「男泣き」について考えてみる
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しかし、昔から「男らしい」男は泣かないものだったのでしょうか。古典などから例を挙げて検証してみることにしましょう。
まずは日本神話を編纂した「古事記」から。まず、日本を生み出したイザナギは、妻であるイザナミが火の神を産んで焼死した際、泣き悲しんでいます。そしてその子であるスサノオは、荒々しい振る舞いで知られ、ヤマタノオロチを退治した勇者でもありますが、亡き母を思慕して泣き叫び父を怒らせています。そしてヤマトタケルも過酷な東国遠征を父・景行天皇から命じられた時、「父上は私に死ねと仰せなのでしょうか」と叔母の前で涙に暮れています。太古の時代には、大の男が人目を憚らず泣き叫ぶのもタブー視されていなかったようですね。
「源氏物語」に代表される王朝文学においてもしばしば貴族男性が涙で袖を濡らす描写がありますが、彼らは一般的に「男性的」なイメージとは言いがたいようですから中世の軍記物まで時代を飛ばすことにしましょう。
という訳で、「平家物語」です。まず目に付くのが平知盛で、一の谷合戦で奮戦するも敗れて逃れる際に、息子・知章が彼を逃がすために敵を防いで落命したのを嘆いて「息子が討たれるのを見ながらみすみす逃げてきた」とさめざめと泣きながら周囲に語り、周囲も貰い泣きして涙で鎧の袖を濡らしたとあります。そして、熊谷直実。この東国の荒武者が、息子と同じ年代の平敦盛を討つ身の上を悲しんでやはりさめざめと涙を流しているのです。
次に時代は下って、「太平記」。まず倒幕計画が露見して捕らえられた日野俊基(後醍醐天皇の側近)が処刑される際、俊基の家臣・後藤助光が駆けつけて暇乞いをしていますが、この時に俊基・助光が涙にくれただけでなく、処刑の責任者である工藤二郎(北条氏の家臣)も貰い泣きしている有様です。同様に、後醍醐の側近である北畠具行が流罪になる途中で処刑された時も、護送担当の佐々木道誉が痛ましく思ってさめざめと涙を流しています。道誉は道中でも具行に情趣ある待遇をしていたといいますから彼に同情的であったのは想像に難くないのですが、後に傍若無人で派手なふるまいをして「ばさら大名」と呼ばれたり強かな古狸ぶりで政敵を蹴落としつつ生き残った姿を知っている我々からすると当惑するというか違和感すら覚える場面ではあります。他にも、鎌倉幕府滅亡時の北条氏一族郎党の最期や楠木父子の桜井の決別など、死を覚悟した場面を中心に荒々しい男達が人目を憚らず涙に咽ぶ場面は少なくありません。この時期においても、冒頭で述べたようなタブーはさほどなかったといえるでしょう。
さて、太平の時代である徳川期を見てみましょう。民俗学者・柳田国男によれば俳諧から推測すると元禄年間までは男が泣く事もまま見られたようです。ただ、それを裏返せばそれ以降は少なかったといえそうです。また、歌舞伎の「時代物」に荒々しく力強い男たちが多く登場しているのでそれも参考にしてみましょう。例えば、「菅原伝授手習鑑」では菅原道真の流罪を題材にして彼に仕える一族の悲劇を描いていますが、この中で「寺子屋」の場面における松王丸の「男泣き」が知られています。一族の中で唯一、道真の政敵・藤原時平に仕えている彼は、道真の子を討ち取らせて首実検する役目を仰せつかります。しかし実は松王も内心では道真に忠義を誓っており、我が子を身代わりとして道真の子を救ったのです。それが判明した後、道真の恩になかなか報いられなかった悔しさ・我が子を失った悲しみ・争いの最中に犬死した弟への思いが募って号泣することになります。ここからは一見この時代でもまだ男の涙はタブー視されていなかったように見えます。ただし、別の場面ではありますが劇中に「五体を投げ伏し男泣き」と語りが入ることから、すでにこの時期には「男は泣かぬもの」という通念が存在していたと考えてよさそうです。
十八世紀の国学者・本居宣長は「人情と云ふものは、はかなく児女子のやうなるかたなるもの也。すべて男らしく正しくきつとしたることは、みな人情のうちにはなきもの也。」(「排蘆小船・石上私淑言 本居宣長著 子安宣邦校注 岩波文庫」P63)、すなわち人の本性は弱く女々しいものであり、雄々しく動じないのは心を制御して後に作られたものだと述べています。しかしその一方で、「本情のかなしさを、ありのままにいひつづけ、とりみだしてかなしみなげかんは、げに児女子にことならず。おろかにこそ見え侍らめ。」(同P65)、つまり心情の悲しみをありのままに出して取り乱すのは愚かであるとも言っています。やはりこの時期には「男は泣かぬもの」という概念が固まっていることが分かりますね。こうした背景には太平の世が訪れ武士の気風が緩むのを防ぐため道徳としてそうした考えが導入されたというのが大きいでしょう。宣長も「国のため君のために、いさぎよく死するは、男らしくきつとして、誰もみなねがひうらやむこと也。」(同P64)と言っていますしね。
