宗教的快感と性的快感
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「だから、ゲームじゃない。真のヒロインとチャネリングするための神の道具さ。僕は神器と呼んでいる。」
因みにこの台詞を述べた男子生徒は、自ら頭に猫耳を付けているため「ネコミミ」と通称されています。「萌える」側の男性が自分で着けても仕方ないと思うのですがねえ。僕がまだまだその境地を理解するに至らない人間だと言う事でしょうか。
それはさておき、こうした言い分に対して「その崇拝する相手に性的欲望を抱いたりしているのに、そんな事が言えるのか。」という再反論が予想されます。これに対して「性的欲望など抱いていない」という反論も予想しえますが、「崇拝」対象に18禁エロゲーが含まれたり対象女性キャラのエロ同人があったりする以上、説得力に欠けるのは否めないところです。そこで、発想を変えて考えて見ましょう。「崇拝する相手」に性的欲望を抱いては本当に信仰と呼べないのでしょうか?今回はそれについて歴史的に考察したいと思います。
まずは、西洋のキリスト教について考えて見ましょう。長らく教会により信仰が管理されていた時代が続きましたが、十三世紀頃から十六世紀頃まで直接に神やキリストから啓示を受けたと称する女性がしばしば見られるようになります。その中でも、ネーデルラントのハデウェイクやイングランドのマージェリー・ケンペ、クリスチーナ・オブ・マーキエイト、フォリニョのアンジェラ、シエナのカテリーナ、ア・デイハイト・ランクマンなどは聖体に対し官能的に振る舞い、幻想の中でキリストと結婚したと伝えられます。中にはキリストの包皮を証として与えられたと称するものすら存在しました。例として上述のマージェリー・ケンペに語りかけたと言うキリストの言葉を引用しましょう。
「娘よ、あなたはわたしに会いたいと強く望んでいる。あなたはベッドにいるとき、わたしを大胆に、新婚の夫としてまた愛する恋人として、さらにいとしい息子として抱いてもよい。というのはわたしは、息子が母によって愛されるべきように愛されるであろうから。そしてわたしは、娘よ、あなたがわたしを、よき妻がその夫を愛すべきように愛すことを望むから。それゆえ、あなたはわたしを、魂の両腕に大胆に抱いて、わたしの口、頭、足に好きなだけ甘美なキスをしてもよい。そしてあなたがわたしのことを思うたびに、またはあなたがわたしに何かよいことをしようと望むたびごとに、あなたはおなじ報いを天でもうるであろう。まるであなたが天上にあるわたし自身の貴重なからだにそれをするかのように。」(「魔女と聖女 池上俊一 講談社現代新書」P87)
随分と官能的な台詞ですね。彼女らはこうした神秘的体験の中でキリストと対話によって出会い愛を育み、妨害されながらも再会・婚約・結婚へといたるのだそうです。こうしてみると彼女らのキリストへの信仰・啓示によるエクスタシー、彼への想いは恋愛によるそれとかなり重なり合っており性愛的な特徴がかなり濃厚だと言ってよいでしょう。
次に、イスラームです。十八世紀の北インドでは、ムガル宮廷で使用されていたペルシア語が俗語化したウルドゥー語を用いての恋愛詩・信仰告白詩が盛んに作られました。代表的な詩人がミール・ムハンマド・ミールであり、「恋の初めに泣くなかれ まだまだ先をご覧あれ」「恋よ恋 見渡す限り あまねく広がる恋の兆し」といった詩句が知られています。どう考えても恋愛詩としか思えない文句ですが、何でも「万物に神の存在する」という神秘主義思想を背景にして神への愛と世俗的な恋愛とを同様に詩によんでいるのだそうです。神と合一する事は不可能であるから、この愛は成就せず必然的に失恋に終わる悲しみをうたっているとか。これも男女関係における感情と神への思いとの共通性を表しているといえますが、信仰対象への直接的な性的衝動とは言いにくいですね。まあ、姿を描かれる事のないアラーのみが信仰対象であるイスラームでは信仰対象への直接的な性的感情と言うのは難しいのかもしれませんな。
そして仏教には、「理趣経」という経典が存在し世間の一切が清浄であると述べているのですが、該当部分の文言は以下のようになっています。
「所謂妙直(男女交会の悦楽)清浄の句、是れ菩薩の位なり。欲箭(欲望への刺激) 清浄の句、是れ菩薩の位なり。觸(男女の抱擁) 清浄の句、是れ菩薩の位なり。受縛清浄の句、是れ菩薩の位なり。」(「帝王後醍醐」P140)
これはあくまでも比喩であったようですが、かなり直接的に性愛を連想させる表現ですね。事実、日本ではセックスにより真理を得る事ができると主張する真言宗立川流の根拠とされる事になりました。悟りの境地が、性的なエクスタシーと類似している事がここでも見て取れます。もっとも、これも信仰対象への性的関心を直接示すものとは必ずしもいえませんね。そこで、仏教関連で信仰対象に性的欲望という一例を探してみたところ、我が国に見つかりました。 「日本霊異記」とは仏教関連の説話をまとめた九世紀頃の説話集ですが、そこに収められた話の一部を以下に引用します。
和泉国和泉郡血渟山寺有吉祥天女攝像 聖武天皇御世信濃国優婆塞来往於共山寺 睇之天女像 而生愛欲 繋心恋之 毎六時 願々如天女容好女賜我 優婆塞 夢見婚天女像 明日瞻之 彼像裙腰不浄染汁 行者視之 而慚愧言 我願似女 何忝天女専自交之
