大都会は釜のごとく。それでも熱狂は散逸し、炎の奔流も一個の秩序へと冷え静まるだろう。あらゆる狂乱は、いつかは重い壁の前に消え去り、鋼鉄の握り拳の前にくびきへとつながれる。
なぜ我々の時代は今その力で、破壊と創造を成しつつあるのか?なぜ我々の時代は今、限りない希望を孕んでいるのか?多数の人々を熱下に焼き殺す一方で、炎は無数の蒸留器の中へ未来と奇跡を抽出しつつあるのだ。いかなる予言書にも示されてはいないが、そこには未来への展望が、確かな歩みが存在する。
戦争こそが、人と時代を、今ある姿へ変えたのだ。時代を覆う力を組み伏せるため、世界という名のコロシアムへと人間が足を踏み入れる、その最初の世代が我々だ。この世代にとって、暗く激しい戦争から、明るい日常へ逃げ戻るなど断じてありえない。我々にとっては、人が拒絶するであろうことも、拒絶するなどあり得ない。戦争は、万物の父であり、我々にとっても父である。槌で打ち、のみで刻み、今の我らを鍛え上げたのは戦争なのだ。確かに我らは、子が父を乗り越え上回るように、戦争を克服したけれど、それでも戦争は、我らにとっては、新天地を求めて谷へ下るまでを過ごした、懐かしい山々なのだ。そして我らの人生の車輪が回りつづけている限り、戦争はそのための車軸であり続けるだろう。戦争が我々を戦闘に向けて教育し、我々に生ある限り、戦闘こそが我々なのだ。確かに戦争は終わり、戦場は愚者の会合・悪漢のたまり場として悪評とともに放棄されたが、それでも戦争の精神は下僕達に深く染みつき、解放してはくれないのだ。しかも我々の中に戦争があり、我々が世界を構成している以上、間違いなく戦争は、世界中で、創造的な精神の内に潜みつつ、我らを見つめているのである。貴方は、戦争が無数の都市で雄叫びを上げるのを、かつてと変わらず戦いが我々を取り囲み、周囲が喧噪に満ちているのを、聞いてはいないのか?あらゆる人の眼の奥に、戦争の紅い炎がちらつくのを、貴方は見ていないと言うのか?戦争も時には眠りにつくが、それでも大地が動揺を示せば、燃え立つ火山を一面に噴火させることだろう。
ところで戦争は我らの父であるのみならず、我らの子でもまたあるのだ。我らは彼を生み、彼は我らを生んだ。我らは鎚で打たれ、のみで刻まれた者、しかるに他方で鎚を振り、のみを走らせた者、鍛冶屋であると同時に火花を散らす鉄鋼、自らの迫害行為の殉教者、駆動装置の性質を備えた伝導装置。
明かりの溢れる町と地下通路を満たすざわめき、水面の輝きに囲まれたカフェ、きらびやかな光の帯と化した街並み、色とりどりのリキュールでいっぱいのバー、会議のテーブル、最新の流行、刻々と流れてくるニュース、日々の問題、毎週起こる大事件、その中で様々な仕事と快楽に引き裂かれ孤立していた旧時代の人類、それよりはるかに我々は、熱狂的な文化の母胎の中で、揺るぎない団結を生きている。技術的にまた生産的に、我々は殉教者アキバ・ベンの微笑みを浮かべながら芸術の終端に立っており、世界の謎の数々は既に解消してしまったか、まさに解消されつつある。結実の時が到来し、間もなく超人が現れる。
これまでの凡庸な生活から、我々は誇らしく目覚めの時を迎える。物質に飽和した時代の嫡子たる進歩は、神秘の鍵たる機械、望遠鏡にして顕微鏡たる認識器官として、完成した姿を現す。輝き続ける磨き抜かれた皮膜、ありとあらゆる衣服によって、我々はあたかも奇術師のように身を飾ったけれど、結局、我々は、森林や草原の人々と同様に、裸で粗野なままであったのだ。
戦争がヨーロッパの連帯を引き裂いたとき、そのことは明らかとなった、そう我々は既に失墜し嘲笑の対象となっていたはずの旗と紋章を掲げて、太古からの定めに従い、互いを対立させたのだ。その狂宴の雄叫びの中で、真の人間は忘却の時を埋め合わせていった。協調と律法によって永らく抑えられていた衝動こそが、唯一の神聖な究極の真理であった。もはや、幾世紀の成り行きの中で頭脳的に厳格に造り上げてきた作法になど、拳にみなぎる荒れ狂う力は、従ったりはしないのだ。
