2007年 11月 28日
偉大なるダメ人間シリーズ番外その3 シスコン大帝
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下に掲載するのは『ダメ人間の世界史』『ダメ人間の日本史』(社会評論社)の元になった文章です、書籍化に際して大幅な加筆・修正がされており、書籍版とは多少内容が異なります。
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【以上(↑)、2010年12月05日加筆】
『ダメ人間の世界史&日本史』ブログ版(試し読み用)目次へ戻る
768年に即位した、フランスとドイツ西部を支配するフランク王国の国王カール(742あるいは747~814年)は、対外的には、イタリア、ドイツ中東部、東欧、スペインへと征服の手を伸ばしてフランク王国の領土を倍増、西ヨーロッパの大半を支配するに至った大君主です。その上、彼は、ローマ教皇レオ3世と手を結んで、800年には教皇から帝冠を授けられて皇帝となっており、これらによって西欧キリスト教世界の枠組みが確立したとも言われています。
彼は、対内的には、諸部族の慣習法とならんで成分法をも重視するようにしたり、あるいは忠実な臣下を要所に伯として配置するとともに、聖職者や巡察使を監視役として駆使して地方の統制監督に努めるなど、帝国の統治制度の整備に力を注ぎ、分散傾向にある社会と領土および家臣団を、統一的な支配の下に収めようと努力しています。
また彼は、当時の低下していた文化水準の回復政策にも力を入れています。彼の強力な後ろ盾によって行われた、知識人に対する保護・助成、キリスト教や古代世界の文献の収集・研究、学校の設置等の文化活動により、大いに文化が振興され、その成果はカロリング・ルネサンスと讃えられたりもします。
このように果敢な軍事活動、英明な政治的・文化的施策によりフランク王国の最盛期を創りだした彼は、カール大帝(シャルルマーニュ)と尊称付きで呼ばれていますが、そんな偉大な彼は実は相当なダメ人間でした。
以前紹介した食欲魔人で焼き肉大好きっ子な点(http://trushnote.exblog.jp/7689524/)くらいなら、ダメ人間呼ばわりする必要はないのですが、彼にはさすがに見過ごせない、ダメな行動があったことが伝わっています。
彼の臣下に、スペインにおける対イスラム教徒戦で活躍した勇将ローランという人物が居るのですが、このローランは、カールと妹の近親相姦によって生まれたとか。
つまり、彼は病的なシスコンだったのです。
家庭内の問題ですから、本人達が納得してるなら、別にそれを邪魔立てしたり咎めたりしようとは思いませんが、ダメ人間呼ばわりして揶揄する程度はしても良いでしょう。
とまあ、言ってみたものの、この話が番外扱いなことからもなんとなく分かるかもしれませんが、この近親相姦の言い伝えは全然信憑性がありません。
中世にそういう伝説が流れただけです。
だいたいローランという人物についての歴史的な記述は、アインハルト(エインハルドゥス、エジナール)『カロルス大帝伝』に、ヒスパニア(スペイン)遠征からの帰還時にピレネー山脈で「後衛隊」が攻撃を受け、「この戦闘で、宮廷料理長エギハルドゥスと宮中伯アンスヘルムスと、ブリタニア辺境伯フルオドランドゥスが、大勢の兵士とともに戦死した。」(國原吉之助訳 筑摩書房 18~19頁)とあるのみだそうです(なおブリタニアとはフランスのブルターニュ地方のこと、フルオドランドゥスはローランのラテン名です)。
しかもローランの出生に関する伝説のうち一番有名なのは、この史実をもとに生み出された西欧中世最高の叙事詩『ローランの歌』に見られる、彼をカールの甥とするもので、カール大帝シスコン相姦伝説は、信憑性の薄い伝説の中でも、一層マイナーな極限まで信憑性に欠ける部類。
とはいえ、これでも相姦疑惑が消えたのみ。彼に対するシスコン呼ばわりを止めるのはまだ早い。
我々には彼と妹ギスラ(757~811年)の親愛についての歴史的な記述があります。
アインハルトによれば「王にはギスラと呼ぶ唯一人の姉妹があった。彼女は少女の頃より、敬虔な信仰生活に魂を捧げていた。彼女をも母と同様に、深い愛情を込めて尊敬した。」(前掲書 30頁)とのこと。実際には姉妹は三人で二人が夭折したとのことですが、まあそんな細かいことはこれまでとしましょう。
で、これだけ読めば、単に家族愛が深かっただけのような気がしますが、彼の娘について「娘らはたいそう美しかったし、彼女らを王は鍾愛したために、これは不思議な話であるが、娘らを一人も、自国民にせよ他民族にせよ、誰のもとにも嫁にやろうとはしなかったのである。「予は娘らとの共同生活を失うことはとてもできない」と言って、娘らをみんな、自分が死ぬまで家にとどめていっしょに暮らした。」(前掲書 31頁)との話があります。この家族愛の押しつけは娘の反抗を招いて、娘が未婚のまま子供つくったりはしていますが、とにかく彼の家族愛は「不思議な」ほどに過剰で異様なのです。
