2007年 12月 26日
萌える大英帝国 セーラー服&メイド服成立史
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今回は大英帝国が生んだ、素敵な二大コスチューム、セーラー服とメイド服の成立史を簡単にまとめてみたいと思います。
セーラー服とは、前がVネックで後ろが四角いセーラーカラーのついたスーツのことを言うそうです。日本では女子制服として一般的なあの服のことです。
これはイギリス海軍の水兵服に由来するデザインらしいですが、嫌々集められた飲んだくれのむさ苦しいオッサンであった水兵の服装が、如何にして女性用の服として定着していったのか、まずはその経過をたどってみたいと思います。
セーラー服=セーラーカラー・スーツの成立がいつ頃なのかですが、セーラーカラーはすでに1830年代には見られたそうなので、この頃にセーラー服が成立したのだと言うことができるでしょう。ちなみにイギリス海軍が水兵の制服を定めるのは1857年のことで、この時点では正式な水兵服というものは存在しないわけですが、一応はこれで水兵服としてのセーラー服は成立したわけです。
そしてセーラー服が水兵以外の服装として最初に取り入れられたのは、まず男子用の子供服としてでした。1846年に幼年の同国王太子が、王室所有のクルーザーの水兵の制服を模したセーラー服を着用したことが、最初の例だそうです。この時点でも海軍の制服は未だ定められていなかったわけですが、このクルーザーでは水兵の制服を定めていたのだそうです。
そして、1860年代から70年代にはセーラー服が男子用夏服として流行することになります。ただ、この時期流行ったセーラー服は水兵服を模した王太子着用のセーラー服とはあまり似ていないらしく、一般社会におけるセーラー服普及は、別に王太子のセーラー服着用が直接のきっかけとなったわけではないそうです。
初期セーラー服の流行をもたらしたのは海岸リゾートの発達で、イギリスでは60年代までに多くの人々が海岸を訪れるようになり、その結果、浜辺を駆け回る子供用の服として、製作が容易で値段が安く、洗濯可能で衛生的なセーラー服が、定着していったのだそうです。
ところで、経済的かつ衛生的という条件を満たすデザインなら他にもありそうですし、だいたい実用の観点から言って子供の運動着にあの襟は必要無い気がするわけで、なんでセーラー服だったのか、個人的にはもう少し詳しい事情を知りたいところなのですが、ひょっとしたら海で着用する既存の服装の中から経済的かつ衛生的なものを選んだらセーラー服になったて感じなんでしょうか?
まあとにかく、その後、製作しやすく安価という大量生産向きの性質を備えたセーラー服には、すぐさまファッション産業が注目、セーラー服の用途拡大、とりわけおしゃれ着としての普及に力を注ぎます。こうなると当然、女児用のセーラー服もたちまち開発されていますが、現代でも一般的なプリーツスカートとの組み合わせが早くも頻出しているところなど、目を惹きます。こうして1880年代には実用性とファッション性を兼ね備え、季節、性別すら問わない万能子供服として、セーラー服が売り出され、親たちもこれに飛びついたそうですが、子供達もまたセーラー服を喜んで着用したと言われます。こうしてセーラー服は全方面からの熱心な支持を受けつつ完全に社会に定着し、あらゆる機会に着用され、パーティーや教会を訪れる際にも着用されるようになり、1910年代までに子供服の定番として社会の隅々まで浸透します。
ではセーラー服がこのように社会から熱烈に歓迎された理由は何でしょうか。これにはまず社会的な水兵への憧れがあるのだそうです。
イギリスではかねてより水兵の質の低さが問題視されていたのですが、1850年前後から水兵の質の改善が進められ、以後しだいに水兵の社会的地位が向上して、水兵は立派な職業軍人として見られるようになっていきました。そして70年代以降の英国海軍の世界的優位の後退の中で、海上覇権喪失の危機感によって社会一般の海軍に対する関心が強められ、あるべき英国海軍の栄光の担い手としての水兵に対して、社会的な憧れの念が生じるようになりました。結果、水兵の着用するセーラー服は、英国海軍の栄光の意識を喚起するものとして、輝かしい過去を懐かしむ後ろ向きな思いも交えつつ、熱狂的に支持されるようになったのです。
なおこのような社会的背景の下で普及拡大したセーラー服ですから、商品として売り出される際には、水兵服の忠実な模倣・縮小版であることが高らかに謳われるなど、強烈な本物志向を示しています。女子用にしてもそうで、スカートと組み合わせはするものの、水兵の服と出来るだけに似たものであることが重要視されていたようです。
