2008年 01月 23日
偉大なるダメ人間シリーズ番外その4 タカリ魔のヤンデレ内政王 フリードリヒ・ヴィルヘルム1世
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下に掲載するのは『ダメ人間の世界史』『ダメ人間の日本史』(社会評論社)の元になった文章です、書籍化に際して大幅な加筆・修正がされており、書籍版とは多少内容が異なります。
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【以上(↑)、2010年12月05日加筆】
『ダメ人間の世界史&日本史』ブログ版(試し読み用)目次へ戻る
ドイツの東北辺境を支配するプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム1世(1688~1740)は、ヨーロッパ列強の狭間を漂う小国プロイセンの王として富国強兵に励んだ名君で、彼の残した資金と軍事力を基盤に、後継者のフリードリヒ大王は大国オーストリアとの戦争で豊かなシュレジエン地方をもぎ取り、プロイセンをヨーロッパ列強へと飛躍させることができました。
フリードリヒ・ヴィルヘルムの富国強兵に向けた施策としては、まず倹約があります。当時のヨーロッパではフランス風の豪奢な宮廷生活が流行していたのですが、彼は「私はフランスのマナーには従わない。何故なら私はドイツの王侯であり、また、ドイツの王侯として生活し、死んでいきたいのだ」とか「フランス人を見ると、私は唾を吐きたくなる」(飯塚信雄著『フリードリヒ大王』 中公新書 24~25頁)などと言い、フランス風の奢侈を嫌悪して、これを完全に放棄、浮いた資金を軍備拡張に回します。彼は自ら率先して倹約していますが、そのやり口は、七百室もある宮殿のうちたった五室しか自分のために使用せず、市民的な食事で満足し、衣服を粗末な軍服で間に合わせるとともに事務用の袖カバーとエプロンを着用して執務による傷みを防ぐという、恐ろしいまでに徹底したものでした。
なお、彼の倹約によって宮廷の奢侈に依存していた商工業は打撃を受けましたが、彼は軍需産業を振興することで、その情勢に対応しており、そこから軍隊に衣服を供給する毛織物産業が成長し、しだいに民間からの需要にも応え、さらには輸出すら行えるようになっていきました。
また彼は行財政機構の効率化・合理化、引き締めも行います。彼は1722年に中央における総管理局の設置による行財政一元化や地方行財政組織の整理によって組織の無駄な重複を改め、行財政の効率化を図り、さらに官僚は早朝から勤務するよう規定しています。そして彼はスパイを使って官僚が勤務に精励するよう、監視を行っています。
この他、行政の効率化・合理化という点では、ハレ大学に国家経営学講座を設置して行政官僚の育成に努めたことや、当時どの国でも一般的だった官吏の俸給の遅延を無くしたことなども注目に値するでしょう。
さらに彼は国力の向上にも力を注いでいます。既に述べた軍需による商工業振興のほか、外国からの商工業者の誘致をも行って、商工業の発展に力を注いでいますし、また農業生産の向上にも力を注ぎ、大量の亡命者を受け入れて優しく取り扱い、金品の援助や居住地の提供を行って、ペストで人口が減少し荒廃していた東プロイセンに植民、同地を実り豊かな土地へと変貌させています。この荒地の開発を成功させたフリードリヒ・ヴィルヘルムの器量と情熱を、後に息子のフリードリヒ大王は、英雄的であると評しています。
なお亡命者への優しい取り扱いは、彼の民衆生活への手厚い配慮を示すものですが、この他彼の民衆生活への配慮を物語る例としては、1717年に義務教育制度を定めて民衆教育を図ったことや、1719年に王領地で農奴の解放を行ったことが挙げられます。
租税の公平に気を配って地主や貴族に課税したことも、彼の民衆への配慮の現れと見て良いでしょう。
このように内政諸方面で改革を進めた彼は、かつては他国からの補助金に依存していたプロイセンの財政を健全化し、多額の資金を遺産として残すことに成功しました。
軍事面では彼は、国内貴族を屈服させてその子弟を将校団として採用するとともに、1733年には徴兵区制度(カントン制度)を導入して自国農民を徴募、ヨーロッパ中から集めた傭兵で構成されるのが通例であった軍隊に、自国の人的資源を大々的に導入します。