近代は国家間生存競争の最中であり「男らしさ」の追求が最も強かった時期でした。したがって、徳川期に成立した「男は泣かぬもの」という概念がより強められたであろう事は想像に難くありません。更に、ここでも柳田国男の「涕泣史談」から引用すると「人が泣くといふことは、近年著しく少なくなつて居るのである。是は家にばかり居る者にでもわかることであるが、殊に旅行をして居るとよく気がつく。」「大人の泣かなくなつたのは勿論、子供も泣く回数が段々と少なくなつて行くやうである。」(共に「柳田国男全集19 筑摩書房」P691)とあるように男性だけでなく女性や子供までも泣く事が少なくなっているようです。そして「子供を泣かせぬやうにするのが、育児法の理想である」(同P692)とも考えられていたそうです。事実、葬儀において近親が声を上げて泣く風習は明治期の途中からあまり見られなくなったとの指摘もあります。そうした傾向の理由として柳田は言語表現を重んじる傾向が強くなりすぎたためではないかと述べています。しかし、軍歌を見ると生死を共にした戦友の死を悲しんだりして涙する内容の歌詞はしばしば見られます。…著作権の問題がややこしそうなので該当する歌詞の引用は避けますが。社会的に泣かないのをよしとする風潮の中で感情を抑えていたであろう事が推測されます。まあ、柳田「涕泣史談」そのものが、戦死した軍人の家族に「泣くな、喜べ」と強いる風潮へのアンチテーゼだとする説もあるわけです。
そして戦後になっても一般に涙を見せない事をよしとする傾向は持続していましたが、文化作品ではやはり様子が違うようです。高度経済成長を遂げていた60年代には「男らしさ」を前面に出した梶原一騎作品が人気を博しましたが、その代表作の一つである「巨人の星」などでも逞しい男たちが感極まって滝のような涙を流すシーンが多く描かれています。そして80年代には「北斗の拳」「魁!!男熟」「キン肉マン」など「男らしい」男達を描いた漫画作品が数多くヒットしました。こうした作品でも、「男の中の男」と言えそうな登場人物の皆さん、案外涙を流すシーンのある人が多いのですよ。「北斗の拳」でも主人公ケンシロウや宿敵ラオウを始め、筋骨隆々とした拳法家たちが人生の哀しみや人の愛に触れて感極まり涙する名シーンが数多くあります。特にラオウが類稀な拳法の才を持ちながら病で余命幾許もない弟と激闘した際、その弟の悲運を悼んで男泣きする場面は印象的です。「キン肉マン」もその辺りでは負けておらず、主人公・キン肉マンやその仲間である正義超人たちも仲間の悲運に遭遇したり友情に触れた際にしばしば涙しています。正義超人だけではありません。悪魔超人であるサンシャインやアシュラマンが友情の素晴らしさに目覚めて涙を流すシーンは名場面としてファンの間で語り継がれていたようです。「魁!!男塾」では基本的に「男は涙を見せぬもの」とされていますが、富樫・虎丸といった濃い男たちも感極まって男泣きしていた事が何度かあります。学年筆頭は悲しみを内に秘めて涙を見せないものとされていますが、一号生筆頭であった主人公・剣桃太郎は普通に涙を流していた気がしますよ。他にも印象的な場面は色々ありますが語りだすときりがなくなりますし話が逸れるのでこの位で止めておきます。
こうした点を考えると、遅くとも元禄期には「男は泣かないもの」という観念は出来上がっていたようです。そして、近代になって男性の力強さが求められる中でそうした傾向がより強くなったのでしょう。そして娯楽文化の中に抑圧した感情の捌け口が見出されていったわけです。それから見ると、自分自身の欲望だけからでなく「美しい何か」や自分にとって大事なものを見出し感銘を受けたりそれが失われるのを悲しむ場合には正当化されうるといえるでしょう。更に「通常は涙を流さない男がまれに」というのも加わりそうな。まあ、現実問題としては、無茶言うな、としか思えませんけどね。
しかし、こうした何か「本当に大切なもの」に心動かされる心情というのは、本居宣長の言う「もののあはれ」によく合致します。上述したように宣長は当時広まりつつあった「男は泣かないもの」という考え方に非を唱えてはいませんが、彼は当時の風潮については内心苦々しく思っていたとしても「神のしわざ」として全否定しないのを常としていました。本質的には男女を問わず人の心は弱く女々しいものだと考えていたと言って良いでしょう。
おほかた人のまことの情といふ物は女童のごとくみれんにおろかなる物也、男らしくきつとしてかしこきは、実の情にあらず、それはうはべをつくろひかざりたる物也、実の心のそこをさぐりてみれば、いかほどかしこき人もみな女童にかはる事なし、それをはぢてつつむとつつまぬとのたがひめ計也(「紫文要領」)
すべて喜ぶべき事をも、さのみ喜ばず、哀むべきことをも、さのみ哀まず、驚くべき事にも驚かず、とかく物に動ぜぬを、よき事にして尚ぶは、みな異国風の虚偽にして、人の実情にはあらず、いとうるさきことなり(「玉くしげ」)
このように述べていますから、本音では「男は泣かないもの」とする風潮を好ましくは思っていなかったと推測されます。その上で、
其見る物聞物につきて、哀也共かなし共思ふが、心のうごくなり、その心のうごくが、すなはち物の哀をしるといふ物なり(「紫文要領」)