セーラー服普及のもう一つの理由として、健康的であることもあります。なんでも開いた胸元が喉を鍛え、セーラーカラーは肺の裏側を守るのだとか。
本当に喉だの肺だのの健康にセーラー服が有効なのか、かなりうさんくさい話に聞こえますが、首の下が冷えると健康に悪いとか言われるので、そこに一枚布を重ねたセーラー服が、何に効果があるのかはともかくとして、それなりに健康に良いことは、認めて良いような気がします。
なお、このようにイギリスで20世紀初めまでに、男女問わず、子供服として完全に定着したセーラー服ですが、日本でも20世紀初頭の子供服にセーラー服が散見されるそうです。
そして昭和初期にプリーツスカートと組み合わせて、女子学生服として採用されていったそうです。
ついで黒いドレスに白いエプロンを重ねたメイド服がどのように成立したのかをたどります。
これにはイギリスにおける使用人の歴史が深く関係しています。
元来イギリスでは、使用人とは主に、地主を中心とする上流下層の良家出身の修行中の男子が、貴族の館に仕えて勤めるもので、一種の客人、あるいは家族の一員として相応の尊重した扱いを受ける存在でした。
ところが18世紀には農業の革新と産業革命の進展でイギリスが大いに経済発展する中、イギリスの使用人は、大きくその人的構成を変えていきます。
経済的繁栄の波に乗って上流下層や中産階級の富力が増したことと、繁栄する社会に蔓延する虚栄心によって、使用人の雇用は、中流階級下層の資力が不足気味の層をも巻き込んで、大いに拡大していくことになりました。結果、需要に押されて男性使用人の賃金が高騰し、これは資力に限りのある雇い主の増加とあいまって、高額の賃金の必要な旧来の男性使用人に替えて賃金の安い中産階級以下の出身の女性使用人を使うという状況を、引き起こしていきます。
一方、この頃には上流下層の男子は、富力と社会的地位の益々の向上に伴って、他家で使用人となることを敬遠するようになってきました。
かくして使用人と雇い主の双方の事情が、良家の男子の名誉ある勤め口としての旧来の使用人のあり方を否定する方向に働き、19世紀に入るまでには、イギリスの使用人は、女性使用人=メイドがほとんどを占めるようになってしまったわけですが、これによって家内での雇い主と使用人の立場は、旧来の近しい身内的な関係と異なり、決定的に上下に隔てられたものになってしまいました。
ところが雇い主と使用人の立場が決定的な上下関係に定まった一方で、使用人を使う家庭が下層へと拡大した結果として、雇い主と使用人が生まれついた身分の点では実はほとんど変わらないような事態も少なからず生じており、確立された使用人と雇用者の立場の差異を、周囲や使用人自身に対して、はっきりと強調する必要が生じてくることになりました。
そこで、それまで女性使用人は、主人から下げ渡された服をはじめとする様々な服を着て、外見上、女主人と見分けのつかない状況にあったのを、18世紀のおわり頃に至って、この状況を改める方向に社会が動き出し、女性使用人に立場に合った制服を着用させるようになりました。そして女性使用人の制服に関して何も特別な決まりは無いにもかかわらず、不思議とその制服は白と黒のメイド服へと全国的に統一されていったそうです。
ところで、白黒のメイド服を着せて、女主人とメイドの区別を明確化するのは良いとして、メイド服を着たメイドの方が魅力的に見えてまずいとか考えなかったのでしょうか。個人的な趣味としては、如何にドレスに贅を尽くし華やかに着飾ろうと、魅力の点で、メイド服の鮮烈な魅惑の白黒ツートンカラーの前には、到底かなうはずもなく、それはあたかもサーカスで、華やかな色彩を身にまとい巧みな媚態を持つピエロが、決してパンダのかわいさ強さに太刀打ちできないようなものだと思うのですよ。
参考資料
坂井妙子著『アリスの服が着たい ヴィクトリア朝児童文学と子供服の誕生』 勁草書房
森薫/村上リコ著『エマ ヴィクトリアンガイド』 株式会社エンターブレイン
『週刊朝日百科 世界の歴史99 18世紀の世界3 生活 働く女たち』 朝日新聞社
『スーパー・ニッポニカ Professional for Windows』
関連記事(2009年5月17日新設)
世界の偉人とメイドさん
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中国女性の服飾~チャイナドレスへの道~
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セーラー服とは、前がVネックで後ろが四角いセーラーカラーのついたスーツのことを言うそうです。日本では女子制服として一般的なあの服のことです。
これはイギリス海軍の水兵服に由来するデザインらしいですが、嫌々集められた飲んだくれのむさ苦しいオッサンであった水兵の服装が、如何にして女性用の服として定着していったのか、まずはその経過をたどってみたいと思います。