これによってプロイセン軍は規模を著しく拡大し、彼の治世の間に兵力は3万8千から8万3千に増加、プロイセンは小国には不相応な巨大な陸軍を有するに至ります。2000万の人口を誇ったフランスの兵力が16万の時代に、プロイセンは250万の人口で兵力8万を保有、フランス、ロシアに次ぐヨーロッパ第三位の陸軍国となったのです。
そしてこのプロイセン軍は量的に強大であるのみならず、質的にも精強でした。自国出身の信頼できる教育された優秀な農民を、優れた組織者である宿将アンハルト・デッサウ公レオポルドが兵士として鍛え上げた結果、プロイセン軍は、行軍速度の点でも射撃能力の点でも他国を圧倒するヨーロッパ随一の精鋭軍となっていたのです。
こうしてプロイセンの飛躍の基礎を築いたフリードリヒ・ヴィルヘルム1世は、倹約から乞食王と呼ばれたり強兵政策から軍人王(兵隊王とも訳される)と呼ばれたりしていますが、あだ名の微妙な響きはともかく、彼が見事に国家を発展させた名君であることは間違いありません。
なお強兵政策や軍人王(兵隊王)とかいう物騒なあだ名とは裏腹に、彼は莫大な費用のかかる戦争に対して、極めて消極的な人物でした。
ところで、こんな賢王フリードリヒ・ヴィルヘルム1世ですが色々ダメ人間だったりします。
巨人が大好きでヨーロッパ中から金に糸目を付けず長身の男をかき集め、特に強くもないのに金ばかり食う巨人近衛隊を組織して、その閲兵を唯一の娯楽としていたってのは、倹約魔人の唯一の贅沢として見逃してやるにしても、他に色々ダメっぽい話があります
民衆生活に対する真剣な配慮を行った愛民の名君たる彼は、民衆の敬愛を受ける資格があるはずですし、本人も民衆から愛されることを切実に望んでいたようなのですが、残念ながら彼は民衆からは嫌われていました。まあ、彼は馬車で国内を爆走し、怠け者の国民を見つけては杖で叩いて回ったりしていたようなので、それが愛の鞭であったとしても、愛が過剰で、嫌われてもやむを得ないのではないかとは思います。
そして国民への愛が剰って国民に嫌われた彼は、愛の余り、ある日彼を避けようする民衆の一人を捕まえ、問いつめます、何のために逃げるのかと。そしてこの問いに対し、哀れな男が陛下が怖いからと答えると、陛下の愛の嵐はやはりここでも荒れ狂い、「お前たちは私を好きになるんだ」(前掲書 32頁)と叫びながら、その男を杖で打ちのめしてしまいます。
愛情剰って凶行に走り、力ずくで自分への愛を強制するなんて、なかなかなダメ人間っぷりです。たぶんこれは、「好きすぎておかしくなる」(『ヤンデレ大全』 インフォレスト 7頁)ヤンデレとかいうやつですよ。彼が美少女ならさまになったろうになあ。
またこの王様、倹約魔人のくせに、実は美食も大好きでした。美食は割と誰でも好きなもので、それだけならダメ人間呼ばわりする気はしないのですが、彼が御馳走を食べたいときに臣下や外国大使のところへ押しかけていったというのは、明らかにダメな人です。
倹約自慢の内政王は、御馳走のただ食い大好きな、超タカリ魔。
この他、彼には家庭内暴力という悪癖があって、質実剛健を愛する彼は、軽薄軟弱な息子をビシバシと…。
とまあ、こんな感じ。
なんというか所々ダメ人間とか笑って済ませる次元を超えてしまっている気がしないでもないので、とりあえず番外扱いで。
参考資料
飯塚信雄著『フリードリヒ大王 啓蒙君主のペンと剣』 中公新書
金澤誠/進藤牧郎/阿部重雄/村岡晢/赤井彰著『世界の戦史 第六巻 ルイ14世とフリードリヒ大王』大類伸監修 人物往来社
長谷川輝夫/大久保桂子/土肥恒之著『世界の歴史17 ヨーロッパ近世の開花』 中央公論社
『Encyclopaedia Britannica 2007』
『スーパー・ニッポニカ Professional』
『ヤンデレ大全』 インフォレスト
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関連記事(2009年5月17日新設)
サツマイモ・ジャガイモ伝来記 および イモを広めた英雄たち
諸君 私は戦争が好きだ ~高らかに謳う文学的戦闘者エルンスト・ユンガー紹介~
鎌倉時代のハードエロノベル『我身にたどる姫君』1 ~狂乱するヤンデレ皇女の苛烈な愛欲の日々~
(以下2010年6月26日加筆)
フリードリヒ・ヴィルヘルム1世については