そしてこの相手を閉じこめてしまいかねないほどの家族愛の過剰っぷりと、妹への深い愛情関係から言って、カールは相当のシスコンであったと見て良いでしょう。
そのうえカールは、かなりの女好きであったとも伝わっているそうです。
これを考え合わせれば、妹への過剰な愛情のあまり一人悶々と、ヤバイ方向に重度のシスコンぶりを発揮し悶えていたことも、ひょっとするとあったかもしれません。
心で姦淫すれば実際に姦淫したのと同じとかいう考え方もあったような気がしますから、中世ヨーロッパ人の妄想も、当たらずとも遠からず、割と良いところを突いている気がしないでもなくなってきました。
ということで、ここは心の中の多数のサイレントマジョリティを考慮に入れて決定させてもらいます。カール大帝(シャルルマーニュ)は病的なシスコンです。
参考資料
エインハルドゥス/ノトケルス『カロルス大帝伝』國原吉之助訳 筑摩書房
『ローランの歌/狐物語 中世文学集II』佐藤輝夫ほか訳 ちくま文庫
『週刊朝日百科 世界の歴史33 7~8世紀の世界 人物』 朝日新聞社
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関連記事(2009年5月17日新設)
平安前期シスコン伝記 小野篁、妹を愛す -『篁物語』 ~いもうと~
三島由紀夫について少し述べる~日本近代文学の幕を下ろす男~
覇者の胃袋 ~粗食、偏食、暴飲暴食の帝王たち~
れきけん・とらっしゅばすけっと/京都大学歴史研究会関連発表
ヴァイキング時代
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/1997/970502.html
西洋キリスト教史 2
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/1997/971017.html
(以下2010年6月26日加筆)
カール大帝については
よろしければ、社会評論社『ダメ人間の世界史』
(「カール大帝 皇帝陛下の抑えきれない上下の肉欲を思い知れ ~焼き肉と妹の肉体を激しく貪った大皇帝~」収録)
もご参照ください。
色々リンクを変更(2010年12月7日)
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【以上(↑)、2010年12月05日加筆】
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768年に即位した、フランスとドイツ西部を支配するフランク王国の国王カール(742あるいは747~814年)は、対外的には、イタリア、ドイツ中東部、東欧、スペインへと征服の手を伸ばしてフランク王国の領土を倍増、西ヨーロッパの大半を支配するに至った大君主です。その上、彼は、ローマ教皇レオ3世と手を結んで、800年には教皇から帝冠を授けられて皇帝となっており、これらによって西欧キリスト教世界の枠組みが確立したとも言われています。
彼は、対内的には、諸部族の慣習法とならんで成分法をも重視するようにしたり、あるいは忠実な臣下を要所に伯として配置するとともに、聖職者や巡察使を監視役として駆使して地方の統制監督に努めるなど、帝国の統治制度の整備に力を注ぎ、分散傾向にある社会と領土および家臣団を、統一的な支配の下に収めようと努力しています。
また彼は、当時の低下していた文化水準の回復政策にも力を入れています。彼の強力な後ろ盾によって行われた、知識人に対する保護・助成、キリスト教や古代世界の文献の収集・研究、学校の設置等の文化活動により、大いに文化が振興され、その成果はカロリング・ルネサンスと讃えられたりもします。
このように果敢な軍事活動、英明な政治的・文化的施策によりフランク王国の最盛期を創りだした彼は、カール大帝(シャルルマーニュ)と尊称付きで呼ばれていますが、そんな偉大な彼は実は相当なダメ人間でした。
以前紹介した食欲魔人で焼き肉大好きっ子な点(http://trushnote.exblog.jp/7689524/)くらいなら、ダメ人間呼ばわりする必要はないのですが、彼にはさすがに見過ごせない、ダメな行動があったことが伝わっています。
彼の臣下に、スペインにおける対イスラム教徒戦で活躍した勇将ローランという人物が居るのですが、このローランは、カールと妹の近親相姦によって生まれたとか。
