米国大統領と愛国歌人―橘曙覧―
|
橘曙覧は、十八世紀すなわち徳川後期から幕末に活動した歌人です。余計な技巧で飾り立てることなく、率直に心情を述べた歌は正岡子規などにも高く評価されていますし、「たのしみは」で始まる貧しい生活の中に喜びを見出す歌も広く知られています。前述のクリントン前大統領が引用した歌もその一つです。
ところで、彼は国学者でもあり熱烈な愛国者で、幕末期においては尊皇攘夷思想に共鳴していたようです。というわけで、その歌にはこのようなものも残されています。
たのしみは戎夷(えびす)よろこぶ世の中に皇国(みくに)忘れぬ人を見るとき
国汚す奴(やっこ)あらばと太刀抜て仇にもあらぬ壁に物いふ
日本(ひのもと)の太刀に比べて謂ふべしや戎夷(えみし)が腰に着くるなまうち(なまうち…半端に打たれたなまくら刀)
はむかひし蝦夷も御稜威(みいづ)かしこみてなびきまつらむ草薙のたち
(御稜威…天皇の威光)
…現代語訳はつけるまでもないでしょう。なかなか激しいですね。というか二番目の歌は思想とかを抜きにしても別の意味でインパクト強烈です。見ようによっては、思いつめたように目を血走らせて刃物を持って壁に向かってブツブツ言いながら見えない敵と戦ってそうにも見えますから。まあ、敵が来た時の覚悟のほどを述べたまでで、そういう時代だったといえばそれまでではあるんですが。
個人的には、曙覧といえば
たのしみはまれに魚烹て児等皆がうましうましといひて食ふ時
のように貧しい中でも家族と仲良く微笑ましく暮らしているという、良寛のような清貧の歌人といったイメージがあったんですけど、こういったヤバイ人でもあったのですね。
クリントンは曙覧がこのような過激で排外的な歌も詠んでいたことを知っていたのか、そして曙覧は嘗て我が国を軍事的に屈服させた「戎夷」の頭領が自分の歌を引用したことを草葉の陰でどう思っていたのか、非常に気になります。まあ、クリントンは知っていたとしても見なかった振りをしたんでしょうけど。
ちなみに、曙覧の愛国歌の中で
たのしみは鈴屋大人(すずのやうし)の後に生れその御諭をうくる思ふとき
(鈴屋大人…本居宣長の尊称)
というのは本居宣長を敬愛する僕としては個人的に共感しやすいように思います。…でもまあ、その大人が「源氏物語」の二次創作小説を書いたり「源氏物語」のパロディ文を書こうとしたら紫式部の霊がお礼を言いに来たなどと珍妙な事をのたまったり(http://trushnote.exblog.jp/7223008/)「直毘霊」で「異母兄妹との婚姻は神が定めた真の道で」云々とか言っていたり(http://trushnote.exblog.jp/7330644/)と中々のダメ人間ぶりを発揮していたことについては曙覧は見ぬ振りをしてそうな気がします。でもまあ、曙覧自身も対人能力に問題を抱えて家業を放擲して隠遁し、経済観念にも割りとルーズだったりとそれなりにダメな人だったらしいので、たとえ宣長のダメさ加減を目の当たりにしても気にしなかったかもしれませんが。
という訳で、今回の教訓は「知らぬが仏」、あるいは「細かいことは気にするな」であるように思われます。
【参考文献】
歌よみに与ふる書 正岡子規 岩波文庫
「橘曙覧の世界」に生きる 鈴木善勝 日本文学館
まんがで学習おぼえておきたい短歌100 萩原昌好編・著 山口太一画 あかね書房
本居宣長(上)(下) 小林秀雄 新潮文庫
本居宣長全集第十四巻 筑摩書房
本居宣長全集第十五巻 筑摩書房
関連記事
<過去記事・発表紹介>絢爛たる国学者たち
神国日本のしょんぼりナショナリズムと鬼子・第六天魔王信長
「民族英雄考―楠木正成と諸国の英雄たち―」補足:正成とフランスの英雄たち
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「本居宣長」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2001/011214.html)
「偉大なるダメ人間シリーズその7本居宣長」(当ブログ内に移転しました)
(http://trushnote.exblog.jp/14529117/)
「本居宣長『手枕』翻訳」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/tamakura.html)
関連サイト:
「橘曙覧の世界」(http://homepage2.nifty.com/syowanokodomotati/shw_07/showa_7th_akemi.html)
「橘曙覧歌集」(http://j-texts.com/sheet/akemi.html)
リンクを変更(2010年12月8日)
一部、表現を改めています。(2014年8月3日)