と言っています。宣長は和歌など文芸作品の本質を「もののあはれ」と考えており、中でも喜びより悲しみのほうが心が動かされる度合いが強いようだと「石上私淑言」で述べています。そうした文芸の流れを汲む娯楽作品でも、人が心を動かされる様を描く事に重きを置くのは不思議ではありません。その効果を強くするため「泣かないもの」であるはずの男らしい男が選ばれる、と考えるのが妥当なんでしょうね。娯楽文化は、「もののあはれ」の伝統を受け継ぎつつ、いつの間にやら「泣かないもの」とされ封じ込められた男たちの感情をもある程度解放して救ってきたと言えると思います。
【参考文献】
日本史の快楽 上横手雅敬 角川ソフィア文庫
古事記 倉野憲司校注 岩波文庫
平家物語(上)(下) 佐藤謙三校注 角川ソフィア文庫
日本古典文学大系太平記 一~三 岩波書店
「柳田国男全集19 筑摩書房」より「涕泣史談」
奄美・沖縄 哭きうたの民族誌 酒井正子 小学館
Shotor Museum歌舞伎鑑賞ガイド 小学館
歌舞伎ハンドブック 藤田洋編 三省堂
排蘆小船・石上私淑言 本居宣長著 子安宣邦校注 岩波文庫
本居宣長の思想と心理 松本滋著 東京大学出版会
北斗の拳全十五巻 作 武論尊・画 原哲夫 集英社文庫
魁!!男熟全二十巻 宮下あきら 集英社文庫
キン肉マン全十八巻 ゆでたまご 集英社文庫
関連記事(2009年5月17日新設)
本居宣長関連発表まとめ
「南朝五忠臣」
HENTAIとヘタレが咲き乱れる日本の文学的至宝・物語文学案内 「2/2 鎌倉編」下 注目はオトコの娘
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「日本前近代軍事史」(当ブログ内に移転しました)
(http://trushnote.exblog.jp/14549736/)
「戦例の考察」
(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2000/001027a.html)
一の谷について記述あり。
「楠木正成」
(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2000/001201.html)
「天神信仰の展開」
(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/1999/991217.html)
「本居宣長」
(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2001/011214.html)
「日本民衆文化史」
(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/021206.html)
「佐々木導誉」
(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/douyo.html)
「エリート教育とは」
(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/elite.html)
男塾への言及が少しあります。
関連サイト:
「古事記の世界」
(http://homepage1.nifty.com/Nanairo-7756/)
「平家物語 総目次」
(http://www.st.rim.or.jp/~success/heike_index.html)
「太平記 現代語訳」
(http://www5d.biglobe.ne.jp/~katakori/taiheiki/)
「TOYOTAKE SAKIHODAYU」(http://www.sakiho.com/)より
「菅原伝授手習鑑」(http://www.sakiho.com/Japanese/bunraku/scripts/sugawara.html)
「ご機嫌!歌舞伎ライフ」
(http://www5e.biglobe.ne.jp/~freddy/index.htm)
「個人運営の【ハマダ】のホームページ」(http://www8.ocn.ne.jp/~shama/index.html)より
「ミディ日本の軍歌」(http://www8.ocn.ne.jp/~shama/mid7.html)
「MIDIカラオケおやじの唄」
(http://www.biwa.ne.jp/~kebuta/Frame/JapaneseTraditionalSongs.htm)
軍歌を含め、古い歌を多く収録しています。
「Road to 北斗の拳」
(http://hokuto.to/road/rotoho.html)
北斗の拳ファンサイトのリンク集です。
「肉で行こう!!」
(http://www.geocities.co.jp/AnimeComic/1630/)
キン肉マンのファンサイトです。キン肉マン関連用語解説の「肉辞苑」などがあります。
「魁!男塾ファンページ」
(http://o-juku.s18.xrea.com/)
<追記>(2009年11月1日) 訂正あり。詳細はコメント参照。
リンクを変更(2010年12月8日)