つまり、彼は病的なシスコンだったのです。
家庭内の問題ですから、本人達が納得してるなら、別にそれを邪魔立てしたり咎めたりしようとは思いませんが、ダメ人間呼ばわりして揶揄する程度はしても良いでしょう。
とまあ、言ってみたものの、この話が番外扱いなことからもなんとなく分かるかもしれませんが、この近親相姦の言い伝えは全然信憑性がありません。
中世にそういう伝説が流れただけです。
だいたいローランという人物についての歴史的な記述は、アインハルト(エインハルドゥス、エジナール)『カロルス大帝伝』に、ヒスパニア(スペイン)遠征からの帰還時にピレネー山脈で「後衛隊」が攻撃を受け、「この戦闘で、宮廷料理長エギハルドゥスと宮中伯アンスヘルムスと、ブリタニア辺境伯フルオドランドゥスが、大勢の兵士とともに戦死した。」(國原吉之助訳 筑摩書房 18~19頁)とあるのみだそうです(なおブリタニアとはフランスのブルターニュ地方のこと、フルオドランドゥスはローランのラテン名です)。
しかもローランの出生に関する伝説のうち一番有名なのは、この史実をもとに生み出された西欧中世最高の叙事詩『ローランの歌』に見られる、彼をカールの甥とするもので、カール大帝シスコン相姦伝説は、信憑性の薄い伝説の中でも、一層マイナーな極限まで信憑性に欠ける部類。
とはいえ、これでも相姦疑惑が消えたのみ。彼に対するシスコン呼ばわりを止めるのはまだ早い。
我々には彼と妹ギスラ(757~811年)の親愛についての歴史的な記述があります。
アインハルトによれば「王にはギスラと呼ぶ唯一人の姉妹があった。彼女は少女の頃より、敬虔な信仰生活に魂を捧げていた。彼女をも母と同様に、深い愛情を込めて尊敬した。」(前掲書 30頁)とのこと。実際には姉妹は三人で二人が夭折したとのことですが、まあそんな細かいことはこれまでとしましょう。
で、これだけ読めば、単に家族愛が深かっただけのような気がしますが、彼の娘について「娘らはたいそう美しかったし、彼女らを王は鍾愛したために、これは不思議な話であるが、娘らを一人も、自国民にせよ他民族にせよ、誰のもとにも嫁にやろうとはしなかったのである。「予は娘らとの共同生活を失うことはとてもできない」と言って、娘らをみんな、自分が死ぬまで家にとどめていっしょに暮らした。」(前掲書 31頁)との話があります。この家族愛の押しつけは娘の反抗を招いて、娘が未婚のまま子供つくったりはしていますが、とにかく彼の家族愛は「不思議な」ほどに過剰で異様なのです。
そしてこの相手を閉じこめてしまいかねないほどの家族愛の過剰っぷりと、妹への深い愛情関係から言って、カールは相当のシスコンであったと見て良いでしょう。
そのうえカールは、かなりの女好きであったとも伝わっているそうです。
これを考え合わせれば、妹への過剰な愛情のあまり一人悶々と、ヤバイ方向に重度のシスコンぶりを発揮し悶えていたことも、ひょっとするとあったかもしれません。
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ということで、ここは心の中の多数のサイレントマジョリティを考慮に入れて決定させてもらいます。カール大帝(シャルルマーニュ)は病的なシスコンです。
参考資料
エインハルドゥス/ノトケルス『カロルス大帝伝』國原吉之助訳 筑摩書房
『ローランの歌/狐物語 中世文学集II』佐藤輝夫ほか訳 ちくま文庫
『週刊朝日百科 世界の歴史33 7~8世紀の世界 人物』 朝日新聞社
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平安前期シスコン伝記 小野篁、妹を愛す -『篁物語』 ~いもうと~
三島由紀夫について少し述べる~日本近代文学の幕を下ろす男~
覇者の胃袋 ~粗食、偏食、暴飲暴食の帝王たち~
れきけん・とらっしゅばすけっと/京都大学歴史研究会関連発表
ヴァイキング時代
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/1997/970502.html
西洋キリスト教史 2
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/1997/971017.html
(以下2010年6月26日加筆)
カール大帝については
よろしければ、社会評論社『ダメ人間の世界史』
(「カール大帝 皇帝陛下の抑えきれない上下の肉欲を思い知れ ~焼き肉と妹の肉体を激しく貪った大皇帝~」収録)
もご参照ください。
色々リンクを変更(2010年12月7日)
by trushbasket
| 2007-11-28 20:11
| My(山田昌弘)