要約すると、聖武天皇の時代に和泉国(大阪府南部)の山寺にあった吉祥天女像を見て優婆塞(仏道に入った在家男子)が欲情し、この天女のような美女を与えてほしいと天女像に日夜祈っていたそうです。ある晩に天女像と交わる夢を見て目が覚めると天女像の腰の部分に精液がついていた。これを見て優婆塞は「天女様そっくりの美女をほしいと祈りはしたが、天女様と性交したいなどと恐れ多い事は思っていなかったのに」と恐れおののいたと言う内容です。明らかに信仰対象に性的欲望を抱いた(そして実行に移した)一例と言えます。流石に罪の深さにおののいてはいますが、それは天女像そのものを犯したからであり欲望を感じた事については罪悪感を抱いてないのがある意味天晴れです。天女像を見て欲情する時点で十分罰当たりだと思うのですが。まあ、この説話をそのまま事実ととる事はできないかもしれませんが、こうした感じ方があった事は示唆されますね。
最後に、日本民俗信仰。日本宗教の場合、神話で神様がまぐわって国土ができたとか女神が裸踊りをしたとか、更に寺社に参籠した場合は世俗の縁が関係なくなり参籠者同士で交わったとか祭礼が乱交の場だったとか言われているので今更何をって感じはしますが、信仰対象への性的欲望という点からもう一つだけ。弁才天は弁天とも言われ、インドにおけるインダス川を神格化した女神であり後には戦勝の神・福の神ともされました。仏教と共に日本にも伝わり、宗像三女神とも通じるとして竹生島や厳島神社などでも信仰されています。そして、相模江ノ島も海上交通の要所である事から源頼朝により弁才天が勧請され広く信仰されるようになりました。それは良いのですが、十四世紀に作られた弁天像が、全裸で秘部まで彫刻され「裸弁天」と通称されているそうです。徳川期には、この像が江戸への開帳の際の呼び物の一つでもあったとか。それにしても、お祀りする女神様を裸にして性器御開帳というのは、正直僕の理解を超えるものがあります。しかも、「性風俗の日本史」(F・クラウス著)によれば同様な弁天像が他にもあるようです。信仰の対象すら、性的関心の毒牙にかかりうるという事は吉祥天女の話に加えてこの弁天の像で十分証明できましたね。まあ、道祖神を始めあちこちで男根や女陰をかたどった像を神体として祀っていたりしますからやっぱり今更何をって感じですがね。
以上のように、宗教的な信仰心も性的な感情・快感と切り離せない関係を持っていたと言えます。考えて見れば、宗教的快感は音楽・踊りやら色々なものによってもたらされていたケースもあるようですから、性的快楽も宗教的快感に関与しているのはむしろ当然と言えるでしょう。まあ、どうやら、「信仰対象」に性的欲望を持ったり性的快感を感じているからと言って宗教的信仰と異なるとはいえない、これだけは言えそうですね。
【参考文献】
魔女と聖女 池上俊一 講談社現代新書
週刊朝日百科世界の文学116 インドの文学Ⅱ 朝日新聞社
呪術・占いのすべて 瓜生中・渋谷申博著 日本文芸社
帝王後醍醐 村松剛 中公文庫
死の日本文学史 村松剛 中公文庫
図説性の日本史 笹間良彦 雄山閣
性風俗の日本史 F・クラウス 風俗原典研究会・編訳 河出文庫
海辺の聖地 上田篤 新潮選書
馬・船・常民 網野善彦・森浩一 講談社学術文庫
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歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「西洋キリスト教史1」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/1997/970516.html)
「西洋キリスト教史2」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/1997/971017.html)
「西洋キリスト教史2」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/1997/971212.html)
西洋におけるキリスト教の通史ですが、ネット上では中世まで。
「中世の教会と異端」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/021018a.html)
「イスラム教歴史」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2001/011005.html)
「スーフィズム」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2001/020118.html)
「インド民衆文化史」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/020614a.html)
ウルドゥー語宗教詩についても述べています。
「後醍醐天皇」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2001/010706.html)
立川流について少し述べています。
「日本民衆文化史」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/021206.html)
「エロゲーを中心とする恋愛ゲームの歴史に関するごく簡単なメモ」
(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/s2004/050311.html)
関連サイト:
「私立アキハバラ学園」公式サイト
(http://frontwing.jp/product/akigaku/)