セーラー服=セーラーカラー・スーツの成立がいつ頃なのかですが、セーラーカラーはすでに1830年代には見られたそうなので、この頃にセーラー服が成立したのだと言うことができるでしょう。ちなみにイギリス海軍が水兵の制服を定めるのは1857年のことで、この時点では正式な水兵服というものは存在しないわけですが、一応はこれで水兵服としてのセーラー服は成立したわけです。
そしてセーラー服が水兵以外の服装として最初に取り入れられたのは、まず男子用の子供服としてでした。1846年に幼年の同国王太子が、王室所有のクルーザーの水兵の制服を模したセーラー服を着用したことが、最初の例だそうです。この時点でも海軍の制服は未だ定められていなかったわけですが、このクルーザーでは水兵の制服を定めていたのだそうです。
そして、1860年代から70年代にはセーラー服が男子用夏服として流行することになります。ただ、この時期流行ったセーラー服は水兵服を模した王太子着用のセーラー服とはあまり似ていないらしく、一般社会におけるセーラー服普及は、別に王太子のセーラー服着用が直接のきっかけとなったわけではないそうです。
初期セーラー服の流行をもたらしたのは海岸リゾートの発達で、イギリスでは60年代までに多くの人々が海岸を訪れるようになり、その結果、浜辺を駆け回る子供用の服として、製作が容易で値段が安く、洗濯可能で衛生的なセーラー服が、定着していったのだそうです。
ところで、経済的かつ衛生的という条件を満たすデザインなら他にもありそうですし、だいたい実用の観点から言って子供の運動着にあの襟は必要無い気がするわけで、なんでセーラー服だったのか、個人的にはもう少し詳しい事情を知りたいところなのですが、ひょっとしたら海で着用する既存の服装の中から経済的かつ衛生的なものを選んだらセーラー服になったて感じなんでしょうか?
まあとにかく、その後、製作しやすく安価という大量生産向きの性質を備えたセーラー服には、すぐさまファッション産業が注目、セーラー服の用途拡大、とりわけおしゃれ着としての普及に力を注ぎます。こうなると当然、女児用のセーラー服もたちまち開発されていますが、現代でも一般的なプリーツスカートとの組み合わせが早くも頻出しているところなど、目を惹きます。こうして1880年代には実用性とファッション性を兼ね備え、季節、性別すら問わない万能子供服として、セーラー服が売り出され、親たちもこれに飛びついたそうですが、子供達もまたセーラー服を喜んで着用したと言われます。こうしてセーラー服は全方面からの熱心な支持を受けつつ完全に社会に定着し、あらゆる機会に着用され、パーティーや教会を訪れる際にも着用されるようになり、1910年代までに子供服の定番として社会の隅々まで浸透します。
ではセーラー服がこのように社会から熱烈に歓迎された理由は何でしょうか。これにはまず社会的な水兵への憧れがあるのだそうです。
イギリスではかねてより水兵の質の低さが問題視されていたのですが、1850年前後から水兵の質の改善が進められ、以後しだいに水兵の社会的地位が向上して、水兵は立派な職業軍人として見られるようになっていきました。そして70年代以降の英国海軍の世界的優位の後退の中で、海上覇権喪失の危機感によって社会一般の海軍に対する関心が強められ、あるべき英国海軍の栄光の担い手としての水兵に対して、社会的な憧れの念が生じるようになりました。結果、水兵の着用するセーラー服は、英国海軍の栄光の意識を喚起するものとして、輝かしい過去を懐かしむ後ろ向きな思いも交えつつ、熱狂的に支持されるようになったのです。
なおこのような社会的背景の下で普及拡大したセーラー服ですから、商品として売り出される際には、水兵服の忠実な模倣・縮小版であることが高らかに謳われるなど、強烈な本物志向を示しています。女子用にしてもそうで、スカートと組み合わせはするものの、水兵の服と出来るだけに似たものであることが重要視されていたようです。
セーラー服普及のもう一つの理由として、健康的であることもあります。なんでも開いた胸元が喉を鍛え、セーラーカラーは肺の裏側を守るのだとか。
本当に喉だの肺だのの健康にセーラー服が有効なのか、かなりうさんくさい話に聞こえますが、首の下が冷えると健康に悪いとか言われるので、そこに一枚布を重ねたセーラー服が、何に効果があるのかはともかくとして、それなりに健康に良いことは、認めて良いような気がします。
なお、このようにイギリスで20世紀初めまでに、男女問わず、子供服として完全に定着したセーラー服ですが、日本でも20世紀初頭の子供服にセーラー服が散見されるそうです。
そして昭和初期にプリーツスカートと組み合わせて、女子学生服として採用されていったそうです。