かくして今や我々の背後には、夜に通り抜ける森のような、暗黒と妖気が横たわっている。そこに潜む荒い息づかいを、聞いたことのない者がいるだろうか?我々はダイバーのようにその世界へと潜行し、変容させられて帰ってきたのだから。
大地の上で起こっていることは何か?戦争の担い手達、その被造物たる人間は、彼らの人生に戦争を通過させ、そこから新たな道へ入って、新たな終末へと放り込まれた。─それにとって我らが何であり、我らにとってそれが何であったのか?それこそが、今、人々が答えを求めて止まない問いである。そして、この小冊もまた同じ問いに取り組んでいる。深淵へと向かう激しい舞踏の間に、人が感じた何かは、単に個人的な霊的体験を書き写すだけで、描き出せるようなものではない。具体性と価値判断を取り除くことはできないし、本質的であることもできないからだ。だが具体性は、題材のせいであるし、そこから推論を行う知性、すなわち血筋と教育のせいでもあって、これと異なるやり方など不可能であり、事実に触れずに済ますことはできない。
我々の時代の個性と変幻する輝きは、矛盾から生まれ落ち、矛盾へと消え落ちている。我々はかつてない混沌、光と影の渦の中を生きているのだ。ならば、希望と絶望、肯定と否定、合理と背理を同時に含む心的な光景を受け入れねばならない。
参考資料
ロジェ・カイヨワ著『戦争論 われわれの内にひそむ女神ベローナ』秋枝茂夫訳 法政大学出版局
エルンスト・ユンガー著『ヘリオーポリス 下』田尻三千夫訳 国書刊行会(訳者による「エルンスト・ユンガー略年譜」等を含む)
『現代思想』1984年1月号
『Encyclopaedia Britannica, 2007』
『歴史群像シリーズ43アドルフ・ヒトラー戦略編』 学研
Ernst Juenger著『Der Kampf als inneres Erlebnis』 E.S.Mittler & Sohn
平野耕太著『HELLSING』 少年画報社関連記事(2009年5月17日新設)
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引きこもりニート列伝その11 ヒトラー
http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/neet11.html
オットー・ヒンツェ『国家組織と軍隊組織』(当ブログ内に移転しました)
http://trushnote.exblog.jp/14589837/
日本民衆文化史
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/021206.html
『軍事史概説 戦略と戦術の東西文明五千年史』(当ブログ内に移転しました)
http://trushnote.exblog.jp/14455184/
ユンガーについては
よろしければ、社会評論社『ダメ人間の世界史』
(「ユンガー 人生とは反抗だ、戦争だ ~年甲斐もなくこの世の全てに牙を剥く永遠の反抗期小僧(オッサン)~」収録)
もご参照ください。
(著作紹介20106月26日加筆)
おまけ
エルンスト・ユンガー
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/9565/
ユンガーの著作を探すのに便利です。
ドイツ語版へルシング検証その1(白い空 -Kazami Akira's web page-)
http://www.geocities.jp/kazami_akira/diary/diary0412.html#1226-02
少佐演説ドイツ語版紹介です。
リンクを変更(2010年12月8日、16日)
by trushbasket
| 2007-11-21 19:58
| My(山田昌弘)