よろしければ、社会評論社『ダメ人間の世界史』
(「フリードリヒ・ヴィルヘルム一世 民と美食をウザいほど熱愛した熱苦しいデブ王様の話」収録)
もご参照ください。
色々リンクを変更(2010年12月7日)
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【以上(↑)、2010年12月05日加筆】
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ドイツの東北辺境を支配するプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム1世(1688~1740)は、ヨーロッパ列強の狭間を漂う小国プロイセンの王として富国強兵に励んだ名君で、彼の残した資金と軍事力を基盤に、後継者のフリードリヒ大王は大国オーストリアとの戦争で豊かなシュレジエン地方をもぎ取り、プロイセンをヨーロッパ列強へと飛躍させることができました。
フリードリヒ・ヴィルヘルムの富国強兵に向けた施策としては、まず倹約があります。当時のヨーロッパではフランス風の豪奢な宮廷生活が流行していたのですが、彼は「私はフランスのマナーには従わない。何故なら私はドイツの王侯であり、また、ドイツの王侯として生活し、死んでいきたいのだ」とか「フランス人を見ると、私は唾を吐きたくなる」(飯塚信雄著『フリードリヒ大王』 中公新書 24~25頁)などと言い、フランス風の奢侈を嫌悪して、これを完全に放棄、浮いた資金を軍備拡張に回します。彼は自ら率先して倹約していますが、そのやり口は、七百室もある宮殿のうちたった五室しか自分のために使用せず、市民的な食事で満足し、衣服を粗末な軍服で間に合わせるとともに事務用の袖カバーとエプロンを着用して執務による傷みを防ぐという、恐ろしいまでに徹底したものでした。
なお、彼の倹約によって宮廷の奢侈に依存していた商工業は打撃を受けましたが、彼は軍需産業を振興することで、その情勢に対応しており、そこから軍隊に衣服を供給する毛織物産業が成長し、しだいに民間からの需要にも応え、さらには輸出すら行えるようになっていきました。
また彼は行財政機構の効率化・合理化、引き締めも行います。彼は1722年に中央における総管理局の設置による行財政一元化や地方行財政組織の整理によって組織の無駄な重複を改め、行財政の効率化を図り、さらに官僚は早朝から勤務するよう規定しています。そして彼はスパイを使って官僚が勤務に精励するよう、監視を行っています。
この他、行政の効率化・合理化という点では、ハレ大学に国家経営学講座を設置して行政官僚の育成に努めたことや、当時どの国でも一般的だった官吏の俸給の遅延を無くしたことなども注目に値するでしょう。
さらに彼は国力の向上にも力を注いでいます。既に述べた軍需による商工業振興のほか、外国からの商工業者の誘致をも行って、商工業の発展に力を注いでいますし、また農業生産の向上にも力を注ぎ、大量の亡命者を受け入れて優しく取り扱い、金品の援助や居住地の提供を行って、ペストで人口が減少し荒廃していた東プロイセンに植民、同地を実り豊かな土地へと変貌させています。この荒地の開発を成功させたフリードリヒ・ヴィルヘルムの器量と情熱を、後に息子のフリードリヒ大王は、英雄的であると評しています。
なお亡命者への優しい取り扱いは、彼の民衆生活への手厚い配慮を示すものですが、この他彼の民衆生活への配慮を物語る例としては、1717年に義務教育制度を定めて民衆教育を図ったことや、1719年に王領地で農奴の解放を行ったことが挙げられます。
租税の公平に気を配って地主や貴族に課税したことも、彼の民衆への配慮の現れと見て良いでしょう。
このように内政諸方面で改革を進めた彼は、かつては他国からの補助金に依存していたプロイセンの財政を健全化し、多額の資金を遺産として残すことに成功しました。
軍事面では彼は、国内貴族を屈服させてその子弟を将校団として採用するとともに、1733年には徴兵区制度(カントン制度)を導入して自国農民を徴募、ヨーロッパ中から集めた傭兵で構成されるのが通例であった軍隊に、自国の人的資源を大々的に導入します。