ついで黒いドレスに白いエプロンを重ねたメイド服がどのように成立したのかをたどります。
これにはイギリスにおける使用人の歴史が深く関係しています。
元来イギリスでは、使用人とは主に、地主を中心とする上流下層の良家出身の修行中の男子が、貴族の館に仕えて勤めるもので、一種の客人、あるいは家族の一員として相応の尊重した扱いを受ける存在でした。
ところが18世紀には農業の革新と産業革命の進展でイギリスが大いに経済発展する中、イギリスの使用人は、大きくその人的構成を変えていきます。
経済的繁栄の波に乗って上流下層や中産階級の富力が増したことと、繁栄する社会に蔓延する虚栄心によって、使用人の雇用は、中流階級下層の資力が不足気味の層をも巻き込んで、大いに拡大していくことになりました。結果、需要に押されて男性使用人の賃金が高騰し、これは資力に限りのある雇い主の増加とあいまって、高額の賃金の必要な旧来の男性使用人に替えて賃金の安い中産階級以下の出身の女性使用人を使うという状況を、引き起こしていきます。
一方、この頃には上流下層の男子は、富力と社会的地位の益々の向上に伴って、他家で使用人となることを敬遠するようになってきました。
かくして使用人と雇い主の双方の事情が、良家の男子の名誉ある勤め口としての旧来の使用人のあり方を否定する方向に働き、19世紀に入るまでには、イギリスの使用人は、女性使用人=メイドがほとんどを占めるようになってしまったわけですが、これによって家内での雇い主と使用人の立場は、旧来の近しい身内的な関係と異なり、決定的に上下に隔てられたものになってしまいました。
ところが雇い主と使用人の立場が決定的な上下関係に定まった一方で、使用人を使う家庭が下層へと拡大した結果として、雇い主と使用人が生まれついた身分の点では実はほとんど変わらないような事態も少なからず生じており、確立された使用人と雇用者の立場の差異を、周囲や使用人自身に対して、はっきりと強調する必要が生じてくることになりました。
そこで、それまで女性使用人は、主人から下げ渡された服をはじめとする様々な服を着て、外見上、女主人と見分けのつかない状況にあったのを、18世紀のおわり頃に至って、この状況を改める方向に社会が動き出し、女性使用人に立場に合った制服を着用させるようになりました。そして女性使用人の制服に関して何も特別な決まりは無いにもかかわらず、不思議とその制服は白と黒のメイド服へと全国的に統一されていったそうです。
ところで、白黒のメイド服を着せて、女主人とメイドの区別を明確化するのは良いとして、メイド服を着たメイドの方が魅力的に見えてまずいとか考えなかったのでしょうか。個人的な趣味としては、如何にドレスに贅を尽くし華やかに着飾ろうと、魅力の点で、メイド服の鮮烈な魅惑の白黒ツートンカラーの前には、到底かなうはずもなく、それはあたかもサーカスで、華やかな色彩を身にまとい巧みな媚態を持つピエロが、決してパンダのかわいさ強さに太刀打ちできないようなものだと思うのですよ。
参考資料
坂井妙子著『アリスの服が着たい ヴィクトリア朝児童文学と子供服の誕生』 勁草書房
森薫/村上リコ著『エマ ヴィクトリアンガイド』 株式会社エンターブレイン
『週刊朝日百科 世界の歴史99 18世紀の世界3 生活 働く女たち』 朝日新聞社
『スーパー・ニッポニカ Professional for Windows』
関連記事(2009年5月17日新設)
世界の偉人とメイドさん
メイドキングダムを目指した哲学者 キルケゴール
中国女性の服飾~チャイナドレスへの道~
れきけん・とらっしゅばすけっと/京都大学歴史研究会関連発表
偉大なるダメ人間シリーズその1 キルケゴール(当ブログ内に移転しました)
http://trushnote.exblog.jp/14529065/
引きこもりニート列伝その10 マルクス
http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/neet10.html
エリート教育とは
http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/elite.html
オットー・ヒンツェ『国家組織と軍隊組織』(翻訳)(イギリスを代表例として海洋国家の国家組織が論じられています。)(当ブログ内に移転しました)
http://trushnote.exblog.jp/14589837/
西洋軍事史(当ブログ内に移転しました)
http://trushnote.exblog.jp/14470857/
リンクを変更(2010年12月8日、16日)
by trushbasket
| 2007-12-26 20:30
| My(山田昌弘)