これによってプロイセン軍は規模を著しく拡大し、彼の治世の間に兵力は3万8千から8万3千に増加、プロイセンは小国には不相応な巨大な陸軍を有するに至ります。2000万の人口を誇ったフランスの兵力が16万の時代に、プロイセンは250万の人口で兵力8万を保有、フランス、ロシアに次ぐヨーロッパ第三位の陸軍国となったのです。
そしてこのプロイセン軍は量的に強大であるのみならず、質的にも精強でした。自国出身の信頼できる教育された優秀な農民を、優れた組織者である宿将アンハルト・デッサウ公レオポルドが兵士として鍛え上げた結果、プロイセン軍は、行軍速度の点でも射撃能力の点でも他国を圧倒するヨーロッパ随一の精鋭軍となっていたのです。
こうしてプロイセンの飛躍の基礎を築いたフリードリヒ・ヴィルヘルム1世は、倹約から乞食王と呼ばれたり強兵政策から軍人王(兵隊王とも訳される)と呼ばれたりしていますが、あだ名の微妙な響きはともかく、彼が見事に国家を発展させた名君であることは間違いありません。
なお強兵政策や軍人王(兵隊王)とかいう物騒なあだ名とは裏腹に、彼は莫大な費用のかかる戦争に対して、極めて消極的な人物でした。
ところで、こんな賢王フリードリヒ・ヴィルヘルム1世ですが色々ダメ人間だったりします。
巨人が大好きでヨーロッパ中から金に糸目を付けず長身の男をかき集め、特に強くもないのに金ばかり食う巨人近衛隊を組織して、その閲兵を唯一の娯楽としていたってのは、倹約魔人の唯一の贅沢として見逃してやるにしても、他に色々ダメっぽい話があります
民衆生活に対する真剣な配慮を行った愛民の名君たる彼は、民衆の敬愛を受ける資格があるはずですし、本人も民衆から愛されることを切実に望んでいたようなのですが、残念ながら彼は民衆からは嫌われていました。まあ、彼は馬車で国内を爆走し、怠け者の国民を見つけては杖で叩いて回ったりしていたようなので、それが愛の鞭であったとしても、愛が過剰で、嫌われてもやむを得ないのではないかとは思います。
そして国民への愛が剰って国民に嫌われた彼は、愛の余り、ある日彼を避けようする民衆の一人を捕まえ、問いつめます、何のために逃げるのかと。そしてこの問いに対し、哀れな男が陛下が怖いからと答えると、陛下の愛の嵐はやはりここでも荒れ狂い、「お前たちは私を好きになるんだ」(前掲書 32頁)と叫びながら、その男を杖で打ちのめしてしまいます。
愛情剰って凶行に走り、力ずくで自分への愛を強制するなんて、なかなかなダメ人間っぷりです。たぶんこれは、「好きすぎておかしくなる」(『ヤンデレ大全』 インフォレスト 7頁)ヤンデレとかいうやつですよ。彼が美少女ならさまになったろうになあ。
またこの王様、倹約魔人のくせに、実は美食も大好きでした。美食は割と誰でも好きなもので、それだけならダメ人間呼ばわりする気はしないのですが、彼が御馳走を食べたいときに臣下や外国大使のところへ押しかけていったというのは、明らかにダメな人です。
倹約自慢の内政王は、御馳走のただ食い大好きな、超タカリ魔。
この他、彼には家庭内暴力という悪癖があって、質実剛健を愛する彼は、軽薄軟弱な息子をビシバシと…。
とまあ、こんな感じ。
なんというか所々ダメ人間とか笑って済ませる次元を超えてしまっている気がしないでもないので、とりあえず番外扱いで。
参考資料
飯塚信雄著『フリードリヒ大王 啓蒙君主のペンと剣』 中公新書
金澤誠/進藤牧郎/阿部重雄/村岡晢/赤井彰著『世界の戦史 第六巻 ルイ14世とフリードリヒ大王』大類伸監修 人物往来社
長谷川輝夫/大久保桂子/土肥恒之著『世界の歴史17 ヨーロッパ近世の開花』 中央公論社
『Encyclopaedia Britannica 2007』
『スーパー・ニッポニカ Professional』
『ヤンデレ大全』 インフォレスト
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関連記事(2009年5月17日新設)
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(以下2010年6月26日加筆)
フリードリヒ・ヴィルヘルム1世については
よろしければ、社会評論社『ダメ人間の世界史』
(「フリードリヒ・ヴィルヘルム一世 民と美食をウザいほど熱愛した熱苦しいデブ王様の話」収録)
もご参照ください。
色々リンクを変更(2010年12月7日)
by trushbasket
| 2008-01-23 20:00
| My(山田昌弘)








